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2005年7月の34件の記事

2005/07/31

独りで動くことは是か非か

 やっと曙はK-1をあきらめてくれたようで何よりである。
 昨日の晩は、お土産購入者リストを作るといっていたのに、気がつくと眠ってしまっていた。だんだん疲れがたまってきている。 毎日遠足のようなもんだからしんどくないことはない。
 さて、今日はゴールドコーストへ行ってきた。イマイチ盛り上がりきれない。気質的にツアコンタイプなので、中をいろいろ見て回るよりは、 お客さんたちさえ楽しんでくれれば、自分はエントランス付近でお茶飲んでてもそれでいいって感じ。 とはいっても今回はプロのツアコンがいるので、その役割もできはしないのだが。
 お客さんの中に一人、どこへ行っても単独行動している人がいる。ツアコンKさんはずいぶん彼のことを気にしてくれるのであるが、 私とSさんは、「彼は別にオーストラリアに来て突然孤立し始めたのはなく、日本にいるときからああだったから、 ほうっておいても大丈夫なのだ」と説明する。彼が私のことをどう思っているかは知らないが、私は彼を見ていると、 まるでかつての自分を見ているような気がする。(他人と交わりたい気持ちもないではないが、うまく入っていけないから、ま、 一人で動くのもそう嫌でもないし)って感じ。わかんないけど。でも彼の楽しくなさそうな顔を見ていると、(オレもそうだけど、 そんな顔なんだからしょうがないよなぁ。「笑え」とか「つまんない顔するな」とか言われてもなぁ)と思う。何か、 みんなでワーッと盛り上がりましょう、ってノリについていかないのはダメなやつ、みたいに思われるのは大いに心外である。 何度も書くが彼がどう思っているのかはわかんないけど。
 ってここまで書いて思い出したが、昔、家族旅行で高野山に行った時(たぶん中学の時)、母に 「あんたと旅行行くとおもしろくないわ」と言われて、大いに傷ついたことがある。 大勢の人がいるところでの上手な立ち居振る舞いってのがどうしてもねぇ、できないからねぇ。しかし、高野山へは、 母方の祖父と2人だけで行ったこともあるが、その時は非常に楽しかった。ちなみに母は私のこういう部分を叱る時、 「ほんとにあんたはおじいちゃんと似とるねぇ」とよく言っていた。確かに私の硬さは祖父譲りである。 そして実はその祖父の娘である母も硬かったのだが、当時の彼女はそのことに気づいてはいなかった。

 サーファーズパラダイスで買い物。リストを作り損ねたので過不足が絶対にあると思うが、ご容赦を。その後、 ニュースエージェンシーでタバコ購入。「タバコ買いたいんだけど、オーストラリアのタバコはよくわかんないから、 一番安いやつで何か適当なのください」「私は吸わないからあんまりわからないけど、重いのと軽いのとどっちがいい?」「軽いほう」「じゃあ、 この4mm mgのは?」「あ、それでいいです。2箱。」
 
すらすら英語が通じて結構うれしかったものの、タバコネタかよ。
 17時半に宿に戻る。18時半から宿の近所の中華で食事。今日の話題は、ガイドKさんの娘さんの話。Sさんと2人でパパな会話をしていた。
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2005/07/30

岡八朗と中島美嘉と、お土産何がいい?

 6時に旧市庁舎前でSさんとKさんと合流。中華街へ行き、韓国料理屋で石焼ビビンバを食べる。店内のBGMは中島美嘉「雪の華」… どこなんだ、ここは?
 食事中は、郵政民営化の今後、喫煙者の主張そしてJTの今後、岡八朗の死などが話題になった。が、岡八朗の死は、 松山のSさんには通じたものの、東京出身のKさんには通じず。半分大阪出身の私は「木村進(=博多淡海)が~」とか「船場太郎が~」とか、 それなりに語れるのであるが、通じそうにないのでやめといた。
 小学校時代(あるいは中高時代も?)、母はスカートの裏地を折りたたむという内職をやっていた。1枚当たり何円になるのかはわからないが、 とにかく家の中には反物のようにまるまったスカートの裏地が山積みになっており、それを決められた大きさにたたんでいく。 裏地の繊維がほつれて家中を飛び回っているような家だった。母はその仕事をしながら、しょっちゅう、テレビあるいはラジオで吉本新喜劇 (漫才も含む)を見聞きしていたものだった。あの当時、息子である私のいじめ問題や夫婦間の問題(詳細不明)で母は常にいらいらしていたが、 吉本を観てる時だけはケラケラとよく笑っていたような気がする。

 さて、明日からまたお客さんたちと合流である。明日はゴールドコーストに行くので、これからお土産購入者リストを作ることにする。 前回の海外旅行であるシンガポール行きのときは、お土産を買いすぎて破産(=すべての銀行口座の残高が本当にマイナスになった)したので、 今回はほどほどにしておこう。ここの読者であると私が認定している人たちには何か買ってくるけど、まああんまり期待はせんといて。あ、 1回来たことがある人にはないかも。東京在住の人にもないかも。西条在住の人にもないかも。前にオーストラリア行った時、なんかあげたっけ? その他、「お土産はこれにせよ」という要望がある場合は、コメントつけてください。

ネットカフェは補導の対象?

結局、おととい来たQueensStmallにもう一度来た。モーテル近所の駅まではガイドのKさんが車で送ってくれたので何の問題もなく電車には乗れた。雰囲気的には伊予鉄郊外線と一緒。セントラルステーションまではSさんと一緒だったが、そこで別れ、各自自由行動。私は近所にある博物館にいってみたが、英語を読むのに疲れてしまい、割と早めに退散。博物館としては中途半端だったと思う。科学技術博物館と歴史博物館を足して0.7倍した感じ。
その後、mall内のMayer Centralに入る。ここは、(高島屋+フジグラン)×2.5くらいの感じ。最上階に映画館があったので時間潰しに入ろうかと思ったが、あいにく上映開始時間にあわなかったので断念。地下のマクドナルドで食事。その後、mall内を1周。途中、スピーチコンテスト用の商品や、お土産などを買う。が、普段の旅行では土産を買っていかない性質なので、悩む。
その後、本屋に入るが、コンピュータ関連書籍は大して安くなく、カメラ雑誌はイギリスからの輸入なので高く、プロレス雑誌はアメリカからの輸入なので高い。さらにその後、HMVに入るが、洋楽も聴かないし、洋画も観ない私が見に行くのは、プロレスDVDコーナー。曙VSビッグショーが行われたレッスルマニア21のDVDがあった(40$)が、購入せず。
3時半になり、すっかり歩きつかれたので、mall内のインターネットカフェに入る。「わざわざオーストラリアに来てまでネットカフェに入らなくても」と思われるかもしれないが、こういう時の時間潰しにはちょうどよい。日本にいるときはめったにいかない(いけない)し。
受け付けでの会話はほとんど通じたが、「コンピュータの番号はフォーティーノーンです」といわれて若干悩む。「フォーティーナイン」だった。
座ってみると、日本語は普通に表示も入力できるので、ここでこうして打っているわけである。
この後は、6時から、SさんとKさんと3人で、近くの中華街で食事。明日はゴールドコーストでお土産買いまくり?

2005/07/29

センチメンタルカンガルーと城島後楽園遊園地の思い出

 そのつもりで来たのではあるが、ネット環境があまりに普通なので、普通にブログは続く。
 今日はドリームワールドに行ってきた。1個前の記事に書いたが、あんまり遊園地には行ったことがない。しかし、 ドリームワールドに近づいて高い塔が見えたときに思い出した。そうだ、城島後楽園(大分・別府)に行ったことがあるぞ。
 あれはほぼ10年前。同僚5人(男ばっかり!)で別府に遊びに行ったことがあった。ここにしょっちゅうでてくる1課主任のOさんとU君。 それから6課のN君と2課のTさん。今思うと結構謎なメンツだ。あれは春休みが始まった日だったかその翌日だったか。その日、 私の父方の祖母が亡くなった。道後の奥のほうにある斎場でお骨を拾ったその足で、車を飛ばして三崎半島の端っこまで。三崎港に車を置いて、 フェリーで佐賀関へ。先に行ってた残りの4人が迎えに来てくれているはずだったのに、いない。 当時はまだ携帯が普及しておらず連絡のとりようもない。1時間ほど待ったら来てくれた。 バッテリがあがったかなんかのトラブルで遅れたのだった。で、別府のかんぽの宿に泊まって、翌日城島後楽園へ。 あそこにもフリーフォール系の乗り物があって、私は乗る気満々だったのに、残りの4人はしり込みする。 しかし結局無理やりみんなを乗せたような気がする。 

