« 2005年9月 | トップページ | 2005年11月 »
風邪はほぼ完治。長かった。
某サイトで、「金を普請する」という表現を目にしたが、それって、「金を無心する」の間違いではなかろうか?
昨日の午前中は営業4つ。4つ目、12時ころ、1F一番手前の部屋のお客さんたちから
「うざい」「エロい」
の大合唱を浴びる。
私が
「うるさいっ!」
というと、彼らは大きな声で
「うるさかろう、うるさかった、うるさくて、うるさい、うるさいYさん、うるさければ」
と言い、私が
「やかましいっ!」
というと、彼らはにぎやかに
「やかましかろう、やかましかった、やかましくて、やかましい、やかましいYさん、やかましければ」
と言う。ま、いいや。
午後、期限切れの資料が提出されるのを待つため待機。「ひまだぁっ」と言っていると、 例によってTさんが数学の問題をくれたが、ベクトルの基礎(「AB+BC=AC」とか)だったので、歯ごたえが無い。
夜、私の食生活の乱れをみかねたからでもなかろうが、Tさんが食事に誘ってくれたので、小坂の「大岩」で食事。 アルコール無しの平和な食事。
多少ましになってきた午後10時。
木曜日、午前中の出張を終えて、午後早退。
夜、「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」に笑う。ホームチーム檜山は、
「余裕の表情でいたらダウンさせられた元リングスのアンドレイ・コピロフ」。
まさかコピロフの名を今頃になって地上波の9時3分に耳にするとは思わなかった。
その他、有田哲平の、「橋本の記者会見に乱入し、「何やってんだ」「コラッ」「タコ」の3フレーズで延々からむ長州」
。相変わらず有田は上手い。長州小力がこれを身につければ最強である。
さらに、アントニオ小猪木の「ラッシャー木村に延髄斬りを食らわす猪木」や、
博多華丸の「アタック25でパネラーを紹介する時だんだん投げやりになる児玉清」など。
ほかにもすばらしいモノマネが多々あった。
番組中、石橋が「このコーナーだけゴールデンに上げればいいのに」と言い、木梨が
「7時7時半でね」と言い、有田が「30分(番組)ですか?)」
とツッコむ。おもしろいけど1時間番組のノリではない、ということを、木梨はわかっているのだろう。それで言うと、「サルヂエ」
がゴールデンに上がって1時間番組になっているが、間延びしている感は否めない。
しかしたとえ30分でも毎週やると飽きるから、レギュラー化するのではなく、DVD化してもらいたいところだ。現在「6」まで来てるので、
充分、2枚組みくらいにはなるだろう。
金曜日。締め切ったコンピュータルームでエクセル講座。絶不調。講座後、臨時営業。帰宅後、気がついたら寝てた。 土曜の話は次の記事にて。
正式にココログから発表があったが、トラックバックスパムのせいで、レスポンスが落ちているらしい。 まともに投稿できず多重投稿になってしまったり、18禁サイトからのトラックバックがついたりするのは、そのせいらしい。
「体調悪い話」を書くと、いつまでも治りそうにないが。
昨日は、18時ころから寝込み、22時ころに電話で起こされ、その後、もう一回寝ようとしたが、寝られない。 どうして寝られないのかと考えてようやく気づいた。(あー、腹が減っているんだ。) 自分が空腹かそうでないかを認識するのにすら時間がかかるようでは、どこか壊れているといわざるを得ない。
1時半に久万の台のココイチ(24時間営業)へ。食べ終わって帰りの車の中で、 (風邪も立派な病気やなぁ~)と思いつつ、どういうわけか 「セーラー服と機関銃」 (1981・MIDI) の2番冒頭を歌う。
都会は秒刻みのあわただしさ 恋もコンクリートの籠の中
これを最初に聴いたとき(小6)、
「『とかいは びょうきざみの あわただしさ』 って、
都会が病気なのはわかるけど、
『ざみ』って何だろう?」
と、真剣に悩んだ、
という話は、 恥ずかしくてここにしか書けない。
…「巨人の星」の「重い、こんだら」 と似たような話である。
珍しく出張で会議。しかも書記にあたっていたので疲れた。
夕方。帰社後、6課のOさんから呼ばれたので、6課に出向いて作業中、隣の5課から声がする。
T課長:「ピアノとバイオリンなら、 ピアノの方がひきにくいよ。…重いから。」
Nさん:「引きずるんかいっ。」
はぁ。1課もびっくりのダジャレとツッコミ。疲れたのですぐ帰宅。
出張と書記は明日の午前中まで続く。鼻づまりと関節痛もまだ続く。だる。
明日と明後日の市内出張の準備絡みで、迷惑をかけたり、かけられたり。
1 営業スケジュールの変更を言い忘れていた。すいません。
2 会議の議事の記録係りにあたっているのだが、前日になって、録音機器の準備を、「任す」とか言われても。
3 明日の夜は、その会議関係で、懇親会という名の飲み会がある。欠席してもいいよといわれていたので、
付き合い酒が嫌いな私は当然断っていた。
が、今日になって、私の席の近所から
「Y君は若いから行くやろ」
とか言う声がする。
「1人欠席することになったから、代わりに行かんか?」
…行きません。若かろうが年とっていようが、行きたいやつが行けばよいのだ。
彼は何かにつけ、「若いから」を理由にする。しかし、賛否両論あるだろうが、私は、「
『年長者の言うことなら何でも聞かなければならない』という文化」の中で生きてはいない。年上だろうが年下だろうが、
すごい人はすごいし、馬鹿は馬鹿である。ま、「お年寄りは大切にしましょう」
くらいな道徳は持っているつもりだが。
退勤後、デオデオへ。ICレコーダーを衝動買いしてしまった。(っていうか、 買い物する時は常に衝動買いかも。)14700円。マイクの感度はさほど良くはなさそうだが、 ドライバ不要で128メガのUSBメモリとしても使えるので、まあいいや。
![]() |
右から、
|
本体を分離すると、USBメモリになる。下部が端子。 |
最後に食事をしたのが昨夜の8時で、 その前に食事をしたのが一昨日の夜11時。 最後に眠りについたのが今朝の8時で、起きたのが11時、という、 ほぼ廃人な生活である。言っとくが会社は休みだ。いや、休んでいない人たちもいるけど。
明日から仕事再開なので、営業用の資料を作るために昼から出社。フロア中央の偉い人たちはほとんど出社していた。 B4の資料を2枚作ったあと、この3日間ほど誰ともしゃべっていなかった反動でいろんな人としゃべる。その中で、中央カウンターで、 RちゃんとMさんとで、この休み中の堕落した生活についてほか雑談。Rちゃんに食生活の乱れをたしなめられるが、 実は五十歩百歩かもしれない。彼と私とは昔狂ったような残業をしていた時代があり、宿直の方たちにはずいぶん迷惑をかけたものである。
風邪でだるいのか、寝不足でだるいのか、何も食べていないからしんどいのか、わからないまま、4時に退勤。「そば吉」に行く。 ここの店員さんとは顔なじみなので、黙っていても新聞を持ってきてくれる。
何の気なしに愛媛新聞を読む。「桑田佳祐インタビュー」とか、 「雑巾がけの速さを競う『Z-1グランプリ』」(って何だよそれ?)とか、愛媛県美術館で行われた 「― 語り伝えたい― 美しい日本語暗唱コンテスト」などの記事を読んだ。
その後、本当に特に何を考えるでもなく、なんとなく「おくやみ」欄を見た。
……。これって、こないだ体調不良で退職したばかりの、我々が夜中に迷惑かけまくったあの人か? 名前の文字が微妙に違うような気がするが、住所はおそらく正しい。うーん、でもさっき会社では誰も何も言ってなかったしなぁ。
明日になればきっとわかるだろう。今日はここまで。
…いや、やっぱり間違いなさそうだ。わかる人はここをみてみましょう。退職前にご挨拶に行けなかったのが悔やまれる。
何かアップロードがうまくいかない。
だそうである。
「西遊記」といえば、日テレで、堺正章と夏目雅子と西田敏行と左とん平と岸部シローと藤村俊二で、ゴダイゴが「モンキーマジック」 と「ガンダーラ」と「ホーリー&ブライト」で(…以下省略。)今度の「西遊記」は、それまでの月9の内容とは違う路線だが、 路線転換が果たして成功するのやら。
月9といえば、フジテレビの月曜9時のドラマ枠であり、その詳細は、ウィキペディアのここに出ているが、 ただでもドラマ嫌いの私が、あんな「ほれたはれた」 ばかりなドラマを見るはずが無い。多少でも観た記憶があるのは、 「教師びんびん物語」第2シリーズ(1989)、 「101回目のプロポーズ」(1991)の2つくらい。 「東京ラブストーリー」、 「素顔のままで」、「あすなろ白書」、「ひとつ屋根の下」、のころから今に至るまで、 主題歌は一応おさえるようにはしているが、ドラマの中身にはまったく興味がなかったりする。
…と思っていたが、一つだけハマッたのがあった。「あなただけ見えない」(1992)である。
女装も含めて三重人格を怪演する三上博史や、
最終回(?1回前?)
