十津川は遠かった
大幅に予定がくずれ、26人全員、生死の境をさまよったが、なんとか無事にホテルに着いた。今日はこれ以上もう何も書けない。
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大幅に予定がくずれ、26人全員、生死の境をさまよったが、なんとか無事にホテルに着いた。今日はこれ以上もう何も書けない。
夜の大宴会に備えてみんな睡眠中。
今日で今期は終了したが、明日からの旅行を控えて、気が休まらない。ふだん、「段取り」 という言葉を知らない人間を激しく批判している割には、今回の旅行に関しては、段取り不足・準備不足の感が否めない。まあ、 でも何とかなるであろう。
ここ最近、ココログの調子が悪いらしく、アクセスしにくい。明日と明後日は携帯電話からの更新になるが、 二重投稿になってしまう危険性大である。
今日も何だか無意味に忙しく、200枚の書類処理は終了したが、250枚のマークシート処理は、まだ。
さらに、テープ起こしも、ヒアリングは終わったものの、文章化は、まだこれから。
そんな中、頼んでもないのに、中央から「ベクトル」の問題が到着した。テープ起こしを抱えた同じ仕事仲間なのに、
どうして足を引っ張る?(笑)>Tさん。
しかし、「いつ、なんどき、誰の挑戦でも受ける」私としては、やらずにはいられない。
2枚の書類の空欄をすべて埋め、提出。Tさんにはあす旅行に行く前にチェックしてもらおう。ちなみに、Wさんからは
「Tさんに目線入れても、すぐわかるぞ」と言われた。…たしかに。
今日は、同僚7人に対して、とある新規プロジェクトの実行の可否を問わねばならなかったのだが、7人全員、即答で、可。 128分の1の確率を制した。いずれ、その計画は、このブログで明らかになるであろう。
21日に、まちがえて観光港に行き、たまたま日本丸を観た話は、ここにすでに書いた。
25日に写真の現像ができ、スキャナで読み取ったので載せておこう。
三津浜港から観光港へ行く途中、梅津寺を通った時、あることに気がついた。
(あ、梅津寺健康ランドが、潰れて、さら地になってる。)
あれは7年くらい前。当時、私はウチの会社のOA主任だった。この仕事は、年に何回か、死ぬほど忙しい日がある。
そのひとつが1月20日前後の、とある1日である。
その日は、他の多くの社員が会議をひとつ終えたらすぐ帰宅する一方で、私たちOAのメンバーは、前日朝から深夜まで&
当日朝から夕方まで働きづめである。
ようやくのこと仕事が終わり、帰ろうとすると、副社長が言う。
「梅津寺に行くぞ。」
当時、私は観光港の目の前のマンションに住んでいたが、副社長の家は道後にあり、まるで方向が逆である。しかし、
彼は私を連れて梅津寺健康ランドに行き、2人で風呂に入り、食事をして帰る。そんなことが2年か3年続いた。
しかし、いまや梅津寺健康ランドはない。副社長といっしょにあそこに行くことは、もうない。
土曜夜、八丁堀まで戻ってきた私とTさんは、ロースかつ定食を食べながら、ライブを振り返る。さすがに立ちっぱなしで少々足が痛い。
ホテルに戻り、入浴。ここのホテルは大浴場つき。ゆっくり疲れを癒し、部屋に戻る。
…気がついたら寝てた。起床9時。遅いよ。9時半ホテル発予定だったのを10時に遅らせてもらう。
電車で八丁堀のパルコへ。予定していた「ザ・ドリフターズ結成40周年記念展」を観にいく。(下は、
そこに置いてあったチラシの表面と裏面)
展示スペースとしては、そう広くはなかったが、「ドリフシアター」コーナーで、全員集合の「国語算数理科社会」
(←志村けん加入後だが、荒井注がゲスト出演)と「5軒家で衣装早変わり」(2005年版DVDに収録されているのとは別のもの)の2本を、
合計30分、立ちっぱなしで一生懸命見てしまう。上のパンフには、「人目を気にせず笑ってください」と書いてあるが、まさにその通りで、
2人とも普通に大笑いしてしまった。
11時。パルコを出て、本通を少々歩きながら、今後の予定を考える。「ちょっと早いが、食事にしよう」ということで、引き返して、
パルコの近所のヤマダ電機の隣の、お好み村に行く。しかし、
お好み村の中のどのお店がおいしいのか2人とも知らなかったので、「名前で決めよう」ということにして、
「八昌」
に行った。
朝食が遅かったのにダブルを頼み、強烈に満腹になった。
店を出て、12時ちょうどに本通から広電1番に乗って、港へ。スーパージェットの出発時刻は12時半。港に着いたのは12時27分。 ダッシュで受付して、桟橋へ走っていって、どうにかギリギリ乗り込んだ。
松山着。会社へ。すると一仕事終わったO君とS君が13路で碁を打っていた。それが終わった後、O君に誘われ、19路で対戦。
この日は、かなりおもしろい大規模な攻め合いが生じた。コウがらみではあったが、どうみても5手対2手くらいで負けている。よって、
そこを打つのをいったん止めて他にまわり、それも打ち終わったので、ヨセに入ってもう一度そのあたりを打ち始めた。すると、
O君がダメ詰めの順序を間違えたために攻め合い逆転で、私が20子ほど打ち上げた。
…にもかかわらず、60数子VS10数子で私の負け。通算8勝16敗1分け (他の人たちとは1勝3敗)。 うーん、何でだろう。
やっぱりダメだなぁ。
26日14:00。36歳の私は、同僚Tさん(41歳)を連れて、同世代(39歳)の渡辺美里を観るために、広島へ行くべく、
松山観光港へ。
15:00発のスーパージェットで広島港。広電5番(比治山経由)で猿侯橋町下車。アークホテルにチェックイン後、即、出発。
紙屋町東で降りて、アストラムに乗り換えて、白島で下車。下車後すぐ、郵便貯金ホールが見える。会場着は5時40分。
ホールに入った後、Tさんは最新アルバム購入特典のサイン色紙(を入手し損ねて悔しがる。しかし実は私はサインそのものには興味がない。
元オフコースの4人のサインは持ってるが、それは現に目の前で書いてもらったということのほうが重要。
さらにTさんは、今年の夏のラスト西武ドーム記念のチケットフレームを買った。彼は、今年の夏、
チケットを持ってないのに終演後の西武ドームまで行ったという、ある意味つわものである。
つい、つられて私も買ってしまった。(その写真は前の記事。 )フレームの中身の写真は3パターンあったのだが、Tさんも私も、
歌ってる表情が最もよくわかる同じやつにした。
18:00。開演予定時刻。げげ、客席の1F後方5列&2F、ほとんどガラガラ。うーん、広島なのに。ちょっとショック。
18:10。開演。美里登場後、すぐ皆スタンドアップ。1曲目2曲目がわからないものの、3曲目の「すき」からは、
MCで曲名いってくれたので、大体間違いないはず。
広島は7年ぶりとのこと。最前列の女の子に年を訊いて、「9歳!」と驚き、そのお母さんが「7年前にも来ました」と言って「2歳!」
とさらに驚く。
MCでは、スクリーンにアルバムジャケットを映し出して、「この7年間で、これだけアルバム作ってました」みたいな話も。
彼女に、歌声の点での不安は何もない。ただ、正面を見て歌ってるときはいいのだが、2F方向に向かって視線が上がってる時は、
(友近に似てる…)
……いやいやいや。友近が似てるんだ。
8曲目。「BELIEVE」の時、他のほとんどのお客さんが手拍子する中、私が一人、
彼女の方を向いて一緒に歌いまくっていたら、ずぅっと私の方を見て歌ってくれていたような気がする。4列目27番は、
そういう思い込みをしてしまっても不思議ではない、ど真ん中の席であった。 西武球場はもちろん、去年の西条の時も、 こんなに近くはなかった。
岩崎宏美のときは、 「近所のおっちゃんおばちゃんが、特にファンではないけど、
ちょっと観に来てみました」感があった。鈴木康博の時は、 ファンが来てたと思うけど、ショットバーで落ち着いてアコースティックだった。
それらに対して、 今回は、本当に好きなファンが集まって盛り上がっていたという感じがした。
だって、「My Revolution」をはじめとして、
こぶしを突き上げたり手を振ってみたり、 アンコール中にはウェーブ起こそうとしてたフシもあったし。しかし、
あの狭い会場でウェーブは無理やろ(笑)。
よかった。鈴木康博の時の「よかった」とは、また違った意味でよかった。昔のような、
跳んだり跳ねたりの曲はそう多くはないかもしれないが、アルバムの楽曲のテンションが落ちてるようには思わない。
今回のライブでこの1曲というのを選ぶのは難しい。シングル曲は定番の佳曲が多かったし、ニューアルバムからの曲はどれもよい。
あえて言えば、「Kiss from a rose」か「Oh! Hardest
night」か。
楽曲そのものとか、彼女の歌唱とか、楽器(今回はアコースティックではないので、パーカッションやサックスもあった)もよかったし、
なにより、我々ファンと彼女とバンドのメンバーたちが作り出すライブの雰囲気がすごくよかった。もっとずっと歌っていたい、
そしてそれを聴いていたいという感じが会場全体を包んでいたような気がした。
さぁ、来週の金曜日は、宇和文化会館行こかっ…って、会議ですから無理です。たぶん。あの会議とmisatoライブとを天秤にかけたら、 心情的には、100%、misatoライブなのだが、仕事なので仕方がない。
広島県広島市中区・郵便貯金ホール 18:10~20:40
曲名・曲順は、1がもしかしたら2かも。10は、歌ったのは間違いないが、13かも。
どなたか、直してください。
曲順 | 曲名 | 初出アルバム |
1 | Precious Love | Sing and Roses |
2 | ||
3 | すき | 14thシングル |
(MC) | ||
4 | トマト | 46thシングル |
5 | 悲しいボーイフレンド | eyes |
6 | amagumo | Blue Butterfly |
(MC) | ||
7 | 恋愛とコーヒーと | 「トマト」カップリング
(Sing and Roses) |
8 | BELIEVE | 7thシングル |
9 | No Side | Sing and Roses |
10 | Kiss from a rose | Sing and Roses |
(衣装チェンジ) | ||
11 | ムーンライトダンス | 13thシングル |
12 | Oh! Hardest night | Sing and Roses |
13 | ||
14 | ジャングルチャイルド | BIG WAVE |
15 | My Revolution | 4thシングル |
16 | Live for today!~あなたと生きてゆく~ | Sing and Roses |
アンコール1 | ||
1 | メロディ | Sing and Roses |
2 | 10Years | |
3 | サマータイムブルース | 16thシングル |
アンコール2 | ||
1 | GROWIN' UP | 2ndシングル |
2 | いつかきっと | 25thシングル |
3 | 夢のあいだ | Sing and Roses |
感想はあとで。
広島駅そば、アークホテルにて。
美里ライブは、2時間半、本当に立ちっぱなしで、大いに盛り上がった。
詳細は明日以降。
出勤後、関係各位に、昨夜現像したばかりの写真を配布してまわる。
午前中、時間を見つけて、昨日の続き。cos(α+β)とcos(α-β)については、昨日習ったとおり、2点間の距離&
余弦定理で証明できたが、sin(α+β)とsin(α-β)の方は、開平する時にマイナスの方を無視していいのかどうかわからず、断念。
あした、誰かに聞こ。
それとほぼ同時刻、社内の別の場所では、Xさんが人知れず泣いていたらしい。
加法定理と重松清は両立しない。しかし、どっちかっていうと、私の方が邪道である。
11時。月曜会議の臨時版。短時間で終了。
昼食後、JTBのKさんと打ち合わせ。3日目の詰めが甘い。旅程表の時刻は全面的に誤植。
本題終了後、こないだのK-1GP決勝話。どうやらKさんは格闘技系はイマイチらしい。もともとUWF信者のはずなのだが、
PRIDEのほうは見るのかな?