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  あれから10年。すっかりビビリになってしまった私は、絶叫マシーンにはひとつも乗らず、 コアラやトラを眺めて (こいつら何考えて生きてんだろう?) などとたわいもないことを考えながら、園内を1周したので、 メインストリートのオープンテラスでコーラを飲みながらiPodで歌を聴いて時間をつぶす。「ムーンライトダンス」とか 「サマータイムブルース」とかが聴こえてきた時に、今度は17年前を思い出した。
 大学に合格し、秋まではちゃんと大学に通った。駒場祭で演劇をやるとこまではOKだった。しかしそれ以後、 ひきこもりになって翌年の3月まで。これじゃいかんと思って、バイトを探した。出身塾の講師の仕事が見つかり、旧日本テレビ社屋の近所 (=麹町)の塾へ週4回バイトに行くようになった。有楽町線「麹町」や中央線「四ツ谷」が私の庭になった。 大学2年目から5年目まで一生懸命バイトしてたような気がする。ちょうどこの7月29日あたりは夏期講習前期で、 9:00~12:00は小学校4年生に算数国語、13:30~16:30は小学校6年生に算数国語理科社会、 18:30~21:30は中1か中2に英数国、って1日9時間労働だよ。ちなみに中1か中2の英語が一番得意だったことはいうまでもない。
 で、夏休みにこれだけ働けば金もたまる。その金を持って、大学2年の9月中旬から3週間、シドニー→メルボルン→アデレードに行った。 しかし今回の仕事とは違い、学生の旅行なので別に毎日しなければならないことが決まっているわけでもない。
 ある日、名前は忘れたがシドニーにある大きな公園の芝生の上に大の字になって、ウォークマンで美里の「ribbon」と斉藤由貴の 「age」を交互に聴いていた。
 「age」の方は「Lucky Dragon」とか「In my house」あたりをよく覚えているが、 斉藤由貴の方はうろ覚えで書くとH君にツッコまれるのでこのくらいにしておく。
 「ribbon」は前にも書いたが、「センチメンタルカンガルー」に始まり「10years」に終わる。
 ♪あれから10年も この先10年も 振り向かない 急がない 立ち止まらない~
 当時19の私は、9歳の時のつらかった自分を思い出していた。あの年から小学校卒業までの4年間は19年の人生で最悪だったと。しかし、 繰り返し繰り返し「10years」を聴きながら、「この先10年」、つまり29歳の自分を想像することはできなかった。 9歳から12歳までもつらかったが、まさか29歳の1年間が、あんな地獄のような日々になるとは。 ここの読者には30歳~31歳の私を知っている人もいるはずだが、あなたたちのおかげで私は救われたのである。


 なげー。とりあえず今日は、やめとこ。以下、個人的に伝言である。
3課のW君へ。返事くれなかったんで明日のフリータイムは自分で考えます。
真ん中のTさんへ。というわけで、8月6日、東京出張帰りに西武ドームに寄ってきてください。
隣のSさんへ。ご面倒をおかけしますが、8月6日、電話してください。
副社長補佐のCさんへ。会社のWEBをリモートでダイレクト更新できたからといって、台風時に緊急連絡網代わりに使おうなんて魂胆は、 やめましょう。
2課のS君へ。なんでsin2θ+cos2θ=1になるんだったっけ?
隣のTさんへ。ちゃんと自動車学校行ってる?
真ん中のMさんへ。ワインなら何でもいい?だめ?
1課の皆さんへ。オージービーフは無理かも。

彼は走るが、私は走らない。

 オーストラリア3日目。今日もお客さんたちは語学研修。私は昨日、 会社のWebをFFFTPで直接更新してこの3日間の様子をアップ。今日は、とりあえず12時までは待ち時間。Sさんは、 400mトラックをランニング中。何周しているのかは不明。
 今日の午後は、ドリームワールドという遊園地に行くらしい。私はあまり遊園地というところに行ったことがない。子供のころは大阪・ 豊中に住んでいたので、宝塚ファミリーランドにはちょくちょく行ったが、その後はとんと。 東京時代も結局ディズニーランドには1回も行かなかったし、後楽園ゆうえんちは、毎日のように丸の内線から眺めてたけどこれも一回もいかず。 よみうりランドもコンサートでは2回行った(河合奈保子&中森明菜)が、遊園地そのものは行かず。西武園も同じ。 だって遊園地なんて一人で行くところではないだろう。
 さて、Sさんはまだ走っているらIMG_0005 しい。私はよっぽど気合入れて3キロが精一杯だが、 彼は普通に毎日10キロくらい走りそうである。

 

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2005/07/28

上乗せして停学1週間

 今日からお客さんたちは、午前中は語学研修である。その間に別室でインターネット環境を調べると、LANケーブルが来ていたので、 ADSLで快適。これで会社にたくさん写真を送ることができる。宿からだとダイアルアップなので38Kbpsくらいしか出ないのできつい。 なまけて写真を送らずにいると、Cさんから国際電話で『早く送ってこい』と催促の電話がかかってくるので、急がなければならない。
 午後はブリズベン川を通勤バスのように運行しているフェリーを使って、ブリズベンの中心街へ。ブリズベン市の面積は非常に広い。 中心街に出るのに、1時間くらいかかった。そして、大街道×1.5くらいなアーケードでフリータイム。1時間。 私は普段使っていたデイパックがとうとう完全にぶち壊れた(このデイパックは日々愛用していたものだが、 かつてこの中に東芝のリブレットを入れていたときに、フライブルグ通りの横断歩道のないところを横断しようとして小走りしたら、 紐が解けて思いっきり道路に落ちてしまい、その結果リブレットが故障したという思い出がある。ちなみにそのリブレットは 「見ただけで壊れたコンピュータが直る」Fさんに預けてみると、 「いったん分解してまた組み立てたら直ったぞ」と言われた。)ので、購入。24ドル90セント。その後、 セブンイレブンで、コーラと「数独」を買った。ブリズベンでもコンビニかよ。で、集合場所近くのニューススタンドをのぞいたが、 ここはアメリカでもメキシコでもないので、プロレス関係のものは新聞も雑誌も売ってない。しょうがないので(?)タバコを購入。 一番安いやつでも7ドル90セント。(=600円前後。)高いよ。その後、「お前、タバコ止めるんじゃなかったんかぁ? 」とSさんにツッコまれる。パッケージには「Smoking kill」の文字。うーん。
 フリータイム終了後、集合時に某お客さんが、「荷物置き忘れたぁ」と言って、 あわてて走って戻っていった。さらに戻ってきて、「ありましたぁ」。 「何が入ってたんですか?」と聞く私たち。「パスポートです」… おいおい。頼むよぉ。しっかりしてくださいよぉ。
 午後5時30分にお客さんたちをホームステイ先に見送り、そこからは現地ガイドのKさんと、Sさんと3人で、「新居浜イオン」 的なショッピングセンターに行き、夕食と買出し。その後、大型タクシー(=ミニバン)で宿に戻る。20時半。
 明日も午前中は語学研修、午後はドリームワールドという遊園地に行く予定である。今日もみな無事である。

 ところで、このツアーの間に一日、われわれはお客さんと離れて完全にフリーな一日があるのだが、 果たしてこの日はどう過ごせばよかろうか?かつて同じ出張に行ったことがあるWさん(日本人の方)、あなたの時もフリーな日はありましたか? あったらどう過ごしたか、コメントかメールで教えてください。

2005/07/27

帰国後、停学3日

 昨日は予定より遅れて22時に離陸した。離陸後、時計を1時間進めた。今後はオーストラリア時間。 0時前に飲み物をと言われたので隣のSさんを見習って缶ビール(350ml)を飲んでみた。その後、1時ころに機内食を食べた。そして、 3時ころ、異常に気分が悪くなり、これはきっと吐くのであろうと思って、隣のSさんを押しのけて、トイレに向かおうとしたが、 座席のすぐ後ろの配膳コーナー&乗務員座席のところまでいったところで、目の前が真っ白になって卒倒。その後しばらく、 毛布を敷いてもらってジャンボの床で寝た。20分ほど安静にしてたら復帰。缶ビール1杯で死にそうな思いをした。機内で飲むもんじゃない。
翌朝、7時にブリズベンに到着。その後も予定を順次こなしていき、21時にモーテルの自室に戻る。インターネット接続を試してみると、 意外なほどあっさり接続できてしまった。1アクセスごとに50セント(=45円)と、1分ごとに10.5円かかるけど。 今日はとにかく疲れたのでもう寝る。昼間の様子は会社のWebのほうに明日更新する予定。 

2005/07/26

大泉逸郎とか香西かおりとか

 関空44ゲートにて、NHK「歌謡コンサート」視聴中。
 現在までのところ、何の問題もなし。30分後に搭乗予定。1時間後に離陸予定。これにていったんブログ更新は終了します。次は一番早くて明日の夜。

徳島道上で「ドラえもん」。

 吉野川ハイウェイオアシスに14:30に到着。15分休憩後、さらに徳島道を東上中。
 バス内では「のび太の大魔境」上映中。それなりに楽しんでいるお客さんたち。しかし、何となく国内旅行気分である。

♪逢いたくなった時に君はここにいない

 さあ、出発である。準備万端。あれ?iPodは?家にないから、会社にあるかと思ってたのに、会社にもない。 いったん家に帰って探してみたけどやっぱりない。もう一回会社に戻ってきて探してみたけどやっぱりない。しゃーないから、 「M'sRenaissance」だけ、iTunesでノートパソコンに取り込んで持っていこ。行方不明のiPod。 自宅の片隅で眠っているか、あるいは先に関空に送った荷物の中に入っているか?ともあれ、出発まであと2時間。天気は快晴。なんじゃ、 こりゃあ。
…時間があるので、もう一回家に戻ってみようと思い、車に乗り込み、バックミラーを見たら、後部座席の奥に白いコードが見えた。あった。 何でこんなとこに置いたんだろう?ともあれ、これでバス6時間+飛行機8時間の暇が多少はつぶせる。

2005/07/25

嵐の素顔

♪あーらしをっ おーこしてっ すーべてをっ こーわすのっ
 って、そりゃ困る。台風とか来てんじゃねーよっ、と文句を言ってみるが、気象条件には勝てない。
 明日は関西空港までバスの旅になった。もしかしたら夕方には普通に晴れてて、 「こんなんやったら飛行機でよかったやん」ってことになるかもしれないが、ま、安全策ということで。
IMG_0072re  「EOS3(=銀塩カメラ) 持っていけーやー」と言っていた友人U君が、本当にフィルムをくれた(5本。現像割引券1500円分つき) ので、キスデジと共にEOS3も持っていくことにする。それはいいけど、のしが手書きな んですけど。子どもの落書きかよっ(笑)