でそれまでの記憶を一切なくしてしまう小泉今日子など、恋愛ドラマというよりはサイコサスペンス。
主役の職業だけ変えて結局は好きだの嫌いだの言うだけの他の月9ドラマ
(とはいえ、ほとんど観てないから、嘘かもしれない。)とは違い、非常におもしろかった。
詳しくはここのブログとか、ここのページとか。 本放送時にビデオに撮ってたのだが、最近処分してしまった。
もしDVDが出たら絶対買うんだが。関テレでは今年再放送したらしい。
18日のNOAH観戦記。試合結果はここ。
ちょうど一年前は、Tさんと一緒にいった(その時の記事はこれとこれ)が、今年はW君と。2001/4/3の宇和島市総合体育館を最後に、 最近は3人揃っての観戦はない。
今回は、カメラは持っていかなかったので写真は無い。
第1試合。川畑VS?
選手コールの時の選手の名前が聞き取れない。見慣れない赤いパンツの選手は、「平柳努」といい、この試合がデビュー戦だった。
まだ体も大きくはなく、今後に期待。
第2試合。R・マルビン&百田VS永源&志賀
百田(57歳)も永源(59歳)も、元気である。 馬場やラッシャー木村の晩年の試合は見ててつらかったが、
百田&永源は、二人とも普通に戦えている。一方、 怪我による2年以上の欠場から復帰したばかりの志賀は、おそらく、
肉の落ちた両足を隠すためであろう、だぶだぶのロングタイツで戦うが、 いまひとつ本調子とは言えず。ちなみに4年前の宇和島では、
セミで高山善廣とシングルで戦い、ジャーマンを食らって玉砕していた。
第3試合。泉田&佐野VS杉浦&斎藤
泉田のヘッドバットは確かにすごいが、 それだけしか技がないというのもまた事実。 私としては、 去年と同様、佐野のソバットと斎藤のスイクルデスで満足。
第4試合。潮崎&KENTA VS 橋&M・ヨネ
潮崎がつかまりまくってKENTAの出番が少なめ。 潮崎は、エルボーにせよ、ニーにせよ、 十分に体重を乗せることが出来ておらず、観てる者たちに説得力を与えられない。更なる修行が必要。 M・ ヨネのキン肉バスターは今日も絶好調。
第5試合。森嶋 VS 井上
この日のワーストバウト。 第1試合を除くと唯一のシングルマッチだが、森嶋にも井上にも一人で試合を作る能力がない。 とりわけ井上がダメダメで、序盤、森嶋の左脚への執拗な攻め。しかし、その意図がわかりにくい。 どうせ集中攻撃するなら腕にしたほうが、 (あぁ、ラリアット封じだな)という具合に、観客にも伝わるのだが。さらに、 場外戦になって、攻守逆転してしまい、 リング上に戻った時には井上が腰を押さえて痛そうにしている。しかし、 私たちが見ていたのとは反対側の場外での攻防だったので、 何が起こってそうなったのかが私たちには全く見えなかった。 やるならリングの上でやってほしい。とにかく、井上雅央はダメである。
第6試合。菊地&本田&小橋VS D・モーガン&M・モデスト&スコーピオ
小橋は強い。 菊地抜きで2人対3人のハンディキャップマッチでも勝てそう。 しかし、 チョップに頼りすぎな気もする。いわゆるレスリングは全く出来ないのではないかというような気も…。 その小橋のチョップをほとんど一人で受けきったスコーピオがこの日の裏MVP。その分、 他の2人の外人の影が薄い。
第7試合。丸藤&力皇 VS SUWA&D・ウィリアムス
スピーディーな丸藤とSUWAの攻防に目を奪われる。 タッグではなく、シングルで見たい。 力皇やウィリアムスも悪くはなかったが、 力皇がチャンピオンとして認知されるまでにはまだ時間がかかりそう。
第8試合。鈴木鼓太郎&小川良成&三沢 VS 金丸&田上&秋山
秋山が金丸から誤爆の急所攻撃を受け、一瞬つっかかり、 去年と同様、会場に笑いが。秋山は今、
当面の目標というのがないのではなかろうか?試合は予想よりも短時間(15分39秒)で終わり、 やや物足りなかった。地味に、
三沢と田上のスタミナが切れかかっているのかもしれない。
いったんそれぞれ車を自宅に置きに帰った後、近所の焼き鳥屋で、世間的には何の役にも立たないマニアックな話(後日書くかも。)
で2時間ほど盛り上がり、11時30分ころ帰宅。
今日の
私のMVPは、相変わらずの上手さとふてぶてしさをみせた小川良成。
W君のMVPは、杉浦貴。
ベストバウトは…、際立ったのは特にない。
ワーストバウトは森嶋VS井上。
なぞの6連休中であるが、…風邪をひいた。
連休を利用して、①職場旅行の下見パート2で高野山へ。②宮崎の実家。③宝塚の友人宅。④東京の後輩たちに会いに行く。等々、 案はたくさんあったのだが、もうどこへも行く気がしない。
10月も下旬だというのに、Tシャツとトランクスで寝てたのがよくなかったらしい。起きた後、シャワーを浴びて、会社行って、 ふぞろいな書類たちに激怒しながら書類を作成。ちなみにこの6連休中、会社では昼食は出ない。
出社後まもなく、6課のTさんが現れたので、おとといのノアの報告をした。
その後、年中無休のCさんが私の席までやってきて、「昼ごはん、食べに行くか?」… 久々に誘ってもらったのではあったが、体がだるいのでお断りした。
さらにその後、O君現る。
私:「何しにきたん?」
O君:「いや、特に何も。碁、打ちませんか?」
私:「ごめん。風邪ひいて、だるいから帰る。」
O君:「お大事に。じゃあ、明日も来ますので。」
特に何もすることが無いと、会社に来てしまう私たち2人である。退職してしまったらどうするんだろう?