長話もしていられず、話を切り上げて、1時からはソフトボール大会。ドリンクを買ってくるのを忘れていて、あせるが、
O課長が快く買いにいってきてくれて、その後は、隣のSさんが快くグラウンドまで持っていってくれた。しかし、課長だの大先輩
(←私じゃなくてO課長がそう言ったのだ。)だのに「使いっぱ」させるのはいかがなものか?
記念撮影後、ソフトボール大会開始。5イニングで2時に終了。
終了後、Tさんのところに写真を届け、その後は、終わったばかりのソフトボール大会をネタに、新聞記者ごっこ。
写真もあまりたくさんは撮っていなかったし、取材メモも取ってなかったので苦労するも、Tさんらの助けも得て、終了したのが5時半。
書き物が終わったせいで、テンションが上がり、Cさん相手にべちゃべちゃしゃべっていたが、あたりを見回すと、
急ぎで資料を作らなければならないO君だのS君だの。あるいは、3F会議(いや彼らの場合、「2F会議」だ)のせいで異常に疲れているにもかかわらず、さらに、
急ぎでしかも2種類も3種類も資料を作らねばならない、 1課のHさんや2課課長Yさんや3課のW君ら。
「ごめんね、うるさいねぇ。」と謝って、退勤。
夜、明屋城北店に行く。
おととい行った空港通店は、美里のニューアルバム「Sing and Roses」
を置いてないので、もう見限った。旧作にしても「Sweet 15th Diamond」
しかおいてない。これは5年前のベスト盤である。
中央通店には、「Sing and Roses」 と「M・
Renaissance~エム・ルネサンス~」があった。売り場面積は狭いが、こっちの方があてになる。
で、城北店には、中央通店と同じ2つに加えて、「ソレイユ」「ORANGE」
「ブルーバタフライ」 のここ最近の3作が在庫。 次からはここで買うことにしよう。
入り口付近に、重松清の 「きみの友だち」が平積みされていたので、珍しく取りあげてみた。
適当にパッと開いたら偶然にも「ねじれの位置」というタイトルだったので、それだけ立ち読みした。
ねじれの位置と重松清は両立するらしい。
立ち読みなので正確に覚えていないが、ラスト手前にこんな一節。
「ねじれの位置のほうが、面と向かって話すよりも話しやすい。」
いや、かつて (ちょうど1年前に)「ねじれの位置」を隠喩として使った者としては、
それはどうかな。あー、でも、 この小説の場合、「ねじれの位置」ということばは、 いわゆる数学的な意味で使われているから、
他人の目を見てしゃべれない者としては、それはそれで当たっているような気もしてきた。
ほとんど誰にも気づかれていないが、昨日の3本の記事と今日のこの記事のタイトルは、すべて、美里の曲名のもじり、またはそのまんま。
いよいよ明日は広島である。
昼食時、Wさんが言う。「よくまあ、あれだけ書くことあるなあ、もしかして…」
そうです。私は暇です。特に帰宅してからは。今日も書きたいことが山ほどあるが、 さあどこまで書こうか。
期末処理に関するもろもろのタスク(仕事・娯楽)で忙しくなってきているが、そのほとんどは、9月の時点で予想済みだったので、
ほぼ予定通り消化した。
一方、予想外のタスクとしては
1 3課のIさんからのデータベース修正依頼×2件
2 出張会議のテープ起こし(←正確には「テープ」ではないが。)
3 3課のTさんからの「年賀状で使いたいから、
坊っちゃんマラソンの時の写真を早くください。」
1は、とうとう断念。1件はIさん自身にやってもらうようにし、もう1件は旅行後まで待ってもらう。
2は、ようやく1回目のヒアリングが終了。まだまったく原稿の形にはなっていないが、とりあえず1回目は終わった。
で、3である。あの時の写真は、キスデジではなくEOS3(銀塩)で撮ったので、まだフィルムがカメラの中である。
しかもまだ7枚くらい残っている。どこかに撮りに行くような暇もなく、社内で何とかしようと思い、
いろんな人に、撮らせてくれるように頼んでまわった。
しかし、普通に勤務している時間帯では写真もなかなか撮りづらい。ウチの会社にはカメラマンのCさんがいるが、私はあの人ほど、
すーっと他人へは入っていけない。
そこで、休憩室に飾ってある花を撮っていたら、いつもの(本田美奈子を知らない方、あるいはコンピュータに詳しくない方の)
Fさんが言う。
Fさん:「最後は、きれいなもん撮って終わりにするん?」
私:「そうですね。…でもまだ4枚もあまってる。」
その会話を耳に挟んだのは、我らがO課長。
O課長:「きれいなもん?ワシ?ワシ?」
私:「…。しゃーないなー。撮ってあげますよ。」
満面の笑みで写るO課長。これであと3枚。
その後、事情を説明するために、ちょっと離れた控え室にいるTさんのところへ。そこでも、Tさんとゆかいな仲間たち(←だれやねん?) の写真を2枚撮るが、
3人が横並びになってくれないので、ピントは合わなかった。これで、あと1枚。
さらに夕方、今度の旅行の打ち合わせのために、仕事を終えたU副部長に会いに行く。
その後、Xさんとゆかいな仲間たち(←だから、だれだって?)を撮りにいって、無事、
きれいに終わる。
1課に戻ってしばらくすると、O課長が3F会議から戻ってきたので、報告。
私:「Xさん撮って、きれいに終わりましたから。」
O課長:「そうかぁ、ワシじゃだめかぁ。」
…いや、Xさんと張り合わなくてもいいですから。
写真撮影の一方で、今日は製本業にも携わった(っていうか、今日はこっちが本業。)
お客さんたちが私の言うことをよく聞いてくれたので、早めに終わる。空き時間がたくさんあったので、そこらへんにあった紙に
ド・モアブルの定理の証明。(数学的帰納法による)
ルート2が無理数であることの証明。(背理法による)
sin3θの展開とcos3θの展開。(加法定理と、ド・モアブルの定理)
円すい台(=紙コップみたいな形)の体積の公式の証明(答えは、「1/3πh(r1×r1+r1×r2+r2×r2)」でいいはず。)
を書いて時間を潰す。加法定理の証明だけはわからなかったので、1課に戻ってきてから、Y君に聞いた。
3時10分。営業から帰ってきてみると、隣のTさんが発熱で早退していた。朝、37.5℃あったと言っていた。もうすぐ旅行だというのに、
37.5℃の発熱か。きっと、3F会議疲れに違いない。
あれは10年前。当時5課所属の私は、北海道ツアーの添乗の一員だった。生まれて初めての北海道で興奮していたのであろう私は、
出発当日の朝、37.5℃の熱を出したまま、仕事なので休むこともできず、北海道へ出発した。初日は、
ホテルに着くや否や自分が倒れてしまい、添乗員としての仕事は何もできなかった。2日目3日目も万全とはいえない状態のままである。
体調管理ができないお前が悪いと言われればそれまで。しかし、あんな体調だったのに、どうして、夜中の2時に札幌の街に連れ出され、
彼と2人きりで、酒を飲まねばならなかったのだろう?