IMG_007317年前のオーストラリア旅行の時に持っていったX線防止バッグ。 今回も持っていこうと思っていたが、JTBのKさんから、「これに入れると、X線通過する時に真っ黒に写るので、 不審物扱いされて通過に時間がかかるからやめたほうがいい。感度が低いフィルムならこれに入れなくても大丈夫。 」と言われたので、持っていかないことにする。
 というわけで、明日、出発である。このブログが継続できるかどうかはわからない。とりあえず明日は携帯電話からの更新が可能だが、 あさって以降は未定。それでは皆さんごきげんよう。帰国は8月10日。松山に戻ってくるのは翌11日の午前中です。

2005/07/24

けんかをやめて 河合奈保子さん誕生日

 今日は7月24日。河合奈保子さんの誕生日。ウィキペディアによる「河合奈保子」の説明はここ
 1988年の7月24日、よみうりランドEASTでのバースデーコンサートに行った。 83年から始まったこのバースデーコンサートはこの年で終了した。浪人してたらアウトだったが、 現役で大学に受かったおかげでぎりぎり間に合った。
 当日の様子は、DVDになって今も観ることができる。あれから早17年。彼女はほぼ引退状態にあり、姿を見ることはめったにない。 こないだ買った「全員集合DVDBOX」の中でゲストに出てたくらいか。全員集合のハプニングの中に、「8時2秒の停電」があるが、 あの時も彼女はゲストに出ていた。
 他、MBSヤングタウン火曜日(1984~1989)でハガキを読まれた話やら、 県民文化会館でのNHKFMの公開録音の時に一六タルトを手渡した話(1986。高2)やら、松山市民会館での唯一のコンサートの話 (1986/12。高2)やら、語りたいことは多々あるが、省略。
 
 私が勝手に選ぶ河合奈保子シングルベストテン

  1. ハーフムーン・セレナーデ (1986年11月28日)  作詞:吉元由美 作曲: 河合奈保子
  2. 北駅のソリチュード (1984年12月1日) 作詞:売野雅勇 作曲: 筒美京平
  3. デビュー ~Fly Me To Love~ (1985年6月12日) 作詞:売野雅勇 作曲: 林哲司
  4. ジェラス・トレイン (1985年3月5日)  作詞:売野雅勇 作曲: 筒美京平
  5. THROUGH THE WINDOW~月に降る雪~ (1985年12月12日) 作詞:Peter Backett/訳詞: 売野雅勇 作曲: Peter Backett
  6. けんかをやめて (1982年9月1日)  作詞:竹内まりや 作曲: 竹内まりや
  7. ラヴェンダー・リップス (1985年10月3日)  作詞:売野雅勇 作曲: 林哲司
  8. UNバランス (1983年9月14日)  作詞:売野雅勇 作曲: 筒美京平
  9. エスカレーション (1983年6月1日)  作詞:売野雅勇 作曲: 筒美京平
  10. 涙のハリウッド (1986年4月1日)  作詞:売野雅勇 作曲: 林哲司

 ファンになったのがヤンタン以後(1984~)なので、前期の曲(「スマイルフォーミー」とか「愛をください」とか) が1曲も入ってない。
 1位は岩崎宏美の「思秋期」(ここで聴けます) のパクリといわれつつ、2位はワムの「ケアレスウィスパー」 のパクリといわれつつ、8位もドナサマーの 「情熱物語」 のパクリといわれつつ。
 3位は唯一オリコンで1位になった曲であり、当時ファンの間では大いに盛り上がったものである。ちなみに「fly」 という動詞に他動詞があるのを知ったのはこの曲がきっかけであった。
 4位。河合奈保子は歌上手かったんだよということを知ってもらうにはこの曲が一番。サビの高音がすばらしい。
 5位。ビデオ「ナインハーフ」(同名映画とは無関係。)には、この曲のイントロを伸ばしたバージョンが収録されているが、 ちょっとしつこい。シングルバージョンのほうがよい。
 6位。雑誌のインタビューで彼女は、この曲について、「今度の曲には『ごめんなさいね、 わたしのせいよ 二人の心 もてあそんで ちょっぴり 楽しんでたの』っていうちょっと大人っぽい歌詞もあって」 と述べていた。当時、彼女は19歳。それを読んだ私は(「二人の心もてあそんでちょっぴり楽しむ」のが「大人っぽい」 のだとすれば、そんな大人にはなりたくないなぁ)と思った。当時、私は13歳。中途半端にマセたガキであった。
 7位。3位の「デビュー」に引き続き、オリコン1位を!と思ったが、そうはならず、この曲以降、シングルの売り上げは急激に落ちていった。 しかし、いい曲ではある。作曲の林哲司(ウィキペディアではここ) は、「歌いだしがいきなりサビ」という曲が多いという印象がある。 3位も10位もそうだし、他の提供曲だと、菊池桃子の 「雪に書いたLove Letter」とか、中森明菜「北ウイング」とか、 そのほかにも。
 8位&9位はそこそこ売れたが、ファンになる前なので思い入れは若干低い。
 10位は、VHSビデオデッキを購入した直後だったせいで、いろんな歌番組で歌っていたのを録画しまくっていた記憶がある。 しかし86年時点でもはや23歳になってしまった彼女が歌うにはかわいらしすぎる曲だったような気がするが。その意味では、 自分のデビュー曲を2005年となった今でも歌える松本伊代はすごい。いやホントに皮肉ではなくて。

 久々に、純粋に身辺雑記以外のネタだったが、読んでくれる人はいるのだろうか?今日の参考はこことかこことかここ

2005/07/23

悲しくてやりきれない

♪かなぁしくて、かなしくてぇ、とてぇも、 やぁりきれぇない このかぎぃりない むなしさのぉ すくいはないだろかぁ
 今日はあんまり書く気力もわかないが、そうは言ってもたぶん、書き始めたら長文になるのであろう。
 というわけで、今日のテーマソングは、「悲しくてやりきれない」。原曲はザ・フォーク・クルセダーズ(1968・ここで音が聴こえます) だが、奥田民生も歌ってる(2002)って知ってた? もしかして常識?>W君
 しかし、私が知ってるのは原曲でも奥田民生カバーでもなく、渡辺美里カバー(2002・「Cafe Mocha~うたの木~」に収録。)である。 たぶんこの曲は他にもいろんな人がカバーしてると思うが、 美里のカバーもなかなかいい感じ。 ちなみにこのカバーアルバムは他の曲もなかなかよく、陽水の「闇夜の国から」とか、ロバータ・フラックの (というより、 ネスカフェのCMソングだな)の「やさしく歌って」 (ここから選べば音が聴こえます。 )なんかもよい。ただ、「Moon River」 を聴くと、 美里の歌唱がどうとかいう以前に、かつての「ボキャブラ天国」 での名作、 「うーん、 千葉ー」 の映像が思い出されてしまう。って、 こんなネタわかる奴いるかなあ? こんなページあったけど。

 今日も8時出勤。最近は声を荒げるようなことは何もない平和な毎日だったのだが、今日は出社後、久々にわめく。 段取りを踏もうとしてミスをするのと、はなから段取りを無視したあげく、まずいことが起こるのとでは、大きく違う。
 午前中は、ある仕事を片付けたとたんそれが反故になるという事態が生じ、大いにやる気をなくす。
 昼食は、1課の先輩たち3人とともに食事。主任Oさんはいつもいつもおごってくれそうになるので、今日はみんなで自腹。
 午後。社員会議。久々に話さなければならなくなった。私がこの会議でしゃべることはめったにないが、話す時は、 論理が破綻しないようにするために、必ず原稿を書いてから話す。が、今日はその余裕なく、思いつきでしゃべったら感情が先走って、 何を言ってるのか自分でもわからなくなって崩壊。ある件に関して怒るはずだったが、私が一生懸命しゃべってるのにもかかわらず、 ヘラヘラ笑ってるやつの顔が見えてしまってからは、何だか哀しくなってきて、もうどうでもよくなった。興味がなくても黙って聞いてろ。 30分も1時間も話し続けるわけじゃないんだから。
 しかし、哀しくはなったが、FさんやNさんが補足してくれたので多少は救われた。
 会議後、あまりの疲労のため、OAルームのソファーで仮眠。そこに某同僚から電話。「ごめん、ちょっと来てくれ。 」…行ってみた。 「すまん、決算でミスった。」うわー、 あの会議の直後の決算ミスって、最悪のタイミングやん。
 その後もさらに待ち時間。待つのも仕事のうちではあるが、今日の待ちはつらかった。「雨男」、じゃなくて、「台風に好かれる男」、 では語呂が悪いな。「嵐を呼ぶ男」(?)にしとこう、中央に座っているS部長とともに、 「視線でタバコを要求してくる」 Fさんの営業が終わるのを待つ。その途中、S部長の後ろの 「年に数回、ハスキーボイス」なSさんに「疲れてるでしょ?」 と声をかけられる。そうか、きっとやぶにらみだったな。たいてい、疲労&飲酒&写真撮影の3つの要素のどれかで私はやぶにらみになる。いや、 社内で酒飲んじゃいないけど。
 Fさんとの折衝が終わり、ようやくすべての仕事が終わって、退勤したのは5時半。帰宅途中、H君から「谷村有美なら、 『今がすき』もいいけど、コンサートラスト定番といえば『Tonight』だね。 」という内容のメール。