書類チェック終了後、1時30分に退勤。今日新装開店した明屋空港通り店に行ってみた。
外観が石井店っぽいレンガ風のつくりなので、中もそんな感じかなと思って入ってみたら、やっぱりそうだった。
CD&DVD売り場は拡充されていたが、格闘技コーナーは無い。というか、スポーツDVDコーナー自体見当たらない。
書籍の方も、石井店風の「図書館型」の配置になっているので、入店後の導線が微妙。中央通店や城北店などのような「回廊型」の方が、
見やすいと思うのだが、たぶん店舗面積そのものが広くなったから回廊型にはしにくかったのだろう。
マンガは単行本もマンガ文庫もかなり拡大されていたような気がするが、私はマンガはほとんど読まないので関係ない。
「思想・哲学」と書かれたコーナーに思想・哲学の本はほとんど無く、そこにあるのは仏教ほかの宗教系の本ばかりだった。
…開店初日で客が多くゆっくりは見られなかったが、全体的にはどうかなぁ。慣れたらそこそこ使えるかもしれないけど。
帰宅後、じっとしていたが、いまひとつ調子はよくなく、夜はラーメン屋に行った後、10時まで開いてるセブンスター内の薬局で
「パブロンA錠」と「カコナール」とを買った。店の人が、サービスで、粉末の生姜湯をつけてくれたが、賞味期限が「05.9月」…
って切れてるやん。
かなりの長文を打ち終えた後に、PCがフリーズしてしまった。もう夜も遅いので、一から書き直す気が起こらない。 とりあえず今日はもう止めよう。
9時から決算。1課から5課まで。1課につき30分で、2時間半かかった。11時40分からは、 先週の続きでアクセスプログラミング講座。まったく進展せず。
午後は、とある出版物の原稿整理→印刷所へ提出。その後、書類チェック。本来なら200部なければならないのに、 実際には160くらいしかなく、憤慨する。
4時から、水曜会議用の予備会議のはずだった。3時55分くらいに、O課長のところに行って、「三沢(光晴)
のサイン、もらってきましょうかー?」などと、無駄話をしていたところ、S部長現る。
(その無駄話はいつ終わる?)
「決算ミスが出たから、修正完了するまで待機して。」
……。予備会議は延期。
待機している間に、U副部長に呼び出され、3Fの指導室で、口を割らされる。(昨日の今日なのに。…何が?)
「蓼食う虫も好きずき」と言われた。どうやら私は「蓼」らしい。
そして指導終了は5時25分。決算処理は1週間延期。行きたかったのに行けない6課のTさんに挨拶した後、いざアイテムえひめへ。
退勤前に、U君が言う。
「猪木が来るん?」
……。絶対、来ません。
「女子プロなら観てもいいぞ。」
……。彼は、イイ意味で、オネーチャン好きである。ちなみに、古舘伊知郎の著書「喋らなければ負けだよ」 によると、「イイ意味で」というフレーズは、 悪口を言いたい時に、入れておくと会話を和らげることができる、便利な言葉だそうである。
6時。アイテムえひめ着。試合結果はここ。
眠いので、感想は後にする。
ロッテが優勝した記憶は無いなー。前の優勝の1974年は、5歳である。
1課のお客さんから、履歴書を書けといわれた。「趣味」のところに、「カラオケ&格闘技観戦」 と書いて提出したら、折り返し、 「十八番はなんですか? 」とインタビューに来た。
「Honesty」 (1978。MIDI) だの、
「また逢う日まで」(1971。 MIDI) だの、
「シクラメンのかほり」(1975。 MIDI) だの、
言っても、通じるような相手ではないので、
「夜空ノムコウ」(1998。MIDI)
と答えておいた。これが精一杯新しい歌である。
久々にスマスマを見たら、小泉今日子が出ていた。最近、堀ちえみ&松本伊代&早見優はそこそこ見かけるが、小泉& 中森はめったに見ない。
今日も営業はつらかった。が、明日から1週間、営業無しである。19日から24日まで臨時休業だが、さぁ、何をして過ごそう?
R33は、松山IC以南に行くことはめったにないのだが、最近、日々の行動パターンが固定しているので、気分転換に、
久々にヤマダ電機に行ってみた。
かつてはあったパソコンソフト売り場は無くなり、代わりにおもちゃ売り場ができていた。
高さ50~60センチのガンダムフィギュアだのモデルガンだのNゲージの車両などが置いてあった。家が片付いてたら、
鉄道模型やフィギュアに走れもするが、現状では置き場が無い。
HDDレコーダ売り場も以前に比べて大きくなっていたような気がする。ウチのRD-XS40を買ったときは138000円もしたのに、
いまや、同等以上のRD-XS37が50000円で買える。
店の中央のCD&DVD&ゲーム売り場は相変わらずの盛況だったが、もはやPSPにせよ、ニンテンド-DSにせよ、
ゲームボーイミクロにせよ、ゲームに走る気はしない。ゲーム機以外のおもちゃ市場は崩壊しているかと思ったが、エポック社の「野球盤」
(クラシックとDXの両方)や、タカラの「人生ゲーム」などが置いてあったのを見て、いちおう安心。
特に何も買わずに帰宅。車内BGMは、太田裕美ベストから「雨だれ」→「最後の一葉」→「木綿のハンカチーフ」→「九月の雨」→「ドール」
→「さらばシベリア鉄道」。「最後の一葉」(MIDI) は、子供のころ、O・ヘンリーより先に、こっちで知ったのだった。
「さらばシベリア鉄道」(MIDI)は、今まで、 カラオケで歌うときは大滝詠一版だったので、
太田裕美版は久しぶりに聴いたが、アレンジがかなり違ってたのが意外だった。
帰宅後、例によって、無為にすごす。これではダメなような気がするが、では、どうすればよいのかは、よくわからない。
出勤直後の駐車場でW君に出くわす。「Yさんは和泉元彌なんか許せんのでしょう?」「そうでもないよ」
ハッスルもここまでくりゃ立派である。既存のプロレスだと思うから腹が立つのであって、プロレスやコンサートや芝居や映画などと同様、
ひとつのジャンルだと思ってしまえば腹も立たない。話が見えない人は、下のニュースをどうぞ。
和泉元彌が「空中元彌チョップ」宣言
今日の営業では、去年と同様の「形容詞を10個思い浮かべて下さい。 」をやってみたが、
最後のネタばらしをする時間がなくなってしまい、お客さんの反応を見られなかったのが残念だった。
帰宅後、3時ころ、Tさんから電話。飲み会の1次会後でもないのに、なぜこんな時間に?