私:「すいません。体調悪いんで、許してください。」
O課長:「関係ないから。いこ、いこ。」
たしかに私の体調はO課長には関係ないかもしれない。しかしこの時私は、(ああ、この人のペースにつきあうと、ろくなことにはならねー。)と思った。
あれから10年。O課長は何も変わっていない。あれから何度、煮え湯を飲まされたことであろう。しかし、恐ろしいのは、彼自身が、
自分が誰かに煮え湯を飲ませているとはこれっぽっちも思っていないということである。
もちろん、このO課長は、現1課のO課長とは別人である。
身辺雑記ばかりなのもどうかと思うので、ネタを変える。
最近観たテレビについて。
10月8日 | ミュージックフェア21 | 郷ひろみ&及川光博 | キャスティングの発想が全く同じ。リスペクトする者、される者。
ミッチーや西川貴教が現役バリバリなのは言うまでもないが、郷や西城もまだまだいけてる。だからジュリーが…。 |
11月17日 | 音楽夢くらぶ | 西城秀樹&TMRevolution | |
11月19日 | K-1GP2005決勝 | ●武蔵VSグラウベ○
●グラウベVSシュルト○他 |
やっぱり、KOがわかりやすくていいなぁ。とりあえず膝蹴り(グラウベのもシュルトのも)がコワいことは間違いない。 サードロープでギロチン状態になってるグラウベをみて、エプロンで失神した北尾を思い出した。 |
11月21日 | ワールドプロレスリング | IWGPタッグ
○蝶野・天山VS●中邑・棚橋 |
もう新日を見ても興奮しなくなってしまった。こんな元ファンが全国にたくさんいるに違いない。 新日はどうなってしまうのだろう? |
11月23日 | 歌謡チャリティコンサート | 森進一・氷川きよし・森口博子・上戸彩・夏川りみ・長山洋子・堀内孝雄・石川さゆり・五輪真弓・ 大川栄策ほか | 知らない歌もあったが、全体的にはよい人選。
68年生まれの森口&長山がアップになった時、年とったなぁと思ってしまった私も私で69年生まれ。 歌は2人とも上手いからいいけど。 森進一は「冬のリヴィエラ」と「影を慕いて」。去年の職員旅行の夕食宴会のオープニングは私の「冬のリヴィエラ」だったが、 さあ今年は何歌おう? 歌手より作家が気になってみたりして。「冬のリヴィエラ」は松田聖子っぽいし、「愛しき日々」は、小椋佳か。上戸の 「夢のチカラ」は、詞も曲も、言われりゃ納得の高見沢俊彦の世界。森口の「ETERNAL WIND」 の作詞の西脇唯も、 最近聴いてないけど、いい曲が多い。 |
24日9:00~15:00の間、ココログの大規模なメンテナンスのため、このブログは、閲覧も投稿も何にもできません。 ご了承ください。
以下2件、個人的な伝言。
その1。レイザーラモンHGがピン芸人じゃないことを知ったついでに、
レイザーラモンの2人がかつて立命館と同志社のプロレス研究会でそれぞれ王座についていたということと、「レイザーラモン」というのが、
アメリカ人レスラー、スコット・ホールのWWF時代(1992~)に名乗っていたリングネームだということも、覚えておいて損はない。…
得もないけど。
ちなみに私はWWF時代の彼は覚えていないので、レイザーラモンがどんなレスラーだったかは、
君の中3の時の社会のW先生に聞いてください。
その2。オッサンとしては、「わ」の時くらいは、美里を挙げてほしいものだと思ってはいたが、「やさしく歌って ~Killing me softly with his song~」 とは、また渋い。でもデビュー20周年だとまだ若い気がするんですよ。 こないだから30周年オーバーの人のライブばっかり行ってるのでね。ともかく、君も10年経っても20年経っても「歌好き」 でいてください。
さて、今日は祝日ではあるが、6課だけ営業中。私はやることが溜まっているので、6課所属ではないが、7時40分に出社。
1課には誰もいなかったが、2課にはすでにS君が…。ま、さほど意外でもない。
8時20分、6課相手に職員朝礼が行われているのを遠くに聴きながら、S君も私も、週末に使用する書類の作成。私は10時半に終了。
10時半~11時半。O課長が6課からやってきた。今日は、めずらしく60分フルに仕事の話。しかし、話の最後には、
私の机のフィギュアを見て、「これ、だれ?あー、力皇か。…これは?マスカラスね。」
と言って去っていった。
11時半~13時。週末のソフトボール大会とバレーボール大会の要項作り&
チーム分け。今回はテニス大会は人数がそろわず、中止。
13時~15時。職員旅行のしおりの印刷&
製本&袋詰め&配布。写真を多用したせいで、プリンタにメモリ不足が生じ、
印刷時に文字が抜け落ちるという症状に悩むも、何とか完成。製本&袋詰めではTさんとMさんに手伝ってもらう。
15時~17時。明日の営業中に行う、竹取物語二次創作文集の表紙印刷。表紙に使えそうな
「かぐや姫」っぽいイラストが見つからず苦労する。
Webで「かぐや姫」で検索してみてもやねぇ…
♪あなたは もぉぉ わすれたかしらぁ
♪きしゃをまつきみのよこでぼくは とけいを きにしてるぅ
…歌っている場合ではない。
「かぐや姫 イラスト」とか「かぐや姫 素材」 とかでがんばってみるが、なかなかいいのが見つからない。やっと見つけたが、
それはかぐや姫というわけではなく、実は単に 「十二単を着た女性」である。まあ、雰囲気は出てるからよしとする。
17時~17時45分。2課では、5課からNさんがやってきて、S君やY君と話をしていた。ときどき、話に加わりながら、
明日使う書類をB4で1枚作る。
…あ、昼ごはん食べてない。…あ、机の上に、かりんとうがある。食べとこ。
18時。帰宅。
そろそろ秋のイベントが終わりそうなので、後で見やすいように、まとめておく。(新規カテゴリーで「秋のイベント」 を作ればいいだけのような気もするが。)
1 | 9月19日 | 演劇 | Winds of God | 松山市総合コミュニティセンターキャメリアホール | 記事 | |
2 | 9月23日 | マラソン | 第5回坊っちゃん一緒にらんランRUN | 松山市中央公園運動広場←→重信川 | 記事 | |
3 | 9月25日 | お笑い | 笑い飯のお笑いライブツアー2005 | ベスト電器松山店 | 記事 | |
4 | 10月2日 | マラソン | 第19回今治シティマラソン2005 | 今治市立美須賀中学校←→海岸 | 記事 | |
5 | 10月18日 | プロレス | NOAH愛媛大会 | アイテムえひめ | 記事 | |
6 | 11月9日 | コンサート | 岩崎宏美ライブ2005~Happiness~(アコースティック) | ユープラザうたづ | 記事1 | 記事2 |
7 | 11月17日 | コンサート | 沢田研二コンサート greenboy | 松山市民会館 | 記事 | |
8 | 11月19日 | コンサート | 鈴木康博「FORWARD」Acoustic LIVE 2005 中国地方シリーズ | Monk | 記事1 | 記事2 |
9 | 11月26日 | コンサート | 渡辺美里ライブツアー『Misato Sing and Rose Tour'05~'06~歌とバラの日々~』 | 広島郵便貯金ホール | 記事1 | 記事2 |
10 | 11月30日~12月2日 | 旅行 | 世界遺産を巡る | 高野山→熊野→那智→白浜 | ||
美里とバッティング | ||||||
たぶん会議をやってるはず。 | ||||||
たぶん会議をやってるはず。…広島行くんだからもういいじゃん。 | ||||||
|
忘年会の予定が入っている。 | |||||
15 | 12月25日 | ディナーショー | 岩崎宏美 | グランフォーレ(四国中央市) | 記事1 | 記事2 |
おそらくは日~月に寝だめしたせいであろう、月曜の夜は深夜2時まで寝られず、しかも4時に目覚めた。
出勤後、そこそこ時間が経ったのに、1課で出勤しているのは私とO課長のみ。若干風邪気味だという課長を気遣って私は言った。
私:「体調どうですか?」
O課長:「うん、あんまりよくはない。喉だけやけど。薬飲んでるけど、
薬が合わんのかもしれん。」
私:「合わんのじゃなくて、 (カラダが大きいから)足らんのでしょ?」
O課長:「そうそう、何ぼ飲んでも足らん…
って、何でやねんっ!」
ツッコミとノリツッコミを繰り広げる私たちであったが、ふと、辺りを見回して気がついた。
私たち:「客がおらんっ!
