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2005/02/24

宮沢賢治と相加相乗平均

 今日の場合、彼が悪いとか彼を含む彼らが悪いとかいう問題ではない。初めにそれははっきり述べておかなければならない。こうやって書いておいても、この点を無視して語ろうとする者がいるかもしれないが。

 「なめとこ山の熊」が死のうが死ぬまいが、「aが正の時にa + 1/aの最小値が2」であろうがなかろうが、私が生きていく上では何の関係もない。しかし、私は、「熊」を巡る議論よりも、a + 1/a>=2という数式の方に、「美しさ」を感じる。
 自分の日々の生活の中でそれらを実践できているかどうかは別だが、「合理性」とか「整合性」とか「論理性」とか「首尾一貫性」とか「普遍性」とかを志向する私にとって、彼らの議論はさっぱり理解できない。彼らは皆「私なら、私なら」と繰り返す。でもそれは個々の「あなたの」問題でしかない。
 一方、「a+1/a>=2(ただしa>0)」という式は、「私」でも「あなた」でも他のだれであっても、等しく成立する。「数学なんて、誰であっても成立するようにした単なる『取り決め』に過ぎないのだから当たり前じゃないか」と彼らは言いそうである。確かにそうかもしれない。しかし、「私をとりまく『世界』をどのように理解するか」という時に、文学の「ことば」は、数学や物理学の「ことば」に比べて、「独りよがり」としか思えない。
 私が「ことば」を問題にするのは、「どのように『ことば』を発すれば自分の言いたいことをきちんと相手に伝えられるのか」という点においてである。そしてそれに次いで「相手の発した『ことば』を正確に聞き取りその意図を理解する」ことを問題とする。
 よって、相手が言葉を発していないときに、自分の想像や予備知識で勝手に相手の意思を読み取ろうとするのはどうにも性にあわない。「『勝手に』ではない。」と言われるかもしれないが、やっぱりいかに説明を付け加えても結局は「勝手に」だと私は思う。
 だが、こんなことを今さら言ってもそれは自己矛盾だということも重々承知している。久々に会社を辞めたくなった。でも辞めないけど。

 繰り返すが、私は別に彼らを批判しているわけではない。しかし、私が彼らのことを「彼ら」と呼んでしまっている時点で、もはや私のアイデンティティは崩壊している。Tさんは私が何を言ってるのかわからなかったらしいが、あの場にいた4、5人(かそれ以上)の人には、今日のこの分かりにくい文章でも、きっと理解はしてもらえるだろう。同意はしてもらえないとしても。

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