しかし携帯の充電が切れてて取れなかったので、充電後におりかえしかけてみた。
Tさん:「ごめん、たいした用事じゃないけど、家を出た後、県文の近くで、サザンのメンバーと出くわしたから、
記念撮影した。」
…って、うん、確かに用事ではない。が、私は彼のこういうミーハーな部分が決して嫌いではない。
きっと彼もそれを知っているから、かけてきたのであろう。それに、私もかつて、徳島市立体育館での金本VS垣原のIWGPジュニアヘビー戦
(2002/12/7)に感動して、試合直後にW君に電話したことがある。Tさんもとりあえず誰かに伝えたかったのであろう。
夜。そのサザンのチケットはもちろん手元には無い。カーCDに、ジュリーのベスト「ROYAL STRAIGHT FLUSH」の「1」
と「3」、太田裕美ベストのDisk1、ZARDの「君とのDistance」、ノエビアCM、…あと1枚、なんだか忘れた、をセットして、
明屋城北へ。道すがら、 「6番目のユ・ウ・ウ・ツ(♪毎日僕眠れないやるせない毎日僕生きてない愛せない~)」 とか「麗人
(♪結婚という言葉はタブーにしよう~)」とかを歌う。
1.どん底
2.きめてやる今夜 3.晴れのちBLUE BOY 4.6番目のユ・ウ・ウ・ツ 5.背中まで45分 6.お前にチェックイン |
7.麗人
8.ス・ト・リ・ッ・パ・ー 9.TOKIO 10.サムライ 11.勝手にしやがれ 12.あなたへの愛 |
店に入ると、「キラーストリート」から、「愛と欲望の日々」(「大奥」のテーマ)が迎えてくれる。
Amazonのレビューで見ると、 「キラーストリート」への批判が結構たくさん出ている。
「さっさと解散しろ」とか、その他もろもろ。
「一聴しただけではピンとくる曲がない」という意見もあり、それは私もそう思うのだが、
聴きこむうちによくなってくるのかもしれない。ともあれ、 前にも書いたように、とりたててファンというわけではないが、
「さっさと解散しろ」なんてのは大きなお世話だと思う。
世良公則/ツイストのベスト1500円9曲入り、を発見したので購入。
帰りはコンビニで弁当買って帰宅。食費を削って、CDやDVDに充てる生活。ろくな死に方はしないな、たぶん。
朝一の雑談。ドラフトで指名された高校生の契約金とその高校の監督との関係について、5課課長Tさんいわく、 「(まるで)『ぜげん』か『ばくろう』やな。」
…「ばくろう(=博労または馬喰)」もさることながら、「ぜげん」て。
日常の会話の中でこんな単語聞くことがあるとは思ってもみなかった。ちなみに、漢字で書くと「女衒」である。普通は読めない。私がすぐわかったのは、 もちろんこの曲のおかげである。
やまねこ 中島みゆき
女に生まれて喜んでくれたのは
駄菓子屋とドレス屋と女衒と女たらし
嵐あけの如月 壁の割れた産室で
生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった
傷つけるための爪だけが
抜けない棘のように光る
天(そら)からもらった贈り物が
この爪だけなんて この爪だけなんて
生まれた早々、なんだかお先真っ暗な歌い出し4行であるが、私は女ではないのでよくわからない。 (男に生まれたからどうのこうの)とか(もし女に生まれたらどうだった) とか考えたことはほとんどない。(生まれ変わって「蚊」とかになったらどうしよう。蚊は、人間にたたき殺されるために、 生きているのだろうか?)などと、くだらないことを考えることは時々ある。
スケジュール的に、「水曜の会議はいやだ」といっていられない事情ができたので、
おとなしく会議室に行く。が、会議の進行手順としては、どうなんでしょ?会議終了後、Kさんと2人で、いつものように首をひねる。
帰宅後、昨日の「音楽夢くらぶ」 (BS2での再放送)。
最近まともに観ることができる歌番組はこれだけかもしれない。次点で、「僕らの音楽2」 (CX)。さらに、伝統の「ミュージックフェア21」 (CX)も悪くはないが、
あれは出演者に幅がありすぎて、観たいと思う人がなかなか出演しないのが難。
第19回 10月6日
|
「木綿のハンカチーフ」 | 太田裕美 |
「なごり雪」 | 太田裕美
&伊勢正三 |
|
「22才の別れ」 | 太田裕美
&伊勢正三 |
|
「九月の雨」 | 太田裕美 | |
「海風」 | 伊勢正三 |
トーク中に、ホストの中村雅俊が太田裕美に言う。
中村:「お子たちに遺書を書いたそうですね」
太田:「死んだ時にいっぱいいろんなものを残すのは困るだろうなって思って、
『いろんなものは処分してください。お墓も要らない。撒いてください』、って。でも、唯一、残してほしいのはあたしのCD。
あたしが死んでも、ひい孫とかが『ひいおばあちゃんが歌ってたんだ』とかって聴いてくれたら、しあわせかなって。」
自分がこの世にいたということを何らかの形で残しておきたいという気分は、私も同感である。が、でも、上の発言の末尾の、 「しあわせかなって」って、「だれが、いつ、何を」「しあわせ」だと感じるんだろうねぇ? 人は死んだらどうなるんでしょう?
8:50~。懸案だったノートPCの納入。相手のOさんから「小田和正(12/13)完売」の報を受ける。げっ。 鈴木康博がキャパ80人の会場でまだチケットあるのに、小田和正はキャパ3000人が完売かいっ。 2人オフコース時代は大差なかったと思うのだが。
9:35~。お客さんから集めたレポートのチェック。今日のテーマは、「日本語の作文技術」(本多勝一)から、
「チリ美人は、アルゼンチンの肉を食べている女性よりも、ぐっと小柄だ。」
という文のわかりにくさについて。
10:25~。コンピュータルームで、同僚Oさんと一緒に、年内のスケジュール調整。
11:40~。ACCESSの勉強会だったが、忘れていて、同僚K君から電話で呼び出される。今日のテーマは、
「プロシージャで、YesNo型のフィールドの表示コントロールをチェックボックスにするには?」
というマニアックな内容だった。あれこれやってみたが、自力で解決しないので、あちこちさがしてみた。こことかこことか。 しかしうまくいかなかった。来週はきっとうまくいくだろう。
午後は、さっきのレポートのチェックの続き。珍答続出。
「チリ美人が何を食べているかわからないので、『草食のチリ美人は、アルゼンチンの肉を食べている女性よりも、ぐっと小柄だ。』にする。」
…チリ美人はシマウマですか?それとも恐竜ですか?