誰も観てないのにやってもうた。」
O課長:「やっぱり、常に客の目は意識しとかんといかんよなぁ。…プロとして。」
…いや、私たちはプロではないぞ。
O課長:「ここいらにはアホは多いけど、2人だけでやるのは一番アホやなぁ。」
…はい、私もそう思います。
その、わけのわからんノリのまま、朝礼開始。私は今日はスポーツ大会や職員旅行について連絡しなければならなかった。 朝の職場に軽い笑いを、と思って、小ネタを仕込んでしゃべったが、1課2課あたりは無反応。 スベッたか?と思っていたら、若干、間があってから5課あたりを中心にそこそこ笑い声。満足。
午前中。土曜日に使用する書類を作成するつもりだったが、プリンタトラブルが生じ、自分では手に負えないので、
エプソンのサービスマンを要請。なんやかんやで11時45分。食事していたら電話で呼び出された。そうだ、
11時40分からのAccess講座を忘れていた。生徒のK君に詫びを入れる。
午後。眠いので休憩がてら3Fに上がって、久々にWさんとちょっと雑談しようと思ったが、「ちょっと雑談」のはずが、
Wさんのマシンガントークを食らう。会話の9割5分は彼がしゃべっていた。(残りの5分で口を割らされた。)何にせよ、
Wさんの「悩みキャラ」は不滅である。
3時20分。Eさんのマシントラブル。どうやらスパイウェアにやられたらしい。「スパイウェアって何?」って訊かれたが、スペイン語では説明できないので、
「ウイルスみたいなもんです」
といい加減な返事を日本語でしておいて、Spybotをインストールして解決。 スパイウェアが邪魔しているせいか、
Spybotのインストールに30分くらいかかったが、インストール後は無事撤去完了。終了4時10分。
スパイウェアについての説明のページはここ。
終了後、3Fの会議へ。とうとうこの季節がやってきた。脳内の血管中の全血液が沸騰してグツグツ言ってるかのような、あの感じ。
6時終了。もうヘロヘロさ。途中で、2回位キレそうになったが、我慢。
今日は出前を取っていたので、2Fに降りて、(さあ、 寿司でも食べるかぁ)と思ってたところ、社内唯一のMac使いのTさんにいきなりつかまる。
Tさん:「プリンタに接続できないんです。」
ふらふらな私はそれでも頑張って調べてみようとする。 Tさんのすぐ横では、3人並んで、さっきの会議の疲れを癒しつつ、寿司を食べている。それを横目に、(腹減ったよぉ、疲れたよぉ、面倒なこと考えたくないよぉぉっ)と思っていたところ、3課課長Kさん現る。
Kさん:「だれか1人、寿司持っていってないぞ。誰の?」
私:(妙に大声で)「僕のです。早く食べたいのに、Tさんにとっつかまったんですよぉ」
4課5課6課の残業組のみなさん:(大笑い)
私:「うわ、みんな聞いてた。」
朝に一笑い、夕に一笑い。めったに人を笑わせることのない私としては、よしとしよう。
今日から本格的に期末処理開始である。午前中は各種書類の処理。昼は、家賃を振り込みに行くついでに、 今週土日の広島行きのチケット(石崎汽船の広島ビジネスパック)を買いに行く。
三津ふ頭の卸売市場横のひめぎんで振り込んだ後、三津浜港のフェリー乗り場の駐車場に車を停めて、角にある石崎汽船の本社へ。
(…あれ?「防予汽船」って書いてあるぞ。防予汽船?石崎汽船?柳井三津浜?広島松山?)
この瞬間、錯乱した私は、石崎汽船の本社がどこにあるのかわからなくなり、
もしかして高浜か観光港か?と考え、駐車場に戻り、車に乗り、石崎汽船だと思っていた防予汽船のビルを右手に、車を東に走らせ、
行き止まりで右折して、…、左折して、高浜に向かった。
高浜に石崎汽船本社はない。そのまま車を走らせると、むやみにでかいハンセン、いや、帆船が視界に入った。そうだ、観光港には日本丸が来ているのだった。 観光港の駐車場に車を停めた。助手席を見ると、
そこにキスデジはなく、EOS3(銀塩)しかなかった。が、 とりあえずEOS3で写真を撮った。見物客は大変多く、
三脚立てて写真撮ってる人たちもたくさんいた。時間があれば中まで行きたかったが、 残念ながら暇はない。
1Fに降りてカウンターで尋ねてみたがいまひとつ要領を得ない。
車に戻り、ナビで調べたら、やっぱり三津浜。戻ってみたら、ちゃんと石崎汽船はそこにあった。なんとクラシックな建物であることよ。
しかも、さっき(…)思いっきり車で通過してるし。
というわけで、ようやく購入。ホテル1泊&スーパージェット往復で16000円×2人。
帰社後、テープ起こし等で過ごす。ようやくあと20分のところまで到達した。
5時半になり、帰宅しようとすると、「私をおいて先に帰るつもりですかぁぁ!」 と言う人がいるので、明日の会議の予習につきあう。
7時。退勤後、久々にキタムラ南江戸店。フィルム1本現像を頼んでいる間に、隣のローソンに行く。Loppiで、コンサートチェック。 (聖飢魔IIって、 まだ活動してたんや)(←今秋再結成とのこと。) とか、(売り切れたんなら、 小田和正(12/13愛媛県民文化会館) は消しとけ)とか、 (ASKA(1/7松山市民会館) はまじめに聴いてないから行けないなぁ)とか、 思いながら、 中国四国のコンサートをスクロールさせていくと…。
岩崎宏美ディナーショー
あーあ、あった。実はホテルに直で電話するのが面倒で、まだ買ってなかったのだが、ここで見つけてしまったら、もうだめだ。指が、 「夜の部 S席 22000円 1枚」を押してしまっていた。で、買った後で思ったが、 どうやって行こう?車で行くと酒飲めないし。泊まりかぁ?
それにしても、金遣いが無茶苦茶なような気もするが、もう半ば諦めているから、
これでいいのだ。(11:3=B)
←先週の「トリビアの泉」より。首を左90度回転させて見てみたら、「バカボンのパパ」に見える。
レジで、その他食料も含めて23800円ほど払う。ローソンでの支払いとしては最高額。
秋のイベントその8 鈴木康博アコースティックコンサート at Monk 19:05~21:10
いやー、よかった。これはよかった。(ジュリーコンサートから中一日かよっ!) という読者の皆さんのツッコミはさておき、よかった。観客22名ってもったいないぞぉ。 誰か連れて行けばよかった。オフコースファンなら、探せばいたような気がする。しかし、自分が松山で22本の指(?) に入るコアなオフコースファンであることは確認できた。
今回のライブは、セルフカバーアルバム「forward」を元に、オフコース時代の曲を中心に構成されていた。 去年のABCも非常によかったが、彼らはオフコースではボーカルチームではなかったし、小田はソロになってからのヒットが多すぎる。 その意味ではオフコースらしさを感じるには鈴木康博が一番だと思った。
彼も57歳である。ルックスの変化は、今年の夏、BSでフォークの番組にでてたのを見て、(あー、年とったなー) とは思っていたので、そう衝撃はなかった。声も、若いころのような高音は出ないが、ジュリーのように歌声が破綻していることはない。 「恋人よそのままで」のラスト、「♪あなたはまだ美しい」の「美しい」のところは、かつては上がっていってたのだが、下げて歌っていた。 年相応にアレンジしなおすのは見事だと思う。
MCでは、オフコース脱退関係の話も話してくれたし、再結成に関しても自分の考えを言ってくれたが、ここには書かない。秘密である。
小田に関して、彼がギターをやめてキーボードに移ったことについて、「キーボードを途中で始めて、あれだけうまくなるんだから、
彼はすごい」 とか、「CMで彼の声を聴くとやっぱりひきつけられる」とか、評価する言葉はあっても、悪く言う言葉はひとつもなかった。
小田は小田で、 「ヤスのギターには勝てない」とかつて言っていた。彼らは互いに尊敬しあっているのだと思いたい。
ほぼ完全にアコギ一本のアコースティックライブだったが、一部カラオケも入れていた。また、ギター弾きながらハーモニカとか、
ギター弾きながら口笛とか、とにかく同時に2つのことができるのはすごいと思う。
12&13はソロアルバム「ダレか胃薬クレ。」の曲だったが、とりわけ13の
「アイデンティティーって何?」はなかなか興味深かった。これも歌詞を入手したら紹介しよう。
14は名曲。つい口ずさんでしまう。これでいったんラスト。
アンコール。15は、ある意味「また逢う日まで」的な歌詞の、ライブ終わりにふさわしい名曲。
アンコール2。16は、ファーストアルバムから「でももう花はいらない」… うわー。あたった!
