あのころ目指すは歌手だった
昨日は祖母の88歳の誕生日だった。例の叔母に電話して聞いてみたが、相変わらず元気らしくまずは安心である。今から20年前には「部屋を片付けなさいっ」とよく怒られたものだが、もう怒ってはくれない。
21年前の夏、担任のW先生が家庭訪問に来るというので、祖母にも片付けろと言われ、月刊明星や月刊平凡およびその付録の歌本などを慌てて片付けた。が、歌謡曲&アイドル系のいろんなものは隠したが、月刊パソコンとかベーシックマガジンとか月刊I/Oといったコンピュータ系の雑誌はほったらかしていた。
で、面談開始。「最近、成績よくないけど、一日何時間くらい勉強してる?」「3時間半くらいです。」「おかしいなぁ、3時間半勉強してたらこんな順位じゃないはず。」
その当時の月曜日。
3時10分に学校終わって、3時半にはダイイチのパソコンコーナーにいて、5時半まで遊んでて、6時に帰って、おそい昼寝して、7時から晩ご飯で、8時から「トップテン」(日テレ)観て、9時から1時間勉強して、10時から「夜のヒットスタジオ」(フジ)観て、11時からカセット聴きながら歌って、12時前から勉強して1時になったら「中島みゆきのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)聴いて3時になったら寝る。
どう計算しても3時間半はおろか、3時間にも満たない。数年後には、火曜深夜の「MBSヤングタウン」(22時〜24時45分)も聴くようになったから、もう月曜火曜はへろへろだった。
というわけで中学2年生のうそなどすぐばれる。W先生は、パソコン系の雑誌を発見し、追及してきた。しょうがないので上に書いた話の半分くらい話した。すると、彼は「君はがんばれば東大に入れる力はあるんだから、パソコンばっかり触ってないでちゃんと勉強しなさいっ!」といって、面談を終わった。その後、彼は、1階にいた祖父と話してから帰っていった。
当時まだ純真だった私は、(もし万一、将来W先生がパソコン使うようになって、何かでトラブっても絶対助けてやんないぞ)などとは考えず、(そうかぁ、がんばれば東大に行けるんならがんばろうかなぁ)と素直に思ったのである。
後年、この話を当のW先生にしたところ、「いや〜、あのころはちょっとでも見込みありそうなやつには全員に『君は東大にいけるぞ』って言ってた。」だってよ。なんだかなぁ。
しかし、高校入学後、地理のT先生との戦い(彼は1時間のうちに、私を3度も指名しておきながら3回とも名前を呼び間違えた。しかもそれがたびたび。)や数学のA先生への反抗(これは話が長くなるので省略)、現国のA先生への反発(これは、A先生のことが嫌いだったわけではなく、小説が嫌いだったのである。)などを経つつも、英語のM先生&K先生、および日本史のK先生のおかげで私は無事、東大に入学できた。以上に書いた、私の高校時代の話はこないだのHK君がほぼすべて知っている。大学入学後はもう一人のHK君が登場するが、それはまた後日。
あれ?今日書いたのとほぼ同じ内容を、このブログで以前に書いたことがあるような気がしてきたが、気のせいかなぁ?
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