「『チリ美人は』のあとに、『アルゼンチン』という国の名前がすぐに続くと、まるで『チリ』が国の名前のようだ。」
…はい? チリは国の名前ですけど。
正解は、
「チリ美人は、肉を食べているアルゼンチンの女性よりも、ぐっと小柄だ。」
である。
16:20~。会議。職員旅行中止は回避された。参加者確定のための問い合わせを始める。
17:30~。アンチウイルスの更新のために、1Fの薬品庫に行く。Oさんとプロレストーク。
18:00~。喫煙室でW君とTさんとプロレストーク。今月18日のNOAH(アイテムえひめ)では、三沢のサイン会があるらしい。2人でTさんを誘うが、
微妙。 Tさんは6課なので気が休まらないようだ。
18:30~。隣のTさんと、明日の会議の話。経験不足の我々には理解不能な問題が生じる。「明日、先輩たちに聞こう」ということにして、
19:00に退勤。
ローソンLoppiで小田和正のチケットを確認。リストにはまだ出ていたので、あるかなぁと思ったが、やっぱり無理だった。
その他、10月23日の槙原敬之(広島グリーンアリーナ)を発見した。これはまだチケットはあった。23日はきっと暇なので、
行こうかと思ったが、広島は遠いのでやっぱり止めた。
さらに、ドラゴンゲート (アイテムえひめ)を発見。これは近いし、行こうかなと思った。
11月26日土曜日。
………。あ、美里(広島郵便貯金ホール)の日だった。無理。
昨日の 「馬鹿親子」は、我ながらさすがに言い過ぎかと思ったのと、「横峰」なのか「横峯」 なのかどっちだったかと思ったのとで、 調べてみたら、彼女のブログに行き当たった。 案の定というべきか、「チビハゲ」 発言は賛否両論であったが、本人は、「あれはテレビ用におもしろくするためです」と言っている。が、 たとえ 「テレビ用におもしろくする」術であるとしても、やっぱり気持ちのいいものではない。
こんなのもあった。「新巨人軍は 「あざ~っす」禁止」。
「あざ~っす」を流行らせたアンタッチャブル山崎に罪は無いが、とにかく、 テレビに出る人はもうちょっと言葉遣いをちゃんとしてほしい。
PCDEPOTでプリンタを買い、横のマックで昼食を摂り、11時過ぎに出勤。その後、プリンタの設定ほかインストール& バックアップ作業→秘密の仕事→先週後半の書類処理の続き→囲碁。
囲碁。8月28日以来の第24戦。 序盤のシチョウの攻防は私が勝ち、 盤面中央で15子ほど打ち上げるが、その後、1辺の半分取られ、1隅取られ。 さらに1隅に侵入してきたのを五目中手で撃退したはずが、相手は、自分がもう死んでいるとは思ってくれず、外ダメをつめまくってきた。 オイオトシ防止などで手間取っているうちに結局生きられてしまった。さらに別の1隅は2×4の8目でセキ狙いだったのに、 キズを切られて、 8目どころじゃない状態へ。
結果、9目 VS 64目で退廃…いや、大敗。通算8勝15敗1分け (他の人たちとは1勝3敗)。 つくづく勝負事に弱い。 きっと、あんまり勝ち負けに執着しない性格なのだろう、 だからPRIDEやK-1よりプロレスの方が好きなんだろうし、って前にも書いたかも。
昨日の夜、Oさんから電話。内容は、「10. 8新日東京ドームの客入りが予想通りイマイチだったことについて」ではなく、「今年の職員旅行が中止になる危険性について」だった。去年は、台風で宿が水没して、 やきもきさせられたが、今年もまた理由こそ違うものの…。が、 Oさん以外では、「たぶん大丈夫」と言っている人の方が多い。ま、皆さん言うとおり、たぶん大丈夫でしょ。
昨日の「めちゃイケ」は岡村隆史VS横峯さくらのゴルフ対決だった。岡村の運動能力が高いのは知ってるので、 1週間ほどしか練習してないド初心者であってもプロと対決してもいいとは思うし、 ショートホールでなかなかワンオンしないから何回も録り直ししたとしても、まあいいと思う。
しかし、気に入らないのは横峯さくらの物言いである。「マジでチビ(=岡村)とハゲ(=横峯の父)、 ウルサい」とか「マジ、ウザい」などと繰り返す彼女を見て、非常に不快だった。 「スポーツ選手は皆、品行方正であれ」とは言わないが、スポーツ選手だろうと何であろうと、言葉遣いが汚い女(いや、男でも)は嫌いだ。 それを止められない横峯父もどうかと思う。馬鹿親子だと思う。
番組終盤では、持ち球100球で、ホールインワン対決。岡村がなかなか調子が出ない中、最後の100球目で、
ホールインワンこそ逃したものの、ピンそば20センチまで近づけ、横峯に勝って奇跡的かつ感動的な勝利。
…ということになっていたが、上に書いたように、番組序盤で、録り直ししていた様子を放送してしまっているので、
(これも撮り直ししてるんちゃうん?)と複雑な心境。
というわけで、この日のめちゃイケはどうもイマイチだった。録画はしていない。
裏では、「あなたも歌わずにはいられない!時代を越えた永遠のJポップ名曲集」。こっちを録画した。とりあげられていたのは、 1960年代~82年までのもろもろの曲。スパイダースの3人(堺・井上順・ムッシュ)は時々みるが、今回は井上堯之も出てて、 同窓会っぽかった。
スタジオ生歌では、君は薔薇より美しい(布施明)、知床旅情(加藤登紀子)、愛のメモリー(松崎しげる)、かもめが翔んだ日 (渡辺真知子)、なごり雪(イルカ)、神田川(南こうせつ)、郷ひろみメドレー、あんたのバラード(世良公則)、まちぶせ(石川ひとみ)、
映像はたくさん流れたが、シーシーシー(ザ・タイガース)、スマイルフォーミー(河合奈保子)、お化けのロック(樹木希林&
郷ひろみ)、モンキーマジック(ゴダイゴ)など、他にもきわめて多数。
中継は、この手の番組には必ずアメリカからの中継で出演する八神純子がサンフランシスコから、「みずいろの雨」、甲斐よしひろは横浜から
「安奈」、谷村新司は上海から「昴」。
60年代から選ばれると、69年生まれの私の場合、微妙に世代違いではある。が、いずれもヒット曲ばかりなので、
やっぱり観ているうちに一緒に歌っていた。まさに番組タイトルどおりである。
めんどくさい。200枚の書類処理はめんどくさい。しかし400枚に比べればマシだ。
めんどくさい。何がめんどくさいかは書かないが、めんどくさい。
9:35からは昨日回収した書類の処理(150枚くらいは終わった。)や、ヘルプデスク(Wordの図形描画で真円を描く方法&
「グリッドにあわせて移動」の解除)など。
途中、Cさん現る。
Cさん:「明日はYさんは出社されるというようなことはございませんでしょうか?」
(訳:「明日はワシは出てこれんから、オマエ、代わりにWebのアップロードしとけ。」)
私:「出てきますよ。」
(訳:「出てこな、いかんのやろ?」)
…いつもの会話である。
