世の中まだまだ「冬ソナ」ブームなのだなぁ、と今日はつくづく思った。ただそれだけ。
重要書類作成月間はまだ続く。営業が減った分、毎日のようになんらかの書類を作らねばならない。が、モノを書くのは、あまり苦にはならない。
小学校6年の時、卒業文集用に作文を書きなさいといわれた。ところが調子に乗った私は、ちょうどその年に起こった日航機墜落(85年の御巣鷹山ではなく、「心身症」の機長の「逆噴射」で有名な羽田の方である)や、ホテルニュージャパンの火災などの時事ネタについてえんえんと自分の意見を書き続け、気がついたら原稿用紙20枚くらいになっていた。もはや卒業文集ではない。担任の先生はきっと困ったに違いないが、どうなったかは忘れた。
中学1年の時、国語の時間に、作文を書きなさいと言われた。テーマがなんであったかは忘れたが、小学校に入りたての頃に近所の池でアメンボやゲンゴロウを捕まえたり、原っぱでショウリョウバッタとカマキリを戦わせて遊んだりしていたという思い出を書いた。すると先生が「上手に書けているから皆の前で読みなさい」と言ってくれた。怒られることはあってもなかなか誉めてもらうことのない学校であっただけに、誇らしい気持ちで朗読したものである。当時はまだ、先生に気に入られるような作文を狙って書くようなヒネた根性はなかったはずだ。きっと、その先生が田園地帯に住んでいたので、何かしら琴線に触れたのであろう。
その後、山岡荘八の「徳川家康」全26巻の感想を600字で書くという無謀なことをしたときも誉めてもらってうれしかった。しかしこの作文は、読書感想文というよりは、1983年NHK大河の「徳川家康」(主演:滝田栄)の近藤正臣(家康の父、松平広忠)と大竹しのぶ(家康の母、お大)をイメージして書いたものだった。
しかし、直接ではなかったが、けなされたこともある。あの時は読書感想文だった。同級生のだれかが「マンガで書いてもいいですか?」と聞くと、彼は「真面目に書くのならいいよ」と答えた。そこで私もマンガで真面目に感想文を書くことにした。題材にしたのは、「ドラえもん」の5巻に収録されている「ドラえもんだらけ」。
例によって例のごとく宿題が出来てなくて困ったのび太は、その宿題を、そばにいたドラえもんにおしつける。一人で宿題を始めたドラえもんは名案を思いつく。タイムマシンで2時間後のドラえもんを連れてきて一緒に手伝わせるのだ。さらに4時間後のドラえもんも連れてくる。以下、6時間後のドラえもん、8時間後のドラえもんも連れてきて、総勢5人で宿題に取りかかるのだが、やがて恐ろしい事態に…。
今、webで調べてみたらやっぱり名作として記憶している人が他にもたくさんいた。もう少し詳しいあらすじは
こちら。
時間とは何か、主体とは何かみたいな問題を考えさせられてしまう興味深い作品だと今でも思う。同テーマとしては「バックトゥザフューチャー」とか「ターミネーター」とか他にもいろいろあるだろうから特に目新しくはないのかもしれないが、子供向けのマンガにしては難解である。いや、「難しく考えようとすれば難しく考えることもできる」と言う方が正しいか。
当時の私がどこまで考えられていたかは定かではないが、その作文で、「時間というものの持つ不思議さ」や、「タイムマシンは可能か」みたいなことを書いたような気がする。ただし、その論の展開が稚拙だったのだろうとも思う。
で、先生は私を名指ししたわけではないのだが、その作文の回収と返却が終わった後、同級生が、「先生、マンガの感想文はどうだったんですか?」と尋ねると、「しょうもないのばっかりだった」と彼は答えた。国語の教員の彼としては、ストーリー性のあるマンガの感想文が出てくることを期待していたのだろう。流れるようなストーリーの中での登場人物の心理の動きみたいなのだったらよかったのかもしれないが、それは当時の私の嗜好からは最も縁遠いものだった。
というわけで、「W先生、熱く語る」とか「先輩Nさんの思い出」とかそういうテーマだといくらでも書ける。今現在のことは生々しいし、12歳以前の話は暗すぎる。
今日の話は、よぉく読むとあちこちに「時制の不一致」がみられる。ツッコめる人はぜひツッコんでください。(笑)
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