2005/07/22

ウエディング・ベル ♪くたばっちまえ、アーメン

 今日は決算日。今日も1課は、主任のOさん中心に、笑いが絶えない楽しい職場。ボケる、ツッコム、またボケる、さらにボケる。 それはいいけど、皆、ちゃんと仕事せーよ(笑)。
 午前中は、オーストラリア用のネット接続セット(モデムとか、コンセントアダプターとか、その他いろいろ。ここで買った。)が到着したので、 それのセットアップなど。午後は、 とある会議に出席しなければならなかったが、決算締め切りの2時とバッティングしたので途中退席。 決算処理についての詳細は書かない。
 退社6時。あれ?いや9時半だったかな?何時に帰ったんだか忘れた。
 帰宅後、月曜の「月曜ミステリー劇場 神隠し真珠郎」をもう一度観る。 やっぱり古谷一行の金田一は観てて落ち着くわ。お約束の三点倒立もやってたし。しかし、今どき、部屋で三点倒立する人間なんているか?あ、 西村修ならやってるかも。(西村修とは、新日本プロレスのレスラーである。「長州力に、レスラーとしてのスタイルはもちろん、 人格までも全否定された」と彼は言い、 「がんを患ったのはそのストレスのせいだ」とまで言う。しかし、インドでの長期滞在等を契機として、 西洋医学に頼らずにがんを克服し、今となっては、インド&中国思想に影響を受けた独自の死生観に基づく発言で、異彩を放っている。 公式ページ
 で、田中美里とPuffyの大貫亜美って似てない?似てるよねぇ。
 で、あの当時(って、時代設定がいつかわからないが)は、まだカラーコンタクトはないんじゃないかなぁ?
 で、要するに神山繁が悪いんでしょ?「政宗」のときの神山繁の遠藤基信は善い役だったけどねぇ。いかりや長介の鬼庭左月とのかけあいとか、 北大路欣也の輝宗の墓前での殉死シーンとか。
 で、あの救いようのないラストシーンは何とかならんかったのか?稲垣版「八つ墓村」も救いようがないと言えば、なかったが、 今回は観終わった後、「八つ墓村」の時以上に、もやもやしたものが残った。
 今日の参考は「金田一耕介博物館」。 その中で、いろんな人たちが「真珠郎」 の感想を書いているのはこのページ

2005/07/21

喝采 ♪あれは3年前~

 今日も営業。午前中4つ。午後は明日の決算に向けてのもろもろの準備。それが一通り終わって中央に遊びに行くと、U君が 「オーストラリアにEOS3持っていくん?」と聞くので「持ってかない」と答えると、「持っていけやー。 持っていくんならフィルムあげるのに」と言う。オレが持っていくものをオマエが決めるな(笑)。 会社に報告するためには銀塩よりデジのほうが便利なのは言うまでもない。
 で、そのU君の隣のSさんに、「Sさんがデジカメ持って行ってくれたら僕はデジは持ってかなくてすむんですけどー。」と言うと、 「僕はデジタルビデオしか持っていかない。帰ってきたら編集してね。」と言われてしまった。ゲゲゲ。
 「編集」…何の変哲もない二字熟語であるが、その含むところは非常に大きい。
 あれは3年前の9月。とあるお祭りに短編映画を出品したいというお客さんたちの依頼を受け、パソコンでのビデオ編集に携わった。が、 彼らはパソコンに疎いのはもちろんのこと、映画の作り方もまったくわかっていない素人集団であり、 どのシーンにどんなBGMやSEを入れるかなど考えているはずもなく、それどころか恐るべきことに台本すらなかった。 脈絡なく撮りたい順に撮った何十ものシーンを、彼らの意図するとおりの順に並べ替える作業は地獄の苦しみであった。 上映前日は朝8時半から彼らとともに編集作業。しかし、その日の午後6時ころにお客さんたちは帰宅してしまい、 そこからはOAルームでの孤独な作業。8時になり10時になり、日付が変わり、2時になり4時になり、5時にようやく23分間の映画が完成。 その後OAルームのソファーで仮眠。後にも先にも、会社に泊まったのはその日だけである。1時間前後の仮眠の後、 早出していたW君に上映会場の設営を託し、(いや、違う、会場設営のことまで頭が回ってないまま私が眠っていたので、 W君が気を利かせてやってくれたのだったか?)その日の午前中は泥のように眠ったのであった。
 毎度書いているが、コンピュータの処理では、待ち時間が長い。この時も、編集作業そのものは2時くらいに終わっていた。しかし、 パソコンのハードディスクに保存された動画データをデジタルビデオテープに書き戻す作業に時間がかかる。 23分の作品だから23分で書き戻せるというようなものではない。この時は、コンピュータに勝手にやらせておけばいいというわけではなく、 書き戻した結果、正しく再生されるかどうかをプレビューしなければならなかったので、結局この最後の行程に3時間あまりかかったのである。
 ちなみに、この日の午前2時、編集作業に疲れた私が息抜きにメールチェックしてみたところ、 当時履歴書を送っていた某アウトソーシング系の企業から面接通知が来てて、(よし、これで転職できる!)とOAルームで小躍りし、 祭が終わった後の連休中に、大阪のその会社まで採用一次面接を受けに行ったということを知っている人も少なくはない。
 ちなみに、この年の10月の10日過ぎの社員全体会議の時に私が大演説をぶったことがあったが、あれは転職しそこなった八つ当たりである、 というのは事実ではない。
 あ、今度のビデオは映画ほど面倒ではないので、ちゃんとやりますのでご心配なく(笑)>Sさん
 

2005/07/20

タイガー&ドラゴン ♪俺の俺の俺の話を聞け!

 おととい昨日とチャラチャラしていたが、今日は朝から臨時営業。15:00まで。そこまでで今日の仕事は終わりのはずだったが、 社内の私が管理しているコンピュータルームを勝手に使用しようとしている同僚がいたので、ストップをかけるために立ち会うはめになる。 所要1時間半。
 その人は異常に段取りが悪く、前もって使用について話を通してくれていれば、私も怒りはしないのだが、ぎりぎりになって、 言いたいことだけ言って勝手に使おうとするので激怒。しかも、ようやく話をしに来たかと思ったら、その話をしてきたのが、 先週土曜日の飲み会の乾杯の挨拶の直前。私は幹事だったので、会を始めるための仕切りをしようとしていたのに、彼は、 こちらがその話を聞ける状態にあるかないかなど考えもせず、最悪のタイミングで、一方的に私に話しかけてくる。
 今日になって、その話をW君にしていたら、W君の対面のO君が、「あれは最悪ですね。あなたが怒るのは当然でしょう。」 と言ってくれたので、溜飲が下がった。私もコミュニケーション能力には欠けているほうだが、あの人はもっとひどいと思う。

2005/07/19

スパルタンX

 11時過ぎに出社。実はまだ50枚残っていた書類処理をさっさと終わらせ、明日の臨時営業用の書類印刷。そこで、Oさんと、 借りっぱなしのCD「そうかな」(小田和正)と貸しっぱなしのDVD「風のように歌が流れていた」とを交換。
 自席に戻ろうとすると、通りかかったOさんからビデオテープを渡される。もちろん昨日のNOAH東京ドーム大会。いつもながら、 頼んでないのにちゃんと録ってまわしてくれる、ありがたい先輩である。
 休憩室でタバコをすっていると、Oさんが現れたが、互いに忙しく、どうやらしばらく碁は打てそうにない。
 先週の飲み会やスポーツ大会の会計処理も終わったので、早いけど今日はもう帰ろうかなと思ってたところに、 注文してあったOさんのノートパソコンが到着したという連絡を受け、取りに行って、その後、諸設定。 ワープロ文書変換ソフトのインストールがイマイチうまくいかず、今日は諦めて帰る。
 帰り際、Cさんに「帰ってもいいですか?」と聞くと、「待て、質問がある。 」と引き止められるも、いざコンピュータをつけたあと、「やっぱり質問は明日にする。 」って、何やソレ。
 引き続き、中央のUさんに「帰ってもいいですか?」と聞くと、「さっさと帰れーや、 ワシゃ帰れんのよ」と広島弁で罵声を浴びせられたので(笑)、おとなしく帰った。
 帰宅後、ビデオ鑑賞。第2試合まで観たところで寝てしまう。セミの途中で目覚める。健介VS小橋はよい試合だった。 両者合わせて200発もの水平チョップの打ち合いや、カウント19でリング内に戻ってきたりするのを、「八百長」 と呼ぶ人は呼ぶかもしれないが、そういうのを超越している試合だったと思う。解説の高山善廣の相変わらずの「頭の良さ」もいい感じ。
 メインの三沢VS川田も、若干ピークは過ぎてる感じはしたものの、やっぱりよい試合だったと思う。セミと、メインと、 セミ前の天龍VS小川良成と、あと1~2試合くらいで、アオリVTRも含めて、地上波ゴールデン2時間番組なら十分できると思った。 PRIDEやK-1を否定はしないが、プロレスもおもしろい。

2005/07/18

ロンリーチャップリン

 ・マクドナルドのCMに中邑&棚橋がでているが、辻よしなりと山本小鉄しか目立ってない。
 ・パチンコはしないが、ウルトラセブンの必殺技が、1にエメリウム光線で、2にアイスラッガーで、3にワイドショットなのは知ってる。 リアルタイムだし。DVDで48話全部持ってるし。