…というのは…。
話は今日の昼過ぎにさかのぼる。Tさんに尋ねられた
Tさん:「(ジュリー、)太ってた?」
私:「はい。ダメですね。」
Tさん:「不摂生やな。」
私:「そうでしょうねぇ。で、今日は、オフコースの小田じゃない方なんですよ、Monkで。」
ジュリーとは異なり、鈴木康博の知名度は低い。ので、「小田じゃない方」という言い方をしてみるのだが、それでも通じない時は通じない。
実際、NOAHマニアのOさんは言った。
Oさん:「○○○○(←超有名バンド)だって、
○○(←ボーカル)以外のメンバーの名前なんか知らないもんなー。」
若干不満な私:「でもオフコースは、
もともと小田と鈴木のツインボーカルですよ」
しかしTさんはOさんとは違う。
Tさん:「鈴木康博?」
名前がすぐ出てきたことに驚く私:「そうそう」
Tさん:「『でももう花はいらない』とか?」
(渋い曲知ってるなー)と驚く私:「そうです、そうです。」
さすが、Fさんの対極をいくTさんである。今日のラストの曲を予言するとは。
ちなみに3Fの会議の時、私の左がTさんで右がFさんである。たまーにTさんは、議論の途中で、
テレビやアニメや芸能ネタを比喩として話をするので、あとでFさんに説明するのが面倒ではある。
ちなみに彼の結婚披露パーティーはMonkで行われた。
終演後、即CD販売&握手会。私の前の男性は筋金入りのファンで、色紙は持ってきてるし、
「鈴木康博デビュー35周年記念プレミアムBOX yass box」も持ってきてるし、
携帯で記念撮影もしてた。私もカメラ持っていっとけばよかったなー。で、「forward」を買って、「武道館(1982/6)の時は、
中1だったので、まさかこんな日が来るとは思ってませんでした。去年は松尾さんたちもここに来たんですよ。
でもオフコースは再結成してほしいようなしてほしくないような複雑な気持ちです。」と話しつつ、サインしてもらって握手してもらって、
店を出た。
「うそとほんと」内のオフコース関係の記事
ABCを観に行こう。 (2004/9/24)
オフコース漬け (2004/11/23)
ある意味 「伊勢物語」または単なる「キリギリス」(2004/11/24)
鈴木康博コンサート 松山市二番町Monk 観客22名
曲名・曲順は相当いい加減。もしかしたら間違えて小田の曲が入ってるかも。空欄は現在確認中。
曲順 | 曲名 | 初出アルバム |
1 | ||
2 | 恋を抱きしめよう | Three and Two |
3 | 愛の終わる時 | SELECTION 1978-81(「Yes-No」のB面) |
4 | ||
5 | 潮の香り | JUNKTION |
6 | 素敵なあなた | I LOVE YOU |
7 | 恋人よそのままで | JUNKTION |
8 | 君におくる歌 | OVER |
9 | 汐風の中で | Three and Two(「さよなら」のB面) |
10 | ロンド | シングル |
11 | 明日の風に吹かれて | forward |
12 | Keep On Running | ダレか胃薬クレ。 |
13 | アイデンティティーって何? | ダレか胃薬クレ。 |
14 | 一億の夜を越えて | We are |
15 | いくつもの星の下で | We are |
16 | でももう花はいらない | オフ・コース1/僕の贈りもの |
その他、洋楽曲や、幻の(?)デビュー曲「群集の中で」など。
今日は営業はなく、午前中から3時ころまでずーっと、来週月曜日に使用する書類の作成。完成したので印刷に回した。
途中、昨日のジュリーコンサートの報告や、12月のハードな生活の予想など。
W君が言う。「週ゴン、買いましたか?」「買ってない。」「長州のインタビューが巻頭6ページ載ってるんですけど、何言ってんのか、日本語がわからないんですよ。読んでみてください。まるでどっかの (ピーッ。…以下、自主規制) 」
夕方。JTBのKさん来社。その直前に衝撃の事実が発覚し、あせるが、何とか間に合う。秋のイベントその10(=メインイベント) 「高野山・十津川・那智・白浜旅行」の打ち合わせをした後、「エディ・ ゲレロが死にましたね~」な話で盛り上がりそうになったが、 いつまでも続きそうだったので、話を止めて、帰っていただいた。
その後、秋のイベントその9(=セミファイナル)「渡辺美里ツアー To 広島」についてTさんと雑談。帰り(27日)
のスーパージェットの時刻は決めていないので、「ザ・ドリフターズ結成40周年記念展『40周年だョ! 全員集合』」を観に、
広島パルコへ行こうかという話をする。
さらにその後、6時前後。昨日、O課長が「はい、誕生日プレゼント。」
と言って、「プロ格ヒーローズ3NOAH編」 をくれた。が、開けてみたら力皇だったので、
「力皇かぁ、 微妙やなー」と言ってみたところ、今日になって、今度は
「プロ格ヒーローズ 5レジェンドファイター編 I」をくれた。開けてみたら、キラーカーン
(正確にはキラーカン)だった。力皇のことは知らないO課長も、 キラーカーンは知っている。
私:「キラーカーンと言えば、MSGでアンドレの足折ってねー」
O課長:「モンゴリアンチョップやろ?」
私:「いや、足折ったときはコーナーポストからのニードロップ。」
Y君も話に加わってきた。
Y君:「キラーカーンって死にましたっけ?」
私:「いやいや、死んでないよ」
ちょいと離れた2課のTさんが、突然、私たちの話に参戦。
Tさん:「カーンは中井(=新宿区)で『かんちゃんの店』っていうスナックやってる。
」 (現在は、歌舞伎町で居酒屋。)
Y君:「ハンセンは死んだ?」
私:「死んでないって。」
O課長:「死んだのはブロディ。」
Tさん:「ブロディ刺したの誰だっけ。プエルトリコの。」
私:「ホセ・ゴンザレス。」
Tさん:「あと、マジックドラゴン(=ハル薗田)とか、ロッキー羽田とか。」
…前にも書いたが、Tさんは別にマニアではない。が、あの時代の全日については、かなり詳しい。マジックドラゴンなんて知らないぞ、今どき。
そうこうしているうちに、3課からW君が、仕事の話をしに、Y君のところへやってきた。ので、力皇とキラーカーンを見せた後、
彼に聞いてみた。
私:「次、誰のが欲しい?」
W君:「じゃあ、…和泉元彌。 」
その場にいた全員:「おぉぉっ、うまいっ。」
帰宅途中、サンクスに寄って、週ゴンと、「プロ格ヒーローズ3NOAH編」(在庫処分で1個105円)を2個購入。
帰宅後、開けてみた。
…ラッシャー木村さん(引退)と本田多聞(似てない)だった。うーん、三沢とか小橋とかは、ないのか。週ゴンの感想は後日だ。
秋のイベントその7。沢田研二コンサート。
退勤前にいろんな同僚に、行くんだ行くんだ、としゃべってみたら、
「ウイスキー、吹く?」(=カサブランカ・ダンディ」)by U君(同い年)
「♪時の過ぎゆくままに~ってあれ、何ていう曲ですか?あれが一番好きです」(=そのまんまですよ。)
by O君(5つ下)
「肩に電飾とパラシュートでしょ?」(=「TOKIO」)by Mさん(5つ下)
てな具合。U君はともかく、あとの2人は、生まれたばかりか、せいぜい幼稚園児だったと思うのだが。
退勤時刻になったので、5課のシンガー、TさんとNさんに、「本物、観てきまーす」と挨拶して、帰宅。
18:40。松山市民会館着。当日券売ってる。
会場入り。最新アルバムを買うかどうか迷い、結局買わずに、ホールに入る。9列目65番は、かなり前の方。客入りが気になる。
1Fはほぼいっぱい。2Fはうーん、どうだろう。他の客も、気になってるらしく、後ろを振り向く人が多い。
19:05。開演。アルバム「greenboy」から2曲。1曲目、いきなり立ち上がる客席。うわ、見えんぞ。なんか、
異常にノリのいい50~60代のおじさんとか、どうみても60代後半か70代のおばあさんの手拍子とか。
その後、挨拶。「もう来れないかと思ってたよー」(^^;)
そこから、8曲連続。MC全くなし!
その後、衣装チェンジ。
その後、10曲連続。MC全くなし!
