不正を喜ばす
9:00出勤。20:45退勤。
今日は10時から式典。式典終了後は、新しいお客さんたちに御挨拶。私は営業主任でもないのに、主任を差しおいて偉そうに語ってしまった。喋った内容は間違ってはいないと思うが。
我曰く、「たとえお客様と言えども、学ぼうとしない方は来て下さらなくて結構です。」
また曰く、「ただし、学ぶだけでは死にます。自分の好きなことを見つけてそれを楽しみましょう。」
また曰く、「論語には『己の欲せざるところ人に施す事勿れ』という言葉があります。また、聖書には『Do to others as you would be done by.あなたがしてほしいように他人にもしてあげなさい』という言葉もあります。」
さらに曰く、「自分の周りのすべての人と仲良くするのは無理です。ただし、自分と合わない人がいるとしても、その人を痛めつけるのは誤りです。その人にはその人の世界があるのだから尊重しなければなりません。」
上記の論語と聖書の言葉は、どちらも私の好きな言葉である。同じようなことを言いつつも東洋と西洋とで否定表現と肯定表現とに別れているのもまた興味深い。
その後17:30までは、いろんな人々へのパソコンサポート。17:30からは先日来の3DCGのマニュアル作り。そのパート1がようやく完成。これでとりあえず仕事ができる。
その作成途中、副部長Tさんがいう。
「今日の式典の時に配ったパンフが…」
そのパンフにはこうあった。(パンフ原文は、敬体(=ですます調)である。)
愛は寛容で情け深い
愛はねたまず、自慢せず、
高慢にならず、礼儀にそむかない
自分の利益を求めず、怒らず、
受けた悪を気にしない。
不正を喜ばす、真理を喜ぶ。
愛はすべてを包み込み、すべてを信じ、
すべてを希望し、すべてを耐えしのぶ。
(コリントの信徒への手紙1 13・4-7)参考はこことここ
不正を喜ばせちゃ、ダメでしょ(笑)。
私:「こんな時間にそんな話ぼくにしたら、どうなるかわかってますか?」
Tさん:「わかってるよ。今日の(「うそとほんと」の)タイトル決定やな。」
そう言い残し、Tさんは8時前に帰っていった。
ところで、上記の一節、「愛の賛歌」と言うそうである。今まで「愛の賛歌」というと、こっちしか知らなかった。
今日の残業組は私を含めて4名。気づいてみたら、みんな4年前の営業1課のメンバーだった。
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