 さて、今週末の決算にむけて皆必死で書類整理や臨時営業をやってるのを横目に、今日はフレックスだったので、 朝礼が終わったころに出社して、昨日の「新聞社員ごっこ」の結果を皆に発表した。それにしても、我ながら思うが、無愛想なしゃべりに比べて、 書いた時の私のなんと饒舌なことよ。
 さらに「カメラのキタムラごっこ」で、先週のテニス大会や飲み会の写真(L判)を200枚ほどプリントアウトした。こないだも書いたが、 テニスプレーヤーはもちろんのこと、酔っ払いの皆さんも非常によい表情で写っていた。その中にたった一枚、私が写っている写真があったが、 例によっての斜視の酔っ払いで、醜悪極まりなかったので削除した。自分の顔ながら正視に耐えない。やれやれ。
 夕方、ある部屋でテレビを見ていると、「犬神家の一族」(石坂浩二版)をやっていた。最後まで観たかったが、 邪魔になるので途中で部屋を出た。石坂浩二なぁ、彼の水戸黄門もよかったんだが。いや、よかったのは、石坂浩二そのものというよりは、 当時レギュラーで出てたコロッケの演技である。そりゃもう「シンデレラハネムーン」のシの字も出てこないような、渋い役者だったのだよ、 あん時は。(水戸黄門29部30部
 小銭の入れすぎで財布がブチ壊れたので、フジグランで新しいのを買った。何年かぶりにフジに行ったら人の多さに疲れた。 あの程度の人で疲れたら、もう東京なんて絶対行けない。
 帰宅後、テレ朝の月曜ミステリー劇場「金田一耕助 神隠し真珠郎」(古谷一行版)を録画しつつ、裏の日テレの「モノマネバトル」視聴中。 北斗&健介が「ロンリーチャップリン」。ついにモノマネまでやるようになったか。歌唱力に見るべきものはなく、デオチではあったが、 微妙に鈴木聖美に似てる北斗がイヤ。そしてその直後、お約束で神奈月と長州小力登場。神奈月は、健介が相手ということで、いつもの 「ヒザの悪い武藤敬司」ではなく、「馳浩」で登場。相変わらず似てたけど、みんなわかってなかったと思う。
 その後、80年代アイドルのモノマネコーナー。早見優&布川敏和&松本伊代をゲストに迎え、当時の曲をいろいろ。 恥ずかしがりつつもきっちり「夏色のナンシー」を歌う本人と、思いっきりノリノリで振りつきで「NAINAI16」を歌う本人と、 ダンナの目の前でテレながら「センチメンタルジャーニー」を歌う本人(♪伊代はもう40だけど~)
 うわー、やめてー、荻野目洋子をやらないで。松浦亜弥だけにしてー。>前田健。
 今日のMVPは、前回の完璧なポルノグラフィティに引き続き、尾崎豊「十七歳の地図」を完璧に歌った青木隆治。次点は、 ホリの持ちネタに敗れたものの、抜群の歌唱力で美里の「My Revolution」を歌った西尾夕紀。

 あ、NOAHの東京ドーム、どうなった?健介は今日は小橋と死闘を繰り広げていたはずだが、テレビでは「ロンリーチャップリン」かよ。 (悲)

 明日もフレックスなので適当に出社しまぁす。そろそろオーストラリアの準備を始めないとやばくないか?

2005/07/17

コンビニ・ラヴァー

 今日は会社は休みだったが、昼前に、サクラメントのキタムラでL判用紙とプリンタインクを買い、その横のローソンで昼食を買い、 その後、出勤して、カメラマンと記者と整理と校閲と印刷、独りで5役こなして「新聞社員ごっこ」をしていた。
 4時ころ終わったので退勤。その後三時間ほど昼寝。起きた途端、ブルー。他人のことを躁だの鬱だの言ってる場合ではない。ただし、 ブルーな理由ははっきりしている。ただここには書かないだけである。
 憂鬱なので、車で出かけた。憂鬱な時は南より北へ行くべきだろうと思い、家を出てすぐ左折。BGMには、「北へ」(久宝留理子・ 「blue to blue」1995)がほしかったが、用意できず、結局気分とは正反対の「happiness」(岩崎宏美・ 2004)になってしまった。フライブルグ通りからR196を北上。途中、明屋城北店に寄る。松田聖子の25周年記念アルバム(オリジナル& ベスト)とか、岩崎宏美シングルコンプリート3枚組などに目がいくが、購入せず。それより、 柏原芳恵25周年記念アルバムのほうがびっくりである。さらに今調べたらBOXも出てるらしい。(ユニバーサルミュージックのページ。 )去年も別のBOX買ったんだがなぁ。 さらにさらに南野陽子ライブDVDBOXとか、ピンク・レディーライブDVDとか。 誰か私に100万円位ください。
 さて、少なくとも堀江よりは北に行かないと、「ぜんぜん北に行ったことになってない。」と絶対言われるので、さらに北上。 めったに通らない旧道を通り、北条市街のクランクを越え、道の駅も越え、菊間に入ったところで (キクマもあんなことしちゃだめだなー) などと何の関係もないことを思いつつ、Uターン。 その直後、(あ、今日の「堂本兄弟」のゲストは小島奈津子だったのに見逃したぁ) と思いながらその時点で10時前だったので間に合わず。「EZTV」には間に合ったかもしれないが、あの番組はあまり好きではない。 小島奈津子と言えば、やっぱり「ボキャ天」か、「めざましTV」のパン屋さん中継だな。(フジテレビのページ)……あ、まちがえた。「堂本兄弟」のほうが「EZTV」より後だった。 ということは、その時間には家に帰ってたのに。結局見損なった。残念。
 堀江から運転免許センターに回り、観光港の明かりを見ながら、高浜トンネル経由で帰宅。途中、 三津浜東のひめぎん近所のローソンで夜食を買う。最近、一日二回のコンビニが当たり前になってる。日によっちゃあ三回行ってる日も。うーん。

2005/07/16

SOLITUDE→愛のために

 今夜は、「♪二十五階の非常口で、風に吹かれて爪を切る(「SOLITUDE」中森明菜・1985)」ならぬ、 「♪十四階のイタリアンで、風に吹かれず飯を食う」という日であった。それにしても、どうも全日空ホテルとは相性が悪い。 去年のこの時期の同所での飲み会でもブチっと切れた(詳細は前に書いた) が、今日も、去年とは別の相手に対して、またやってしまった。 あの人は私の何もわかってはいない。
 大好きな人々と2次会。この酔っ払いのような素面のような酔っ払いを、みんな気にかけてくれる。ありがたいことである。
 基本的に酔っ払っておらず、かつ鋭いW君は、「愛のために」(奥田民生・1995)を歌う。「愛のために」はこんな歌。

 となりの席ではフケた男がさんざんからんで人生語る
 どっかで聞いた事ある話だ 思えばあいつは昨日も来てる
 おっさんあんたはそういうけれど いろいろややこしい世の中で
 雨にも風にも夏にも負けず 明るい日本の見本となった

 若いころはしょっちゅう朝まで飲んでたが最近はもうしばらく一緒に飲む機会はないだろうと思っていたTさんは、 この私の屈折を最もよく理解している人の一人である。今日は相当久しぶりであったが、要所要所で気にかけてくれたような気がする。だって 「My Revolution」(渡辺美里・1986)とか歌わんやろ、普通。さらに、「BAD COMMUNICATION」(B’z・ 1989)や「SAY YES」(チャゲ&飛鳥・1991)のデュエット(with 某課の主任Oさん)や、 「WOW WOW TONIGHT」(H Jungle With T・1995)など。
 愛すべき酔っ払いでありいじめられっ子でもある某課の主任Oさんは、いじめっ子のW君が先に帰ってしまったせいでさびしそうだったが、 私が横に寄ってって、いじめられっ子同士で傷をなめあう。彼の高音は相変わらずであり、今日も、本物より上手い「はじまりはいつも雨」 (ASKA・1991)とか、「恋におちて」(小林明子・1985)などで我々を魅了してくれた。
 とある楽器のプレイヤーであるSさんは、今日はおとなしめ。しかし、詳しくは書かないが、彼はやはり見るべき所は見ているのである。
 一番若いSさんは、「愛のバクダン」(B’z・2005)とか、「さくら」(ケツメイシ・2005)などで突っ走る。 彼の高音も相当なものである。今日のラストは彼の「十七歳の地図」(尾崎豊・1983)であった。
 そして私は、「契り」(五木ひろし・1982)とか「Runner」(爆風スランプ・1988)とか「恋人も濡れる街角」(中村雅俊・ 1982)とかやってみたが、やっぱり今日もだめだった。周りのだれも聴いてない(悲)。唯一の収穫はOさんに助けてもらいつつも、 「らいおんハート」(SMAP・2000)をやっとまともに歌えたことくらいか?

 帰宅、17日の0:45。1次会では、うっとうしいことがもう一つあったりして個人的にはイマイチだったが、 全体的にはまあまあよかったのであろう。合わない人とはそれなりでいくしかあるまい。プロレスマニアの私にも、小田和正ファンの私にも、 岩崎宏美ファンの私にも、渡辺美里ファンの私にも、それぞれ話し相手はいる。いつも叩きのめされるけど碁仇もいる。 いっしょに写真をとりに行く友達もいる。私のわずかなパソコンの技術をあてにしてくれる人たちもいる。 「お前は忙しそうやから代わりにやっといてやったぞ」といってくれる先輩もいる。「ちゃんとご飯食べた?」とか 「彼女ができたら報告しなさいよ」とか言ってくれるオネーサンたち(←しつこい?)もいる。
それでよい。

2005/07/15

世界で一番熱い夏 と 空蝉

 昼間、「今日は、『ヒマラヤ』に行った」という話を自席でしていたら、筋向いのY君がビビッてた。いや、「ヒマラヤ」 ってスポーツショップですけど。その勘違いは、私の「香港」の話と同じだぞ。あれ?私の「香港」の話は、 とっくに書いてたと思ってたのに書いていなかった。今日はあれこれあるので、その話は、日を改めて書くことにしよう。
 その後、テニス用にジュースを買いに入ったローソンでは、夏の歌特集で、「夏祭り」(ジッタリンジン?Whiteberry? 前者ならあなたは三十代で、後者ならあなたは二十歳前後で、「何それ?」と思ってるあなたは四十代以上だ、たぶん。)がかかり、「夏が来た! 」(渡辺美里)がかかり、そして「世界で一番熱い夏」(プリンセス・プリンセス)がかかった。そうだ、もう夏だ。 美里はもともとファンなので、「夏が来た!」には意外性も懐かしさもないが、久々にプリプリを聴き、その瞬間だけ大学生に戻った。