本編終了8時30分。90分間、歌いっぱなしの走りっぱなし。
アンコール。ようやくしゃべり。
「57歳になりました。私も年をとりましたが、
お客様も同じです」(みんなで笑い。)
「前に来たのはいつか覚えてません。松山くると、いつも入ってないんですけど、今日はこんなにたくさん来ていただいて。
愛媛の朝日放送のおかげで呼んでいただいて。」
「危険なふたり」&「?」&「TOKIO」で終了。8時50分。
おそらく、「GREENBOY」からの曲が多かったと思われる。何せMCがないので、曲名が全くわからない。
シングルは、「そのキスが欲しい」、「渚のラブレター」、
「ポラロイドGIRL」、 「勝手にしやがれ」、「ダーリング」、 「危険なふたり」、 「TOKIO」
個人的には、声の伸びはもはや当時のそれではなかったものの、「渚のラブレター」がベストアクト。 客席全体としては、衣装チェンジ後の
「ポラロイドGIRL」→「勝手にしやがれ」の連続と、オーラスの 「TOKIO」で、最大の盛り上がりをみせた。昨日の記事は、 ポリドール時代のシングルからの抜粋だったが、東芝EMI移籍後では、
この「ポラロイドGIRL」が一番好きだなぁ。
正直に言おう。声の衰えは隠せない。もちろん、(岩本恭生がやるモノマネに典型的に現れている)
沢田研二的声質とか節回しは健在ではあったが、声量は確実に落ちている。高音部の伸びもきつい。
必死で歌う彼の声を聴きながら、58歳になっても普通に歌える小田和正がイイ意味で
「化け物」なのだ、と思った。また、沢田研二も岩崎宏美も全く知らない若い人をコンサートに誘うなら、岩崎宏美のほうだなぁと思った。
たとえ彼らのヒット曲を知らない人ても、岩崎宏美なら、歌そのものを安心して聴くことができるだろう。まあ、彼女は、まだ47ではあるが。
しかし、終演後、ホールからロビーに出たときに2人の女子高生を見かけ、さらに、入り口を出て、
2Fから1Fへの階段を下りようとしたときに、
階段を一人で降りられず両手をそれぞれ支えられながらゆっくり下りていく70~80代のおばあさんを見かけた時、
「これでいいのかもしれない」と思った。まさに老若男女がそれぞれの想いをもって集まったのである。
私なんざ、シングルしか知らない、ザ・タイガースも再結成時しか知らない、「ジュリーはテレビの中にいた」
程度の気合の入っていないファンではあるが、そんな人間も含めて、2000人がジュリーを観に来たのだ。これでいいのかもしれない。
もう松山には来ないかもしれない。しかし私は今日、確かに自分の目で、歌うジュリーを確認した。遅くはなったが、私は間に合ったのである。
もく‐さつ【黙殺】 [名](スル)無視して取り合わないこと。「提案を―する」
会議参加者の中の、WさんやTさんやTさんやOさん(、そして多分わたしも)の発言は、それぞれ、
いかにもその人らしい考え方と物言いであり、アプローチの仕方こそ違うものの、モノづくりにむけての建設的な意見であることに疑いはなく、
議案提出者のTさんへの助言になったものと確信する。
その一方で、あいかわらず、
議題を把握できないとんちんかん
とか、
「どうせ適当なトコで時間切れになるんだから、まじめに考えるのはアホらしい」
というようなのもいたのはいたが、13年目にしてようやく「黙殺」の仕方を覚えたので、機嫌よく会議を終えて、 昼から帰宅。
明日は、沢田研二コンサート。2000人収容の松山市民会館が埋まるのかどうかは謎。深夜にやっているコンサート宣伝CMでは、 昔のシングルをBGMで流しているが、実際には、岩崎宏美 (三瓶)の時のように割り切って昔のシングルを歌いまくるとはあんまり思わない。
90分メドレーでお願いします(←ありえない。)
1973/4/21 | 危険なふたり |
1975/8/21 | 時の過ぎゆくままに |
1976/9/10 | コバルトの季節の中で |
1977/5/21 | 勝手にしやがれ |
1977/9/5 | 憎みきれないろくでなし |
1978/1/21 | サムライ |
1978/5/21 | ダーリング |
1978/9/10 | LOVE(抱きしめたい) |
1979/2/1 | カサブランカ・ダンディ |
1979/5/31 | OH!ギャル |
1979/9/21 | ロンリー・ウルフ |
1980/1/1 | TOKIO |
1980/4/21 | 恋のバッド・チューニング |
1980/9/21 | 酒場でDABADA |
1980/12/1 | おまえがパラダイス |
1981/5/1 | 渚のラブレター |
1981/9/21 | ストリッパー |
1982/1/10 | 麗人 |
1982/5/1 | ”おまえにチェックイン” |
1982/9/10 | 6番目のユ・ウ・ウ・ツ |
1983/1/1 | 背中まで45分 |
1983/5/10 | 晴れのちBLUE BOY |
いや、そうそう毎日ネタがあるわけでもない。
昨日をピークとして、今期の営業が緩やかに終了していくので、今日は割とヒマ。午後は、月末のスポーツ大会と旅行の段取り等。
昼食時。中央に出向くと、イヤホンを耳にあて、必死の形相でテープ起こしに勤しむTさん。 大音量なので、こっちで何か言っててもたぶん聴こえていないはず。そうか、私もこんな顔でやっているのだなぁ。 ちなみに私は、 全150分のうち、残り40分のところまでたどり着いた。
その向かい側では、弁当を広げたU君が、私に、
「卵焼き、いるかぁ? 」
…って、中学生の教室じゃないんだから。ともあれ、のどかである。
こんなニュースがあった。
全社員を豪州旅行に招待 岐阜県の会社、 1250人
「希望者が高野山・十津川・那智・白浜旅行 半額弱を自己負担 愛媛県の会社、25人」
とは、えらい違いである。
♪人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな
だけど出来ない理由は やっぱりただ自分が恐いだけなんだな
…はぁ。カラオケ行ってないなー。3ヶ月も歌ってないと、ストレス溜まるなー。
1番も2番もすっとばして、いきなり3番を歌いたくなるような今日は、月曜日なんだか水曜日なんだかわからない。エディゲレロも死んじゃうし。
(10歳11歳や28歳29歳の時のつらさに比べれば、決して不幸せではないが、 不幸せではないことを幸福と呼ばなければならないのだとすれば、人生とはいったい何なのだろう)と疑問に思わざるを得ない、 35歳と363日の今日。
帰宅後、先週の「まんが日本昔ばなし」の「こぶとり爺さん」を観て、和む。
今日は11月12日。岩崎宏美さんの誕生日。ウィキペディアによる「岩崎宏美」の説明はここ。
1975年。6歳の私は、テレビの歌番組でみた「ロマンス」(と、細川たかしの
「心のこり」)で、(「歌手」というのは 「歌が上手な人」のことだ)
ということを知った。
つい数日前、友人U君は言った。「岩崎宏美とか沢田研二とか、まだ歌ってるん?
俺らが小学生の時にドリフとテレビに出てたやろ?」…確かに。「全員集合」とか「大爆笑」とか。あと、ドリフではないが、
「カックラキン大放送!!」(1976~1986)とか。
というわけで、普通にテレビを観ていたら、特にファンだと意識しなくても、中3トリオ(←古いね)や新御三家(←これも古いね。)
やジュリーやピンクレディーやキャンディーズらと一緒に、岩崎宏美はそこにいた。
1982年5月21日「聖母たちのララバイ」リリース。私は中1。この後、翌83年8月21日の
「家路」までの5曲は、どれもラジオでしょっちゅう耳にしてた気がする。
84年からは、MBSヤングタウン火曜日をきっかけに、事務所の後輩である河合奈保子のファンへ。
その後、1985年の「決心/夢狩人」は、「全日本プロレス中継」の途中の「カメリアダイヤモンド」
のCM曲として毎週聴く。その後、「好きにならずにいられない」(1986年)とか、
「小さな旅」(1986年)(NHK「小さな旅」主題歌)あたりは聴いてたものの、この頃(高1~高2)
は、他に聴くべき歌謡曲があまりに多かった。
そこからブランク17年。ふたたび岩崎宏美の曲に触れるようになったきっかけは、2003年のカバーアルバム「Dear
Friends」であった。さらに2004年にCD&DVDボックスを購入し、そして、
自分の中で盛り上がり始めたのは、実は今年の三瓶のコンサートが決まってからである。だから、
筋金入りのファンと自称するわけにはいかないが、それでも、1年に3回も生で観に行くのなら、ファンといってもいいだろう。
7月24日の河合奈保子さんのとき同様、 シングル勝手にベストテン、
のつもりが15曲になってしまった。はっきりした順位もつけられないし。
私が勝手に選ぶ、岩崎宏美シングルベストテントップ15
結局、ヤクルトキャンプにはまだ行っていないのであるが、古田のブログが更新されていた。 最寄り駅の「野球(のぼーる)」駅が紹介されていた。 正岡子規の本名が「のぼる」だったので、それと「野球」をかけたというのは、 松山人なら知る人も多い話である。 ちなみにこの駅の正式名称は市坪駅である。
昼食時。昨日発売の「週刊ゴング」についてW君と会話。
「見た?『長州力の試合を見て、小力にそっくり!、と喜ぶ観客が存在するのが、ハッスルの会場風景である』って。」
「見ました。」
「うーん(悲)。」
「いっそ、有田(哲平)とか、勝俣(州和)もセコンドあたりで上げちゃえば?」
「うーん。あんまりかかわってほしくない。」
…こと、ハッスルに関する限り、噛み合わない私たちである。
夕方16:00。
O課長:「3Fで会議しとんよー。どうしよか?」
私:「『どうしよか?』じゃなくて、会議行きなさいよ。」
O課長:「いや、来客があるはずなんやけど、まだ来てないから。」
私:「じゃあ、何時ごろにお客さんが来たことにしとけばいい?」
O課長:「4時20分くらいにしといて」
私:「わかりました。(笑)」
…彼も、私と同様、3Fでの会議は嫌いらしい。結局、客は5分後くらいに来ていたようだ。
夕方、岩崎宏美ライブの余韻を残したまま、26日の渡辺美里ライブ(広島)の宿の予約のために、石崎汽船に電話。
いったん電話を切り、返事の電話を待つ。着信音が鳴ったので2秒後に出た。いちおう宿は確保。
電話を切った後、Sさんいわく、「何の曲か、わかった!」
…2秒しか流れなかったのに。やっぱりジュリーは偉大だ。正解は
「勝手にしやがれ」。
Sさんからは「昨日の記事、『千賀かおる』じゃなくて『千賀かほる』ですよ。」という指摘も受けた。
「シクラメンのかほり」が
「シクラメンのかおり」ではないのと同じだな、きっと。
帰り際、O課長に「
『岩崎宏美、歌詞を忘れる』話」をしてみた。彼が、「え?