さらにその後、【新日本】 長州が“現場責任者”として2度目の復帰という記事を発見して、W君と2人で、
ずっこける。今までの長州と新日本(あるいは猪木) との関係をよく知るプロレスマニア的には、ありえないニュースなのだが、ま、
おいとこ。
11時に、とっとと帰宅。家で「太閤立志伝Ⅳ」やって遊んでいる途中で、(出社しなくても、
リモートでここから更新できるやん)と思いつく。
その後、家電(うーん、携帯電話じゃなくて加入電話
(=いえのでんわ)のつもりで、「いえでん」とうって変換したら
「かでん」になってしまった。)が鳴る。「家電にろくな家電なし」なので、一回目は無視。
しかし携帯を見てみたら「着信有り」。隣のTさんからである。こっちからかけ直して連絡事項を聞いたが、めんどくさい。
めんどくさいとか言ったらいかんのだろうが、やっぱりめんどくさい。嫌になってきた。
直後にもう一回家電が鳴る。Cさんである。「Webの更新は2つともだぞ」という確認&
Tさんと同じ内容。ウチの会社は今、3つのサイトを持っている。そのうち2つにCさんはかかわっている。あ、しまった。一方は、
リモート更新できるように設定してない。やっぱり明日は会社いこ。
夜。テレ朝のサッカー中継「日本VSラトビア」は観ない。日テレの
「衝撃スクープ裏のウラ全部ホンモノ最強版!」も観ない。
NHK総合のNHKスペシャル「アスベスト・不安にどう向きあうか」も、疲れるから観ない。TBSの
「あなたも歌わずにいられない!時代を越えた永遠のJポップ名曲集」を録画しつつ、フジの「
めちゃ×2イケてる! 第10回記念大会なんで狙えV10スペシャル!!」を観た。 改編期にあたり、
テレビネタは溜まっているが、長くなってるので、後日に回すことにする。
めんどくさい。詩を読むのはめんどくさい。
今日は朝一で、「百人一首を暗誦せよ」という課題に取り組んだが、挫折。二次関数やベクトルや三角や、
英文の読み書き(聞くのと話すのとはおいといて、)なら苦にならないが、百人一首は壊滅。毎度お馴染みのアイデンティティ危機到来。しかし、
「若いころにどれだけ狂ったようにやったか」でいうと、前者の各項目はそれぞれ死ぬほどやったが、
百人一首は、やった記憶が無いのである。…いや、言い訳だけど。
百人一首に引き続き、川崎洋の「ウソ」を読む機会を得る。
ウソという鳥がいます
ウソではありません
ホントです
ホントという鳥はいませんが
ウソをつくと
エンマさまに舌を抜かれる
なんてウソ
まっかなウソ
ウソをつかない人はいない
というのはホントであり
ホントだ
というのはえてしてウソであり
冗談のようなホントがあり
涙ながらのウソがあって
なにがホントで
どれがウソやら
そこで私はいつも
水をすくう形にひらを重ね
そっと息を吹きかけるのです
このあたたかさだけは
ウソではない と
自分でうなずくために
最終(=第5)連について、「ホントとウソとが区別がつかないような状況にあっても、
自分の存在だけは確かなものだ」というような、デカルトチックな解説がついていた。「我思う、ゆえに我有り」ならぬ、
「我吹きかける、ゆえに我有り」である。
が、私はこのデカルトの言葉を思うたび、考える。(『我思う、ゆえに我有り』が真ならば、その対偶の
『我有らざれば我思わず』も真だ。生まれてきてしまったから、この世であれこれあれこれいらんことを考えなければいけなくなって疲れる。
生まれてこなければ、もともとこの世にいないのだから、何の問題もなかったのに。)
こういうこと書くと、「ぜいたく言うな」とか、
「世の中にはもっとハードな環境の中で生きている人がたくさんいる」とか、
そういうことを言ってくる人もいるのだが、私は、他人と比べてどうのこうのという話をしたいのではない。
「コンサート行ったり、プロレス行ったり、酒飲みに行ったりして。機嫌よく、食うに困ることもなく、
生活しとるやないか」とも言われそうだが、それもちょっと違う。今ここでこの文章を打っている「私」は、
もう消せないのであって、消せないから、やむなく遊んだり仕事したりしているのであって、最初からいなければ、
こんなふうにうだうだ言うこともなかったのに。もう「ここにいる」から、何をどう言ってもしょうがないんだけども。
上の話とうまくつながらないが、以前に書いた、ドラえもんの「どくさいスイッチ」をまた思い出した。のび太が消したジャイアンやスネオは、
消えた後は、もともとこの世に存在しなかったものとしてとりあつかわれる。のび太が、ジャイアンやスネオについて他の登場人物に説明しても、
みんな、「誰それ?」という反応であり、二人がこの世からいなくなってしまったという喪失感を味わうのは、のび太ただ一人である。
特に変わったこともなく、今日も午前中で仕事は終わり、午後からは会議だったが、時間こそかかったものの何の問題もなく終わった。
帰ってからはサザンの「キラーストリート」を聴いて過ごす。私としては珍しく、世間一般の人が買うようなCDを買ってしまった。
買ってまで聴かなくてもいいような気もするが。ちなみに、前に買ったのは、「バラッド3」(2000.11.22)で、その前に買ったのは
「海のYeah!!」(1998.6.25)である。っていうか、最近のは、「さくら」以外は買ってるということか。しかし、
サザンのアルバムのなかで一番印象深いのは、「KAMAKURA」(1985.9.14)である。「Bye Bye My Love (U
are the one)」とか「メロディ (Melody)」の時代。
こないだ今治にいったときにTさんから得た情報では、県文でのコンサートは2日とも即日完売だったらしい。予想はしていたが、
さほどファンでもないのに行ってみようと思う私のような人がやはり他にもたくさんいたのだろう。まぁ、かまわない。私の思い入れ的には、
ジュリーや岩崎宏美やみゆきやオフコースよりは数段落ちるから。
ウィキペディアの、「サザンオールスターズ」
今日から土曜までは6課を除いて半ドン。午前中の仕事が終わり、今日は他に特に問題もない1課では、いつものように無駄話。 ドリフの会社コントなら、遊んでいるといかりや課長に怒られるのであるが、ウチの課長は率先してボケてくれる。が、 今日は残念ながら出張で不在。
私の右側の2人は「ペットとして飼うなら何の動物がいいか?」話。「イヌ・
ネコ・ウサギ・ヘビ・カメあたりはどうか」と話している最中。
Sさん:「カメは爬虫類かぁ。」
私:「違うよ。カメは両生類だよ」(←実は私の間違い。爬虫類で正解。)
Sさん:「両生類ってことは、水陸両用ですね。」
私:「『水陸両用』って、ガンダムのモビルスーツかよっ」
Sさん:「何かで赤く塗って、『シャア専用カメ』にするとか。」
私:「何や、それっ。」
Tさん:「…話がわかりません。」