 ひとの気分は、ちょっとしたことですぐ下がる。今日は、2時過ぎまでは、昨日一昨日の生活の続きで高揚していたが、 そのあとの社内テニス大会はダメだった。前回の大会の時に書いた(5/255/26) のと同じだが、それにしても。今日も「出りゃいいじゃん」と言われたが、 いくら言われても、ああいう関り方しかできないのが、 私の屈折している部分である。今日もキスデジ&70-200F4で、 ファインダー越しにみんなの表情を追ったが、皆よい顔をしている。 楽しそうでいいなぁ。うらやましいなぁ。 でもやっぱりバレーもテニスも出られない。
 退勤8時。帰宅9時。ふと気づくと、私にとってはケータイ以上に大事なアイテムであるiPodShuffleが見当たらない。 オーストラリア用に買ったのに、出発2週間前に失くしたか?と思ったが、車の中のカメラバッグの中に発見。ほっとした。
 こないだ録画した 「歌謡コンサート」をもう一度観る。 こないだは長山洋子と五木ひろししか真面目に観なかったが、今日は、細川たかし「応援歌、 いきます」(1992)や「北酒場」 (1982)、錦野旦「空に太陽がある限り」(1970)などを観て、カラ元気を出してみる。

 ひとの気分は、ちょっとしたことですぐ上がる。帰宅前に入ったローソンで流れてたのは、聴いたことのない曲だったが、 でも聴いた瞬間にいい歌だなぁと思い、そして、この歌い方と声質は中村雅俊に違いないと思った。かつての彼のシングル、「心の色」 (1981)とか「恋人も濡れる街角」(1982)とか「パズルナイト」(1984)とかって、もう20年以上前の曲だが、当時、 相当な回数聞いてたから、彼の歌い方が耳に刷り込まれているのだろう。(でも同じ中村雅俊の曲でも、ここで「ふれあい」(1974)とか 「俺たちの旅」(1975)がすぐには出てこないというのが、私の微妙な若さである。毎度言っているが、 私の歌謡曲スタートはきっちり1975年からなので、「俺たちの旅」は覚えててもよさそうなものだけど。)
 さらに、歌詞の中の「空蝉(=うつせみ)」という語だけ聴き取れた。初めて聴いた曲の中から「ウツセミ」という音を聴き分けて、 しかもそこから「空蝉」という漢字が即イメージできたというのも、「端くれの」私としては、ちょっとした自己満足だったりするのさ。
 で、帰宅後、「中村雅俊 空蝉」で検索したら、一発で当たってた。(ここ。)しかも、 火サスのテーマソング。しかも、 作詞は一青窈
 どうやら、歌謡曲好きな私の、好きな歌に対する感性(というか嗅覚というか)はまだ失われてはいないようだ。

2005/07/14

圧倒的に片思い そして、誰もそんなことは言ってない。

  相変わらず今日もおもしろおかしく過ごしている。3課のWさんは「いいなぁ、1課は楽しそうで」 と言う。私に言うだけでなく私の隣のSさんにも言ってたらしい。こっちから見てると、3課も楽しそうに見えるが、 躁鬱気質のWさんは、どうやら今はしんどいほうの時期らしい。そこで逆の隣のTさんに「Wさんがしんどそうだよ」 と言ってみると、彼女は「じゃあ、隣のS君は追い出して、ここに座ってくれたら、面談してあげるのに。 」とか言ってた。
 しかし冷静に仕事を振り返ってみると、1課の売り上げが上がっているのかどうかはわからない。このままでは非常にやばいような気もする。
 午前中は、昨日とほぼ同じ。既定の業務のほか、昨日挫折したタスク2(円の方程式)、タスク3(重要なWeb更新)をほぼクリア。 タスク3では校正のTさんから「『行なう』じゃなくて『行う』だぞ。」と言われたが、 「でも、『な』を入れないと、『行った』の時は、なんて読むかわからないじゃないですか?」と、 無駄な抵抗をしてみた。 しかし結局は修正に応じ、アップロード。
 その後、中央のSさん、昨日に続き、再び現る。「今日『相談』。」 …毎日欠かさず読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
 Sさんと入れ替わりで、3課からIさん現る。
 Iさん:「また新しいデータが来たので、(プログラム)組んどいてください。」
 いつものごとくIさんには従順な私:「はぁい」
 …ややこしいかと思ったが、以前に作ったのと同じモジュールを再利用できたので、15分で作成完了。
 6課からSさんが、隣のSさんを食事に誘いにくる。
 Sさん:「あんたも来る?」
 私:「オネーサンたちに僕がいびられる会ですかぁ?」
 Sさん:「やっとすぐに『オネーサン』って言えるようになったねぇ。成長したねぇ。」
 ……「成長」って、あーた、わたしももう、四十前でっせ。1課の中では、充分オッサンである。
 昼食後、社内バレーボール大会。白熱の4試合だったが、試合前の練習で1名負傷。かなり大きなケガ。
 バレーボール大会後、囲碁準決勝。相手は5課のSさん。6子局。まあまあな感じで打ち進めていったが、 下辺から中央に伸びた27子を殺された時点で最後まで打ち続ける気力を失い投了。「まだ投げるのには早いでしょ? 」と相手のSさんからは言われたが、27子打ち上げられたということは、それだけで54目差。とにかく気力切れ。 たとえて言うなら、「高田延彦のキックに恐れをなして、リング下まで逃げていき、試合放棄となったトレバー・バービック」 (1991.12.22/両国国技館)のようなものである(?)。
 終わったはずのタスク3(重要なWeb更新)に重大なミス発覚。急遽修正。安易にコピー&ペーストを使ったのがその原因であった。
 その後、FさんとYさんにWordの小技講義。
 夜、急に決まった、お誕生日会。メンバー4人。6時から二番町でイタリアン→ケーキ。きわめて稀なことに全員ノンアルコール。 私もMさんもよっぽどこないだの日曜日がこたえたらしい。帰宅10:30。
 
 …ところで、タイトルが若干「ただのさお。」 っぽくなってきた。あっちとこっちじゃ20年弱違うけど。 今日は谷村有美である。3年前にアップルコンピュータ社長(当時) と結婚したが、 彼女は久宝留理子と違い、 現役で活動中のようである。例によってのiPodで、 この曲が聴こえてきて、 東京時代に大宮ソニックシティに一回観に行ったことがあったのをふと思い出した。私の中でのベストソングは 「今が好き」なのだが、 いかがでしょうか?>H君。あ、あと、W先生が今度おごってくれるって言ってたよ>H君。

2005/07/13

白い一日

 昨日までで仕事が一段落したのでチャラチャラしてたら、あちこちで罰が当たった。
 始業前。「がんばっていきまっしょい」の日本語に不満を述べていると、Tさんが、「あのロケはどこの学校?」と言う。Tさんは(松山) 西高ではないかといい、北高の近所にかつて住んでいたOくんは北高説を唱える。正解はこちら
 始業直後、なぁんにもすることがないので、W君の邪魔をしにいく。「天山広吉のデビュー戦の会場は今治市公会堂。 ではその相手は?(答え: 松田納)」とか、「グラン浜田のデビュー戦の会場は愛媛県民館。 相手は藤波辰巳」とか、ウチの社内では4人くらいにしか通じないトリビア。するとW君が 「僕は愛媛県民館で天龍VSブッチャーのタイトルマッチを観たことがある。」と言う。ほんとか、それ?
 こんなんならあったが、天龍VSブッチャーは確認できず。
 1982/1/29愛媛県民館
 D・カラス、M・ マスカラスvs鶴見五郎、上田馬之助
 大熊元司、 G小鹿vsK・キニスキー、S・ ハンセン
 J鶴田、 G馬場vsP・オコーナー、N・ボックウィンクル
 その後も、「暇ぁ」とつぶやきながら、フロア中央部を徘徊。 私が忙しいときに限って仕事をくれるCさんは今日は何もくれない…と思ったらやっぱり一つ、 Web更新の仕事があった。(タスク1)
 Tさんは「そんなに暇ならこれを見ろ」といって、なぜか、円の方程式 (x+y=4とか) がいっぱい載ってる資料をくれた。(タスク2)
 自席に戻ると、「M's Renaissance」 が到着していたので、Tさんとともに中身を確認。 ところが、水に濡れていた机の上に歌詞カードを置いてしまい、表面が剥がれて、ヘコむ。
 てな感じで、朝から不良社員だったが、ここでふと、 重要なWeb更新があったのではなかったかと思い出し、副社長に確認。やっぱりそうだ。 「明日までに作ってくれ」「はぁい」(タスク3)
 その後、既定の業務をこなす。その合間に1は終了、2は挫折。
 昼ごろ、中央からSさんがやってきた。Sさん:「相談なんですが…」私:「相談じゃなくて、仕事?」 Sさん:「そう。」(タスク4)もしかしてこないだと同じパターン? が、目の前にいた1課主任Oさん曰く、 「ワシのときはチョコをあげた。」…そういう問題ではない(笑)。
 午後は、こないだのカラオケメンバー4人+2人で、 「ドライブインうなぎや」に行って、うな重。 1課主任のおごり。いまさら言うまでもないが、 ウチの主任は「太っ腹」である。
 帰社後、隣のSさんのノートパソコンのメンテ。(タスク5)メモリ64メガ。今となっては遅い。 せめて倍あれば。しかもWinXPではなくMeなので、なんか設定変えるとすぐ再起動させられるので時間がかかって仕方がない。 結局19時半までかかり、それでも終わらず。
 メインフロアの東西のプリンタ不調。数日前から指摘されていたのに、対処が遅れ、さまざまな部署に迷惑をかける。ごめんなさい。 保守契約を結んでいるので、EPSONから担当の人が来て、直してくれた。私は何もしていないが、 16:30の修理開始から19:00の修理完了まで立会い。(タスク6)
 待ち時間が長い。その間、囲碁トーナメントで勝ちあがってきたSさんが「準決勝やりましょう」と言ってきたが、今日は断る。断ったら、 SさんはFさん相手に打っていた。こらこら、それはもはや決勝カードだぞ。一応オレに勝ってからにしなさい。(笑)
 待ち時間が長い。タスク3・4を仕上げ、5を継続しつつも、5はいったん作業が始まると待ちが長いので、やっぱり暇。すると、 筋向いのY君が「じゃあ、これあげます」と言って、高1生用の数学の模擬試験の問題をくれたので、やってみた。90点くらいは取れた。
 待ち時間が長い。忙しそうな同僚をとっつかまえちゃあ、無駄話。その中の一人が言う。「自分の仕事なら一生懸命やるけど、 この仕事は他人のことやからしんどい。でも誰かがやらないかんのはわかってるけど。」 ………。彼は元々営業畑の人なので、 彼がそう言うのはよくわかるが、対照的に営業下手な私としては、「他人の仕事が円滑に進むようにするためのサポート」 で生きていくしかないかと思うと、やや切ない。って前も書いたかなぁ。
 退勤間際、居残り組組長のSさんと会話。詳細は書かないが、またヘコむ。帰宅中、「悲しいね」(渡辺美里)と「白い一日」(井上陽水、 ただしトリビュート盤なので歌ってるのは玉置浩二。)を聴いてたら、何だか悲しくなってきた。
 帰宅後、数ヶ月ぶりに実家に電話。「床下に換気扇入ってない?」と聞くと、母に爆笑された。 父は2年前のメニエール病からずーっと調子が悪そうだが、とりあえず普通に会話はできる。父には「お母さんはボケてない?」と聞き、母には 「お父さんはボケてない?」と聞いてみたが、どうやらまだどちらもボケてはいないらしい。どっちかがボケたらきっと妹が連絡してくるだろう。 卒論は太宰で書いたという、宮崎の私立高校のまっとうな国語の教員である妹は、産休明けで職場復帰したが、ボーナスがろくに出ず、 ダメージを受けていたらしい。先日の日曜日に「ボーナスいくらやった?」ってメールが来たが、日曜日は酔っ払っててそれどころじゃなかったのさ、って今日もなげーな。

