母の日記
今朝は社内放送で社長の新年の挨拶があった。その内容を聞いてずっこけそうになったが、ずっこけるとお尻が痛いので止めた。はいはい、がんばって働きますよぉ。
部屋を片付けていたら、母の日記が出てきた。大学時代に何かのレポートで、「人間が言葉を獲得する過程を具体的に記せ」という課題がでたので、私が生まれた時から高校卒業までの18年間、日記をつけていた母に、頼んで譲ってもらったのである。自分のことながら、なかなか興味深い。第1次反抗期の様々な抵抗とか、左手足が動かない話とか、妹との関係とか、「部屋いっぱいに広げたおもちゃを片付けないので怒った」とか、「外で友達と遊ぶより家で本を読む方が好きだ」とか、「小1の1学期に小3の算数のドリルをやってた」とか。やっぱり現在の私の性格のすべてがそこにあった。
一例。
1972年4月22日(2歳6ヶ月)
(この日、私は父に連れられドライブへ行った。)
一日この子がいないと家の中が片付き、自分の思うことがスムーズにできて楽だけど、そんなことには変えられない寂しさがある。今からこの子が大きくなりママの手から離れてしまう日のことが思われ淋しくて仕方がなかった。今からこんなことではよいお姑さんには、なれないかもわからないね。
…32年半後の今でも、まだ「お姑さん」ではないですけど(笑)。
もう一例。
1974年1月26日(4才2ヶ月)
今日は父さんがおみやげに飛行機のプラモデルを持って帰ってくれたが気がついてみると中は作ったあとのからが入っているだけ。ものすごく喜んだあとなので大変がっかりし急に大声で泣き出す。父さんはよいと思ってしたことだが中を改めなかったので失敗。その夜はカラの箱を持ち歩き抱いて寝る。可哀想かった。また持って帰ってやると約束する。
…ほぼ記憶通り(お父さんのイタズラ)。
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