アホな会話をする私たち2人であったが、世代違いでしかも女の子のTさんには通じなかった。(水陸両用モビルスーツのページ)
その話の直前。私と左のSさんとその前のY君は、「自分が志望大学を決めたきっかけは何か?」
話。3人とも要するに、「東京に行きたかったから」というのが最大の理由。Sさんは
「東京行っていろんなコンサートを観たかった」とおっしゃる。それは現実的だが、私の理由は
「東京行って歌手になりたかった」という非現実的なものなのでその場では言わなかった。さらに、
私の高校のひとつ上の先輩には、「笛吹雅子と結婚する!」という非現実的なことを言う人がいたそうだ。むろん結婚はしなかったが、
でも本当にそれ目的で日本テレビに入社したらしい。
せっかく5年も東京にいたのにあんまり出歩かなかったのが、今となっては悔やまれる。当時観たコンサートの半券を今でもとっているので、
列挙してみる。
…就職後のはたくさん残っているが、東京時代のは、ほとんどなくなっていた。記憶とWebの情報で書いとく。
1988.3.12 | 大阪厚生年金会館 | 河合奈保子 |
1988.5.5 | 神奈川県民ホール | 河合奈保子 |
1988.7.7 | 日本武道館 | 安全地帯 |
1988.7.24 | よみうりランドEAST | 河合奈保子 |
1988.8.13 | 大阪厚生年金会館 | 斉藤由貴 |
1988.12.17 | 日本武道館 | 玉置浩二 |
1989.4.30 | よみうりランドEAST | 中森明菜 |
1989.7.25 | 西武球場(2Daysの1日目。雨で中止になる前日) | 渡辺美里 |
1989.11.30 | 東京ドーム | 渡辺美里 |
1990.6 | 不明 | T-SQUARE |
1990.8.7 | 渋谷・クラブクアトロ | 野田幹子 |
1990.11.9 | 日本武道館 | 安全地帯 |
1990.11.11 | 東京ベイNKホール | 渡辺美里 |
1991.8.11 | 西武球場 | 渡辺美里 |
1991.11.26 | 大宮ソニックシティ | 谷村有美 |
1992.8.9 | 西武球場 | 渡辺美里 |
不明 | 日本青年館?渋谷公会堂? | 森川美穂 |
不明 | 日本青年館 | 野田幹子 |
不明 | 法政大学学園祭 | 野田幹子 |
…思ったほど行ってなかった。とりあえず今日はここまで。後日、東京時代のプロレス、松山時代のコンサート、松山時代のプロレス、 に続く。
昨日はひさびさに記事を2本書いたのだが、その1本目「決戦は月曜日」 を書いている途中、微妙な違和感があった。今日になって気づいたが、 伊豆湯ヶ島の小学校での授業は、大学4年(1992)ではなく、3年 (1991)の秋だった。ということは、「決戦は金曜日」 などリリースされているはずもない。どうして勘違いしたのだろう。 もうあまり覚えてはいないが、 たぶん4年の時の金曜日は卒論指導でボコボコにされていたので「決戦」だったのだろう。
さて、いつの時代も「何やってもいいよ」と言われるとかえって困るものだが、この模擬授業を行うにあたって、
何を題材とするかで大いに悩む。ジャンボ鶴田最強説を唱えていた同級生I君は
「鶴田呼んで話してもらえよ」などと言うが、私が鶴田にはさほどの思い入れが無い。
小学3年生の前でわかりやすい話ができるレスラーといえば、ここはやっぱり、元、
ロサンゼルスオリンピック代表選手で、元、
星稜高校の古典の先生で、現、新日本プロレスのプロレスラーで、
10年もしないうちに国会議員になるであろう、馳浩しかいないと考えた私は、プロレスラーへの偏見著しい教授陣を説得しつつ、
ダメでもともとと思いながらも、馳あてに手紙を書いた。
内容はこんな感じ。
1 小学3年生相手に「体を鍛えることの大切さ」というテーマで、私と話をしてください。
2 お礼は、交通費も込みで5万円しか出せません。
3 プロレスの話をしないでください。「元オリンピック選手」としてお願いします
プロレスマニアとしては、3を言わなければならないのが非常につらいところであったが、やっぱり教授陣を説得しきれなかったのである。
ところが奇跡的に返事が来た。しかもOKの。
そこで、91/11/27、それは授業本番の前日だったが、当時六本木のテレビ朝日社屋内にあった新日のオフィスへ、 打ち合わせのために出かけていった。待たされてる間に、何かの用事で出社していた蝶野正洋にじろじろ見られたのをよく覚えている。
20分ほど待って馳登場。いい人だった。プロレスラーに対して 「プロレスラーと名乗らないでください」とお願いするというのは非常に怖かったが、何もいわずに 「わかりました」と言ってくれたし、「交通費は~」 という話をしたら、「いいよ、自分の車で行くから」って、いい人だっ、とてもいい人だっ。
翌28日。本当に時間通りに来てくれるのかどうかと心配していたが、彼は充分な余裕を持って到着し、私が教室に招きいれた後は、
鍛え上げた体(スーツは着ていたが、
それでも胸板の厚さはかなりなものだった。)と、わかりやすい話しぶりとで、小学生たち(と私たち)
に強烈な印象を与えて、45分の授業を終えて、すぐに帰っていった。彼が帰るときには、同級生たちはもちろん、
教授陣もほぼ皆、見送りにでてきてくれたし、あれだけ「プロレスラーなんて…」と言っていた彼らだが、後の検討会では「よかった」
と言ってくれた人が多かった。
というわけで、私の人選は間違ってはいなかった。が、あの授業に私は必要なかったというのもまた事実である。
ほんとは対話形式にしたかったのだが、しゃべるのが得意な彼と、しゃべるのが嫌いな私とでは、私が無口になり、彼の独壇場になるのは、
しかたのないことではあった。
それにしても、特に関わりがあるわけでもない一介の学生に、どうしてあんなに協力してくれたのかは非常に謎だ。それと、
本当なら彼は、この91年の秋にはアメリカ遠征にいっているはずだったのだが、
タッグパートナーだった佐々木健介の負傷のために遠征が中止になり、しかも、
たまたまこの私たちの模擬授業合宿の期間は巡業中ではなかったという幸運にも恵まれた。
あの時は、他にもいろんな人に迷惑をかけたし、助けてもらいもした。若かったなぁとつくづく思う。
この時の様子はビデオにとったのだが残念ながら紛失してしまった。
もともと好きではあったが、この出来事以来、今に至るまで、私は彼のファンであり続けている。が、いまや、 彼は、猪木や大仁田と異なり、きちんとした国会議員になってしまったので、 リング上で観る機会がなくなってしまったのが残念なところである。…今、「はせ日記」(9月27日分)見にいったら、「・・・ プロレスは引退しましたから、~」って、え、いつの間に?