2005/07/12

あのころのG1

 朝、始業前に土曜日用の資料作成開始。9時半に完成。完成後、休憩室で、W君と2人で「橋本真也を偲ぶ会」。所要15分。ちなみに、 普段ちゃらんぽらんな服装の私が、今日は営業もないのにスーツだったのは、ある意味「喪服」であった。 (さすがに黒いネクタイはしていかなかったが。)前回これをやったのはジャンボ鶴田のとき(2000/5/13)で、 その前は馬場さんのとき(1998/1/31)だった。
 それから久々にAccessでプログラミング。かなり面倒なプログラムだったので、自然と独り言が多くなる。 隣から話しかけられても上の空。ごめんなさい。さらに誤操作でデータを一部消去してしまい、しかも元データのフロッピーが見当たらず、 Iさんに確認。しかしIさんもわからないという。「私が持ってるかもしれないし、Iさんが持ってるかもしれないし、わかんないけど、 もしIさんが持ってたら謝ってくださいねー。」って、先輩相手なのにミョーに強い私。やむなく、バックアップファイルから書き戻した。
 苦労の末に12時ころに完成するが、そこで同僚K君から一言。「今日はプログラミング講座は、ないんですか?」…あ、忘れてた。 毎週火曜日の11時40分からはAccessのプログラミング講座だったのに、今日はイレギュラーな火曜日だったので忘れていた。14: 20からに延期。現在、ウチの会社の各種システムはAccessで組んでいるが、プログラミングできるのは、 FさんとIさんとKちゃんと私の4人くらいしかおらず、K君は勉強中である。今日は、「コンボボックスの2列目の指定って、 [コンボ1].column(1)じゃなかったかなぁ?」とか言いながら、うまくいかないままに時間切れ。
 それが終わってから15:40から臨時営業、15分。その後、隣のTさんから、「Iさんが営業中に怒ったらしい。」という話を聞く。 事情を聞くと、Iさんが怒るのはもっともである。怒らせた方の気がしれないわ。
 さらにその後、夏休み前の社内レクレーション大会、囲碁の部(7名トーナメント)。いつものO君相手ではなく、公式戦(?) デビュー戦の私の相手はKさん。6子局。何だかわからないままに盤面中央で6子取れるチャンスが来たが、 いつでも取れると思って手抜きしたら、後ろから逆にアテられてパニック。しかしめげずにツメていった結果、 6子だったのが17子に膨らんで取れた。この時点でほぼ私の勝ちだったが、一応最後まで打ってもらう。しかし、 効率のよいヨセ方がわからない。結局、75目VS14目で勝ち。準決勝に進出。
 帰宅後、「ハイパーヒストリーオブG1クライマックス1991~2000」を視聴。サングラスかける前の、タイツが白と紫の蝶野、 赤いトランクスとニーパッドの、まだ髪の毛が多少あって、ヒザが悪くない武藤、鬼嫁北斗と出会う前の、ガチガチの健介、 国会議員になるちょい前の、140キロの橋本をジャイアントスイングで回せてる馳、 今に比べればずっと説得力のある試合をしている長州や藤波、そして、橋本。
 試合の印象がないとは書いたが、入場テーマである「爆勝宣言」の印象は非常に強い。そういや、一時期、 この曲を目覚ましにしてたこともあったなぁ。

2005/07/11

橋本真也死去

【ファイト】プロレスラーの橋本真也さんが死去、 死因は脳内出血か

 その報を目にしたとき、あまりの衝撃にイスからずっこけそうになった。人は死ぬときは簡単に死ぬ。 さすがに大きなニュースだということがわかったのだろう、同僚KさんとTさんが、私の席まで教えに来てくれたが、 その時点では私は知っていた。しかし、「同居人が」って微妙だなー。
 橋本なぁ。とりあえず長州小力は常にカメラに向かって「ハシモト、ハシモト」と言い続けているが、 これでもう言えなくなっちゃったのではなかろうか。

 生で橋本を最初に観たのは、1990・2・10東京ドームの橋本&蝶野VS猪木・坂口だった。その後、東京時代(=90年代前半) に何回か新日を観にいったときは、橋本は「いるのが当たり前」だったので、印象に残るカードを思いつかない。こんなページがあったので、 ちょっと観てみよう。「東京ドームにおけるプロレス,格闘技の歴史」 。

'90 スーパーファイト in 闘強導夢プロリンピック Part2 1990年2月10日  観衆63,900人
タッグマッチ60分1本勝負
坂口征二&○アントニオ猪木(15分43秒・体固め) ×蝶野正洋&橋本真也
※延髄斬りからフォール

 超戦士 IN 闘強導夢1992年1月4日  観衆60,000人
7.新日本VSWCWペシャルマッチ・45分1本勝負
  ○橋本真也(8分37秒・片エビ固め)×ビル・カズマイヤー
   ※ジャンピングDDTからフォール

FANTASTIC STORY in 闘強導夢1993年1月4日  観衆63,500人
6.サクシード・トゥ・ファイティングスピリット・タッグマッチ・45分1本勝負
  ○橋本真也&マサ斎藤(13分57秒・体固め)×ダスティ・ローデスJr.& スコット・ノートン
  延髄斬りからフォール

'94 BATTLE FIELD in 闘強導夢1994年1月4日  観衆62,000人
10.メインイベント・IWGPヘビー級選手権試合・60分1本勝負
  [王者]○橋本真也(28分0秒・片エビ固め) [挑戦者]×蝶野正洋
   ※ジャンピングDDTからフォール 橋本が3度目の防衛に成功

 うわー、最初の一つを除いて、どれも記憶にない。その場にいたはずなのに(哀笑)。っていうか、ドーム大会では冷遇されてたんだね。

 松山では、ゼロワンで3回観た。が、ゼロワン時代の橋本は、なんとなく負傷がちだったような気がして、これもまた印象が薄い。
 生で観たことに限らずにベストバウトあげるなら何だろう?うーん、ぜんぜん思いつかないぞ。ベストバウトじゃないけど、VSトニー・ ホームとか?違うなぁ。
 
 追悼文を書くはずだったのにどうもそうはならなかった。おかしい。でも、とにかく、40歳という早すぎる死を悼む気持ちは本当である。 報道ステーションで古舘がコメントしないかなぁ?彼が実況してた時代と、橋本の活躍してた時代は、ずれてるからやらないかなぁ?

 9:53。TVタックル終了後の報道ステーションのジャンクションで、いきなり橋本の入場シーンが映る。と思ってたら、 その直後に電話。W君からであった。遅いよ。しかし、明日会えるにもかかわらず今日緊急で電話をかけてくるあたりが、 この出来事の衝撃の大きさを物語る。

2005/07/10

テキーラを飲みすぎた

おまえの惚れた あの女を真似て
使い古しの女っぽさ あたしも染まってみた
おまえの惚れた 相手が変わるたび
あたしも次々変わったわ 悪魔でも天使でも

6年目ね 待てと言われもせず
今夜聞く風の噂
身を固めるんだってね

テキーラを飲みほして テキーラを飲みほして
短かった幻の日々に
こちらから Say Good Bye

おまえの歩く そのとおりに Goin' Down
街はいくらでも おちぶれるやり方の見本市
ふたりで同じ ひとつ穴のむじな
腐れ縁と呼ばれたかったわ 地獄まで墜ちてでも

6年目ね 待てと言われもせず
今夜聞く風の噂
身を固めるんだってね

テキーラを飲みほして テキーラを飲みほして
短かった幻の日々に
こちらから Say Good Bye

テキーラを飲みほして テキーラを飲みほして
短かった幻の日々に
こちらから Say Good Bye

(中島みゆき 「テキーラを飲みほして」)

 というわけで、ワインとテキーラを飲みすぎた。同僚Wさんの家でバーベキュー。12:30~18:00まで、飲みすぎてボロボロ。 帰ってきてから3時間半、割れそうな頭と格闘しながら、ようやく文章が打てるところまで復活。久々に死ぬほど飲んだ。だるい。