誰が忘れたん?」というので、「本人が。」と答えると、
「ワシでも歌えるのに。でも、
それくらい動揺しとったんやねぇ。」だって。
…そうか、歌えるのか。
(売上げ枚数でいうとミリオンとかダブルミリオンが出てる最近と比べて大したことないとしても、昔は、「みんなが知ってる歌」っていうのが今よりたくさんあったような気がする。) と思いながら、家路についた。
勝手にしやがれ | 1977 | 74万枚 |
シクラメンのかほり | 1975 | 87万枚 |
聖母たちのララバイ | 1982 | 78万枚 |
参考はChart Mania
秋のイベントその6。岩崎宏美ライブ。
9日15:20自宅発。松山IC→坂出IC→ユープラザうたづ着は17時。駐車場が狭いと聞いていたが、
さすがに開演の2時間前に着いたら停めることができた。
会場のユープラザうたづは、正式名称を 「香川県立坂出・宇多津圏域健康生きがい中核施設」
という。よくわかんない。同じ通り沿い、歩いて5分のところに、宮脇書店宇多津店があり、
そのすぐそばにローソン宇多津八番丁店がある。どこかで見たような風景だ。
立ち読みを終えて、6時20分に会場入り。集まっているのはどう見ても私より年上の人ばかりだ。
18時半。開場。ホールに入って席を確認。固定席624席の小さなホールなので最後列でもあまり気にはならない。そして開演を待つ。
19時。開演時刻だが始まらない。ちなみに、今回のライブは、アコースティックなので、楽器は、ピアノとギターとウッドベースだけ。
ドラムやエレキベースやコーラスはいない。
19時10分ころ。岩崎宏美登場。うわ、衣装が上下とも黒い。喪服にしかみえない。1曲目の「ロマンス」
後のMCで、さっそく本田美奈子.の死に言及。2&3の初期のシングル2曲、4&5の去年の曲、6&7のカバー曲、と、
私の好きな曲が並んでいる。が、5の「手紙」の途中で、感極まって数小節だけ泣き声になる。
その他、前半のMCでの発言。
「すいません。開演が遅くなったのはメイクしてたんです。最近、皆さんが知ってる顔になるまでに、時間がかかるんです。
(笑)」
「30年もやってますとお客様もそれなりのお年になられて…(笑)。この中で30代の方ってどれくらいいらっしゃいますか?
」…気合入れて最後列から拍手する私を含めても、まばらな拍手。うーん、10人いたかなぁ。
前半ラストは一五一会(一五一会って何?という人はここ参照。 )を使っての2曲。意外にも彼女は楽器ができないそうだ。 がんばって演奏しながら歌うが、ただでもスローな 「すみれ色の涙」が、 彼女が弦を押さえるペースにあわせるので、ますますスローになっていった。 客席は皆、学芸会での子供の発表を見ている心境だったに違いない。
後半は赤いドレスに着替えて登場。10~13は知らない曲ばかりであった。が、「友達の詩」 の歌詞はなかなか深いものがあり心に響いたので、アルバムが出たら(2006/2/22)そのうち書くかも。 13の水谷良重は、 役者としては知ってても歌手としては知らない。ので、あれこれ調べてみたが、結局曲名がわからなかった。その調べてる過程で、水谷良重が 「ザ・ベストテン」に出たことがある(1978/2/9)というのを発見して驚く。
14の前のMCで、しゃべってる途中で、また涙する。しかしがんばって涙を断ち切って歌う。
「同じ空の下で」はやっぱりよい歌である。
…が、次の「ただ・愛のためにだけ」は……。
この歌のときだけカラオケでパーカッションがガンガン流れていた。アコースティックライブなのに、それはどうかなぁ。
16。今回も「この歌聴かないと帰れないという方も多いでしょうから」と言いながら、「聖母たちのララバイ」を歌い始める。
そしてイントロが終わりワンコーラス目が始まってまもなく。
「さあ眠りなさい~…」
「……歌詞を忘れました。ほんとに。ごめんなさい。」
いったん演奏中止して、舞台袖にさがる岩崎宏美。10秒もしないうちに戻ってきたが、そりゃもう、びっくりさ。ほかの曲を忘れるならともかく、
この曲はたくさんたくさんある曲の中でたぶん一番よく歌ってる歌だろう。…でもまあ、忘れる時はそんなものかもしれない。
客は当たり前のように聴いているが、考えてみれば、2時間で18曲の歌詞を覚えているというのはすごいことである。
アンコール。「思秋期」は今日もやっぱりよい。マイクなしで歌った
「月見草」では、何とはなしに寂しい気持ちにさせられた。
終演後、CD売り場で、ライブCDを買い、握手会に参加。直前に並んでいた人がガチャガチャしゃべるのがわずらわしかったが、
自分の番が来たので、ちゃんと顔を見て握手。「美奈子さんの分も頑張って下さい」
なんてことが言える雰囲気ではない。代わりに口をついて出てきた言葉は、
「ディナーショーも行きます。」
あ、しまった。言ってしまった。
21時半に会場発。松山IC着が23時10分。(昼食もカレーだったのに、)ココイチで遅い夕食を摂り、0時10分帰宅。
とにかく、こんなバッドコンディションな中、四国くんだりまで来てくれただけでありがたいことである。さぁ、 ディナーショーどうしよう?
香川県綾歌郡宇多津町・ユープラザうたづ 19:10~21:10
曲名・曲順の記憶は微妙。カッコ内の、「~曲め」はシングル。数字は初出年。
1 ロマンス(2曲目。1975)
(MC)
2 ファンタジー(4曲目。1976)
3 女優(20曲目。1980)
(MC)
4 天気雨(アルバム「Happiness」2004)
5 手紙(59曲目。2004)
(MC)
6 12月の雨(アルバム「Dear Friends II」2003 オリジナルは荒井由実。)
7 真夜中のギター(同上。オリジナルは千賀かほる。)
(MC)
8 すみれ色の涙(25曲目。1981)
9 涙に願いを(アルバム「Natural」2006)
(衣装チェンジ)
10 When I Fall In Love(オリジナルはナットキングコール)
11 ベンのテーマ (オリジナルはマイケルジャクソン)
(MC)
12 友達の詩(アルバム「Natural」2006)
13 You are just too young(オリジナルは水谷良重のはず。確認できず、表記がわからない。)
(MC)
14 同じ空の下で(アルバム「Happiness」2004)
15 ただ・愛のためにだけ(60曲目。2005)
(MC)
16 聖母たちのララバイ(28曲目。1982)
アンコール
17 思秋期(11曲目。1977)
18 月見草(1975。デビュー曲「二重唱」のB面)
感想はあとで。
昨日は、気がついたら寝てた。
今日は、起きてテレビをつけたら、ちょうど占いの時間だった。
12位。さそり座。
スケジュール変更が続出する日。
段取り悪くアテが外れて大混乱。
冷静な対応を心掛ければ解決へ。
どういうわけか、早起きしてしっかり占いを見た日は、いつも下位である。しかし、今日は、(はいはい、 何があっても対応するよー)と、覚悟を決めて出社。
8時40分から9時半まで、明日のオーストラリアツアー説明会のための準備で、会議室でプロジェクターの試し上映。
そして、それがまだ終わりきらないうちに、副社長に呼ばれる。(ほーら、きた。)
緊急の仕事を仰せつかり、10時20分。(いやー、この分だと、10時40分からの3Fでの会議には間に合わないなー。
困ったなー(笑)。)などと思っていると、副社長がやってきた。
副社長:「今日の予定は?」
私:「10時40分から11時半まで会議で、昼からは帰ります。」
副社長:「会議は出席しなくていいように、言ってやる。昼からは帰れないと思っとけ。」
私:(えーっ!!)
しょうがないので作業を続ける。多少めんどくさかったものの11時ころには問題解決。副社長に報告に行くが、不在。そこで、 1課に戻って、O課長やSさんに言う。
私:「思ったより早く仕事が終わったんですよー。今から会議に行かないかんかなー?」
O課長:「じゃあ、何時ごろに戻ってきたって言っとけばいい?」
私:「11時25分くらいということで。」
O課長:「わかった。(笑)」
という具合にアリバイ工作をしている最中、副社長が戻ってきたので報告に行くと、さらに仕事を言いつけられたので、それにとりくむ。
11時25分終了。
その後、会議出席者に「どうでしたか?」と聞くと、 「問題なく終わったよ」という返事。
……そうか、オレがいない時はもめないのかぁ。
結果的には、私のやるべき仕事は解決したので、12時半に帰宅。
帰宅後、録画しておいた「めざましテレビ」と「とくだね」を観る。涙に暮れる岩崎宏美や南野陽子ほか。
こんなタイミングで、今日は宇多津で岩崎宏美コンサートである。うーん。
現在、13:20。15時くらいには出発するつもり。
朝。事務のMさんと会話。「昨日は天気悪かったですねー。」 「天気良かったらヤクルトのキャンプ観にいきたかったんだけどねー。」
…ここは松山。せっかく松山に住んでいるのだから、ヤクルトが来てるうちに1回くらいは観にいっときたい。観客少なそうだし。
ちなみに私の実家は宮崎。巨人のキャンプは、大学時代に一回だけ観にいったことがある。どういうわけか、 その場には友人H君がいたような気がするが。何であんな時期にH君が宮崎にいたのかは謎。ところで、 アイランドリーグも観にいこうと思ってたのに、いつの間にかシーズン終わってた。
午後。渡辺美里を知らないFさんが新聞を見ながら言う。
Fさん:「Yさん、本田美奈子って知ってる?
」
私:「もちろん。」
Fさん:「ふぅん、僕は全然知らんかった。
」
その場にいたアナザーFさん:「ワシでも名前くらい知ってるぞ。
」
Fさん: 「へぇ、そーかー。 僕のほかに、知らん人おるかなぁ?