はせ浩のサイト ノーザンライトWeb
下の記事を書いた後、久々に大学時代の同級生のことを思い出して、Google他で同級生の名前入れて検索してみた。 某大学の助教授になってるI君と、 某博物館の学芸員になってるTさんと、 某出版社から受験参考書を出版したKくんまでは発見したが、 卒業直後にイギリスの日本人学校に英語を教えに行った後、 数年後には帰国したはずのTさんが見つかりそうで見つからない。
しょうがないからもうやめて寝ようと思ったが、何の気なしに「眞鍋かをりのココだけの話」 を数ヶ月ぶりに見にいった(去年はよく見てたけど、 最近メジャーになりすぎてるのでほとんど見てなかった)ら、 まさに今私がやってた行為が 「ひとり同窓会」 と名づけられていた。 だれしも考えそうなことではあるが、名づけ方が哀しい。
本当の同窓会に最後に呼ばれたのはいつだっただろう。今でも愛媛から東京に飛んでいくくらいの元気はあるのだが。っていうか、 ここの固定読者約70人の内訳が知りたい。会社の同僚が70人読んでるはずはないしなぁ。大学の同級生の皆さん、 読んでたらコメントつけてくださぁい。
足の痛みはほどほどながらも、お尻が痛く、頭も痛い。営業はつらく、自席に戻ると、珍しく1課も居心地が悪く、
それを避けるようにして会議に行ったらそれもつらく、1時間45分の会議が終わって自席に戻ってみても、1課の居心地の悪さは続いていた。
ここまでうっとうしいのが重なる日もめずらしい。
今朝、めざましテレビを観ていたら、「ドリカム記念館オープン」 というニュースをやっていた。Dreams Come Trueといえば、言わずと知れた、1989年に
「あなたに会いたくて」 (もちろん松田聖子の同名曲とは異なる。あっちは正確には
「あなたに逢いたくて(midi)」) でデビューして、 「未来予想図Ⅱ」
や「LOVE LOVE LOVE 」 他のヒット曲を持つバンドであるが、
いまやあまりにメジャーすぎて私はあまりまじめに聴いてない。それでも3枚目の
「Wonder3」(1990年11月1日) から5枚目の「The
Swinging Star」(1992年11月14日)を経て、8枚目の「LOVE
UNLIMITED」 (1996年4月1日)までは買って聴いていた。
私は89年に大学入学して93年に卒業したので、 主に大学時代の思い出ということになる。
92年秋。私は東大教育学部学校教育学科の4年生だった。ドリカムは「決戦は金曜日」
(midiはここから。) をシングルリリースした直後だった。学校教育学科 (以下「学教」)
の4年生十数名は、ほぼ全員、金曜3限の 「学校教育学実験・調査実習」
という科目を履修していた。通称「金3ゼミ」である。 この授業では、 秋に伊豆湯ヶ島の小学校に出かけていって、
小学生相手に教育実習的なこと(といっても、普通の国語算数理科社会などではなく、 今でいうところの総合学習的な内容)
を行うというのがひとつの目玉であった。当然、出かける前に何週にもわたって指導案を書く。そしてその 「なってない」指導案は、
当時の、稲垣忠彦・吉田章宏・佐伯胖・藤岡信勝・佐藤学・ 中田基昭(敬称略。いまだに現役なのは最後の二人。) といった、
学教所属の教授&助教授にボコボコにたたかれるのである。怖いものしらずの我々学部生たちは、若気の至りで、
ずいぶんつっかかっていったが、結局は撃沈していく。
当時、私は、金曜日になるたび、「決戦は金曜日」を聴いて、
他のどの授業よりも準備と気合と努力と根性が必要だったこの授業に取り組んだものである。
そして、この小学校での授業で私が何をやったかは、前にも書いたが、詳しくは次回以降に続く。
秋のイベントその4。今治シティマラソン2005。結果はこのページから。(「坊っちゃん」の結果も出ている)
今日走るのは、坊っちゃんの時とは異なり、マラソンデビュー2戦目、まじめに練習をつんできた優良ランナー、3課のTさんと、
何戦目かわからない、まったく練習しない、タバコまで吸う不良ランナーの私だけ。今治までどうやって行こうかなぁと思っていたが、
U君がベンツで連れていってくれた。何だかんだいいながらも世話好きなU君ではあるが、ことマラソン大会に関しては、
自分自身が走らないのに応援だけ来るのはきわめて異例。7時半すぎにTさんを拾って、R196で今治へ。8時半過ぎにはスタート&
ゴール地点である今治城横の美須賀中学校に到着。今日も暑い。
Tさん(5キロ)のスタートは10時20分。私(10キロ)のスタートは10時30分。
スタート。いきなり最下位。最下位ランナーを煽るバイクのエンジン音がうっとうしいのでちょっとだけスピードを上げる。
1キロ過ぎで沿道から写真を撮られ、1.5キロの給水所(反対側)で、Tさんとすれ違い、そこからは海に向かって淡々と走る。
4.6キロに給水所があったが反対側。5キロ折り返しで11時3分。33分かかっている。
(ちなみにTさんは目標としていた30分を切っていた。)単純に2倍すると66分。今日の10キロの制限時間は70分。うーん、
間に合わないかも。そして5.4キロでさっきの給水所。ところが、給水所のくせに飲み物がもうなくなっていた。うそー、信じらんねーよー。
しょうがないのでスポンジに含ませた水で体を濡らすだけ。しんどいながらも次の8.5キロの給水所をめざす。
ここでは飲めたが、水飲んだせいかかえって疲れてしまい、とうとう8.8~9キロくらいの間、歩いてしまう。しかし、
角を曲がって堀端沿いの道に出ると、ここからはいつカメラが狙ってくるかわからないので、気合を入れて走る。だが、
結局70分には間に合わなかった。でも、練習してない割には何とか走れたのでよしとしよう。
ゴール後。
U君:「途中で救急車が一台行ったんよー。70%くらいお前じゃないかと思ったけど、タイム的に違ったし、
すぐそこら辺で止まったから違うのはわかったんやけど。いや、一瞬、(明日、通夜かぁ、明後日から出張やから忙しいなぁ)って。」
私:「まだ生きとるわ!」
しまった、2日連続でツッコんでしまった。マラソン中に死ぬのは、無いとは言わないが、
私の死に方としてあまりふさわしいとは思えない。「誰かの壊れたディスプレイを修理しようとして、分解して中触ってるうちに、高圧電流に触れて感電死」
とかだったら、皆さん、納得しそうな気がするけど。
その後、会場から駐車場までの間にあった中華料理屋(3人で普通に注文したのに2050円という安さ。)に寄って昼食を摂ってから、帰宅。
思ったよりは疲れてないけど、明日はたぶん足が痛いし、ついでに頭も痛いだろう。
昼食時。今月末の長崎ツアーに行くことになっているダブルWさんが長崎ゆかりの文学者について話している。が、私は、
長崎出身のプロレスラーならすぐに3人くらいは言える(大仁田厚・長与千種・阿修羅原)が、文学者はわからないので、話に加わらず、
黙って食事をしていた。その時の会話。
若くない方のWさん:「文学もさることながら、長崎といえば、さだまさしの歌に、長崎の地名を詠んだのがあるんですよ。」
若い方のWさん:「そうなんですか。じゃあ、何ていう曲か調べときます…彼が。
」
私:「何でやねん!」
しまった。普通にツッコんでしまった。ともあれ、調べてみたら、こんなページがあったが、 長崎を歌った曲は多いので特定はできない。
夜。昼寝から目覚めたら「クレヨンしんちゃん・
嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」をやってたので観た。前に観た時もたまたまテレビをつけたらやってたというだけだったので、
終了5分前の銃声シーンからしか見ていないが、それでも感動的なラストだった。今日はほぼ全部見て、やっぱり涙が誘われた。(『しんちゃん』
で泣くかぁ?)と思われるかもしれないが、案外泣けるものである。
最近のコメント