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2005/07/09

木村健吾のパンチ

 相変わらずドラマは観ないのであるが、「がんばっていきまっしょい」の番宣スポットで皆がしゃべっている日本語は、 いったいどこの言葉なのだろう?、と疑問に思う今日この頃。あれは松山の言葉ではないと思うぞ。
 午後、久しぶりにアプライドに行き、2.5インチハードディスクケースを買う。1470円。その帰り道、 中の川通りで信号待ちをしていると、ちょうど右手に円休寺が見えた。円休寺は、 寺といっても1Fが駐車場で2F3Fが本堂で奥のほうに墓があるので、パッと見、雑居ビルにしか見えない。
 ここには母方の墓がある。祖父が亡くなったのは1992年の9月だった。中高時代、祖父母の家に下宿していた私は、祖父の死を知ると、 バイトをほったらかして東京から飛んで戻ってきた。祖父は耳こそ遠かったものの、亡くなる間際まで頭は元気だった。 体調を崩して中央通の藤原胃腸科に入院していたときにも、中国の人口が10億を超えたかなんかのニュースを新聞で読むと、 その人口の1の位まで正確に覚えていて、私に教えてくれた。現在の私の無意味な記憶力は、きっとこの祖父譲りに違いない。 そして私が祖父から譲られたものはもう一つ、プロレス観戦だった。金曜8時、現在のミュージックステーションの枠だが、 普段はNHKしか見ない祖父が、このときだけは広島ホームにチャンネルを変える。(当時は愛媛朝日はまだない)そして、 木村健吾がパンチを出すたびに、それを観ている祖父の体も前後に揺れる。それをそばで見ている祖母が言う。「みとぉみな、 じいちゃんが動きよる。」…それが80年代半ばの私の日常であった。
 一方、祖母は、私の高校卒業後からボケ始め、この祖父の入院のときも、祖父を見舞って病院を出た後、自分の家が右か左かわからなくなり、 左(=三津方面)に歩き始めた。祖父母の家は、中央ボウルの近所だから、病院を出たら右に歩かなければならなかったのだが。 そして祖父の死と前後してボケはなお進み、さらにその後、脳梗塞をやってからは意思の疎通がほとんどできなくなった。
 いまや祖父は亡く、88歳になった祖母には最近会いに行っていないが、久々に行ってみようか。

2005/07/08

ケセランパサランとアンドレカンドレとウーパールーパー、そして哀しい下一段

 鼻かぜが抜けきらないまま、やっと営業がない日がやってきたので、(よし、今日は一日中、月曜日用の資料作成に充てるぞ) と思っていたのに、9時半過ぎから、対面のWさんのコンピュータトラブルに付き合う。 しかもWさんはアメリカ人なのでコミュニケーションはもちろん英語。私の英語力では、普通の日常会話は微妙だが、 コンピュータ関連の英語はまあまあ通じる。しかし、Wさんが解決したかと思ったら、その直後…。
 出たな、クラッシャーCさん。とあるエクセルファイルを一つ、いつものごとく原因不明な壊し方でぶっこわしていた。彼は 「ワシは何もやってないっ!」というが、真相は不明。
 なんとか1時間で解決後、書類作成の続き。途中、となりのSさんが不意に、「ケセランパサランって何でしたっけ?」と聞いてくる。 (本当は、何の脈絡もなく聞いてきたのではなく、その前に文脈はあったのだが、詳細は省略。文脈を知るためのキーワードは、「ⅠE」。) 私も聞いたことはあったが、何だかは思い出せずじまい。今調べたらこんな感じ。 謎。
 で、私は内心、(ケセランパサランも謎だが、アンドレカンドレとかウーパールーパーも謎だよなぁ)と思ったが、 今日のここのネタにしようと思ったので、その場では言わずにおいた。アンドレカンドレとは、井上陽水のデビュー時の芸名であり、 ウーパールーパーとは、メキシコサンショウウオの通称である。参考はここ。ウーパールーパーだけでこれだけ書けるなんてすごいね、このページ。)
 案外早めに書類作成が終わったので、午後は来週のスポーツ大会や飲み会の要項作り。めんどいっちゃあ、めんどい作業だが、 28人を4チームに分けるのは、プロレスのマッチメークにも似て、それはそれで面白い。
 夕方は、日本の城についての研究、および明日の営業の準備。明日は、お客さんに対して、「やめろ!」とか、「捨てない!」とか、「寝ない! 」とか、「言いつけない!」とか、「遅れない!」とか言う予定。あ、「あきらめろ!」もあった。

2005/07/07

ちょっと風邪気味

 微妙に風邪っぽく、体がだるいので、昨日は7時ころからさっさと寝てしまい、HERO'Sも見逃した。 1時ころ目覚めたがそのまままた寝た。
 明日は、来週月曜日用の書類を完成させなければならない。がんばろ。

2005/07/05

とある勘違い

 昨日と今日の営業では、3Fの某部署から依頼され、お客さんに2部の資料を配布しなければならなかった。 その資料を受け取りに3Fに上がっていき、そこで、”冗談をまじめな顔で言う”主任のUさんからこう言われた。
 Uさん:「ウチの会社の繁栄のために、君とOさんとNさんに、ぜひ東京大学をもう一度受験してもらいたい。」
 私:「………。私は、1年間マジメに勉強したら受かるとは思いますが、 OさんとNさんが受かってもウチの会社の繁栄にはならないとおもいますけど…。」
 Uさん:「…あ、そうか。あー、勘違いしとったぁ」
 わけのわからんことを言ってないで、正攻法でがんばってください(笑)。>Uさん

2005/07/04

岩崎宏美は香川にも来る

 11月9日(水)ユープラザ宇多津ハーモニーホール(香川県)、11月10日(木)三木町メタホール(香川県)だそうである。 WEBは、ここ
 (ド平日やん、無理やな)と思ったが、私は今年は一応、水曜の午後は休みである。(最近はあまり休んでないが)よし、もう一回行こう。 三木町は遠いが、 宇多津ならさほどでもない。同じツアータイトルなので曲目も同じかもしれないが、常々言っているように (行ける時に行っとかないと後悔する) 。
 今までの遠出の経験を言うと、プロレスなら、徳島市立体育館のJWP&新日本×2とか、宇和島市総合体育館のノアとか、 宇和島市闘牛場のFMW&全女、岡山武道館のWJなどがある。高知県民文化ホールにキャラメルボックス(上川隆也ほか)の 「また逢おうと竜馬は言った」 を観にいった(95/8/30または8/31) ってのもあった。あの時は、高速で行かずにR33で行ったから時間がかかってねぇ、とか、 上川隆也というと、NHK大河「毛利元就」 のときの隆元役はよかったねぇ、とかいう話もあるが、とりあえずおいておく。
 失敗したのは、広島アステールプラザの久宝留理子のとき(97/2/7)のこと。松山からはるばる船に乗って出かけていったが、 会場に近づいても人の気配がまったくしない。おかしいなぁと思いつつ会場に着くと張り紙が。「本人急病のため本日の公演は延期します」 ひぇぇぇっ。空しくまた船に乗って帰宅すると、留守電には「延期します」というメッセージがちゃんと入っていた。留守電を聞かずに、 職場から飛び出していったので失敗した。そしてその延期公演は2ヵ月後の4月9日に同所で行われたが、4月初旬は毎年のことながら忙しく、 結局その日も仕事をしていた。その後、久宝留理子を生で観る機会は、今のところまだない。Webを観ると、現在、 第2子出産直前らしく、音楽活動復帰はとうてい見込めない。
 というわけで、11月9日には仕事を入れないでください。>関係各位。特にCさんあたり。

2005/07/03

バレーボールも勝ち、囲碁も勝ち。

 豪雨の中、バレーボール大会は、2セット連取を3試合繰り返して優勝。すごい。
 その後、久々の囲碁。19路盤。序盤から好調。10数子打ち上げる。その後、隅でじたばたせず3子捨てて、他で生きる。その後、 これでは勝てないと見た敵が2隅で打ち込んでくるが、両方とも撃退。その結果、58VS29で勝ち。通算8勝13敗1分け(+2敗)。
 夜、「EZTV」で、円周率を83431桁覚えている59才のオジサンを観る。前にも書いたが、それを覚えて何になる? というようなことでも、ここまで膨大だと、賞賛に値すると思う。

2005/07/02

今月の予定

 とうとう7月になってしまった。今月は暇がぜんぜんないような気がする。とりあえず明日はソフトボール大会だが、 たぶん雨なのでバレーボール大会に変更。月曜は営業4つ。火曜は1つ。水曜はまたも臨時で4つ。木曜も4つ。金曜はないけど土曜は4つ。 おぉ、全部で17もある。で、来週の日曜は同僚Wさんのうちでバーベキュー。再来週は期末処理&スポーツ大会&期末打ち上げ。 それが終わったら臨時営業2日間の後、まもなくオーストラリア出張。ふぅ。
 今日も営業では「殴ります」とか「しばけば」とか「死ね」とか物騒な単語が飛び交った。大丈夫だろうか?

2005/07/01

雨が降った!

 って、そんなことがタイトルになってしまう、ここは愛媛県松山市(渇水中)。
 今日の予定としては、「3時40分からの会議が、いつものごとく5時半くらいまで続くであろうから、その後、 明後日のソフトボール大会のための練習会をおこなおう」ということだったのだが、どういうわけか会議が4時過ぎに終了。 今年度最短記録である。でもって、不穏な天候の下、5時半から練習会は始まったらしい。が、そっちは副部長のUさんに任せて、私は帰宅。 宮脇書店で立ち読みして、店を出てみたら激しい雷雨。うわぁぁ、今頃グランドでは………。
 でもまぁ、降らないと困るし。明後日降らなきゃ、それでいいか。

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