」
…いや、いるとは思うが、とにかくFさんが芸能ネタに疎いのは間違いない。本田美奈子も渡辺美里も、 もう20年前から存在しているのだが。
本田美奈子さんが急性骨髄性白血病のため死去 (サンスポ)
うーん。享年38。85年デビューというと、他に、斉藤由貴・南野陽子・中山美穂・工藤静香などがいる。しかし、 あの当時の我々のメインテーマは斉藤由貴だったので、本田美奈子ファンだったとは決して言えない。しかし、 上記4人もいまだそれぞれの場所で姿を見るし、本田美奈子も、ミュージカルという居場所がちゃんとできたのだから、 頑張ってもらいたかったのであるが…。
12月にベスト盤の予定があったようだが、取り急ぎ、明屋中央通で、1980円の 「ゴールデン☆ベスト」 を購入。
私が聴いてたのは、
あたりの時代(高1~高2)である。とにかく、合掌。
本田美奈子.(日本コロムビア)
本田美奈子.(ウィキペディア)
さくさくレビュー85年デビュー女性アイドル編 中山美穂・工藤静香・ 本田美奈子
岩崎宏美公式内、 「美奈子!頑張れ!! 」
ただでも盛り上がる土曜日であるが、今日はいつも以上にギャラリーが多かったので、いっそう舞い上がる、私と、 いつものお客さんたち。
私:「先週のテーマは「形容詞」でした。『い』で終わってるからといって全部が全部形容詞というわけではありません。たとえば 『お小遣い』は…。」
客:「お小遣かろう、お小遣かった、 お小遣くて、お小遣い、お小遣い人、お小遣ければ」
私:「意味がわかりませんんっ!」
客:(笑い)
今日のテーマは「形容動詞」であった。動詞や形容詞に比べると正直あんまりやりたいテーマではないのだが、そうも言ってられないので、 一応説明してみた。
私:「『だ』 で終わってるからといって全部が全部形容動詞というわけではありません。たとえば…、しずかだ、きれいだ、おだやかだ、は形容動詞ですが、パンダ、石田、などは違います。」
客:「しずかだ、のび太だ、 ジャイアンだ」
私:「ちがーうっ!」
客:(笑い)
私:「『ジャイアンだ』は固有名詞『ジャイアン』+断定の助動詞『だ』 です。そもそも『ジャイアンだ』は、『物事の状態や性質、人の感情を表す』ことになっていません。」
客:「いじめっ子のこと?」
私:「ちがーうっ(パート2)。 断定の助動詞とは何かが仮にわからなくても、もし『ジャイアンだ』が形容動詞だとすれば、『ジャイアンな人』 という言い方が可能になるはずですが、そんな言葉はありませんので、『ジャイアンだ』は形容動詞ではありません。」
客:「歌が下手な人?」
私:「…違います。」
夜、いまさらのように、「問題な日本語」を立ち読み。そういや、 日テレのスポーツ番組では、「江川な人」とかいうコーナーやってたなぁ。来週のテーマは、 「彼は健康だ。」の「健康だ」と、「人間にとってもっとも大事なことは健康だ。」の「健康だ」は違う、という微妙な話である。
ところで、「オマエ(の職業)は、もう、ばれている」という指摘もあるが、とりあえず無視。
3日は、9時に起床後、昨日の記事にもあるように、11時→15時で仕事。帰宅後、読書→ゲーム→テレビの3つを繰り返す。
21時。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」の後半。 前半のような強烈なインパクトには欠ける。 「終始うるさいリングス時代のウィリーウィリアムス」とか 「前後左右に激しく踊るラ・ムー時代の菊池桃子」などは、似てるかどうかよりも、 それに目をつけたということのほうが重要。 しかし、辻元清美の顔そっくりは、たしかにそっくり。
23:15。「音楽・夢くらぶ」。
とある番組で、井上陽水に「僕の歌で何が好き?」と訊かれた一青窈、「 『白い一日』が、詞が好きで…」と答えると、陽水に「それは僕の詞ではない。」 といわれた、という、すっとこどっこいなエピソード。
「なぜ一青さんとの共演をリクエストしたんですか」という中村の問いに、小椋、応えていわく、 「年とったせいか、若い人の曲はあんまり聴かなくなったんだけど、 正直言って本当に歌がうまいなあとかことばが来るなあと思う人はいないですね、はっきり言うと。その中で歌がうまいし、 ことばがきちっと伝わってくるし…。」
第23回 11月3日
|
「青春メドレー」
(さらば青春~俺たちの旅) |
小椋佳×中村雅俊 |
「白い一日」(詞:小椋佳、曲:井上陽水) | 小椋佳&一青窈 | |
「夢であいましょう」 | 小椋佳 | |
「かざぐるま」 | 一青窈 | |
「再会」 | 小椋佳 |
その後、録画してあった「第22回 10月27日 ムッシュかまやつ&上戸彩」と 「第20回 10月13日 尾崎亜美& スキマスイッチ」と「第19回 10月6日 太田裕美&伊勢正三」(以前の記事) と、「第15回 9月15日 岩崎宏美&STARDUST REVUE」 を立て続けに観る。(曲目はNHKの「音楽・夢くらぶ」 参照。)
さらに、その後、「中邑& 棚橋VS川田&安生」や「レスナーVS蝶野VS藤田」や「三沢& 小川VS天龍&秋山」を観たり、「太閤立志伝Ⅴ」をやったりしているうちに…
5時。…寝そこなった。えーい、起きとけ。
6時59分。めざましテレビの占い。さそり座は、 「軽はずみな発言はNG。周囲に広がり非難集中。」って、 別に今日に限った話ではないなあ。
ちなみに、およそ20年前、16歳の私のモットーは、当時、学校で持たされていた英語の例文集の中の一文。
He had no comment on it for fear that he should be
misunderstood.
(彼は誤解を避けるためにそのことについては言及しなかった。)
だったのだが、いまや、誤解されようが何しようが、言いたいことはとりあえず言っておく書いておく、って感じである。
続く。
4日。7時半。久々に早く出勤。この時間に出勤しているのは、いつものメンバー数人。
しばらくして、1課課長Oさん出勤。
「課長、こないだ40(歳)になったでしょ?」
「うん。」
「1日?」
「うん。」
「おめでとうございます。…ってことは、あの写真は30代最後の記念写真ですね。」
「うわー、やめてくれー(笑)」
8:40~10:10。90分で180円稼ぐ。が、90円のコーヒーを2杯飲んだので、差し引きゼロだ。
10:10~11:40。PCルームでメンテナンスとBASICの学習。
11:40~12:30。マイク位置が悪かったらしく、録音した声が聴き取れず、四苦八苦。
続く。
12時半。昼食。
私が食堂で先に食事を摂っていると、Xさん現る。彼は「花火」なので、 ちゃんと火がついて空に上がったのを遠くで見てる分にはいいのだが、火のつけ方を間違えるとよく暴発する。おとといも 「~だろうがっ!!」 と言った後、一瞬、着火しかかった。
で、今日の彼がどんな様子であるかを私は予想した。
予想その1。面倒なことは考えたくないので、無言。
顔見ればわかるので、この場合は、さわらない。
予想その2。「で、資料はできたんですか?」
こう来たら、資料の内容を説明して、本会議でのフォローを頼むつもりだった。
しかし正解は、
「和泉元彌はどうなったんですか?」
(えーっ、それかぁー?)
「Xさんは、そんなワイドショー的なこと言ってないで、 馬場VSレイス(79/10/31~79/11/7ほか。 NWA戦の記録はここ。 ) あたりで終わっといてください。」
「猪木VSゴッチ(1972/3/6ほか。全記録はここ。 ) も知ってるぞ」
「いや、わかったから。 」
そこに、社内一(って、分母が小さいが。) のハッスルマニアのW君も加わって、ひとしきり和泉元彌話。だめだ、こりゃ。
素人でも、このニードロップを受けるのはきついかも。
「白い粉の誤爆」といえば、 ストロングマシン1号がワカマツに…(以下、古い話なので省略。)
これが、空中元彌チョップだっ!(ちなみに、この状態から、後方回転して丸め込むのが、 普通のプロレスラーである。)
あんな本(下の記事参照) が出てるということは、悩んでいるのは私一人だけではないのは間違いないが、
「お前らがまともな資料出さんからだろうがっ!!」(ほんとはもっと丁寧。)
という指摘はその通りなので、今日はまともな資料を作るべく11時に出勤。
出社してみると、今日が休みだということに気づいていなかった、めったに休日出勤しないXさんがいたので、愚痴る。 毎度おなじみCさんもいたので、愚痴る。S君も来たので、O課長の写真の話をする。3時まで仕事して、Rちゃんと入れ替わりで退勤。
フジ月9 「西遊記」旅の仲間は揃った!三蔵法師に深津絵里(サンスポ)
だそうである。孫悟空=香取慎吾 (以下、人名へのリンクはウィキペディア。)、沙悟浄=内村光良、 猪八戒=伊藤淳史、 三蔵=深津絵里で、 キャスト全体としては、ありだと思う。いちおう観てみることにしよう。
平成になってからの日テレの「西遊記」(H5とH6)は観ていないが、
とりあえず悟空が本木雅弘や唐沢寿明ではかっこよすぎたのではないかと思う。ただ、89年前後に「みなさんのおかげです」
を観ていた者としては、どうしても伊藤淳史が4歳児のチビノリダーにしか見えない。 昔話だが。
こないだの出張会議の議事録作成のためのテープ起こしを始めてみた。トータルで3時間半の会議のうち、 私が初日の2時間半(=150分)、Tさんが2日目の1時間を担当することにした。今日の夕方、4時半から5時半の60分かけて、 筆記できたのがたったの6分間。
60:6=x:150
x=1500(分)
……25時間。なぁんだ、丸一日かければ終わるじゃん、って、オイっ。
「やってられないっすよぉ。『一言一句残らず全部起こさなくてもいい』とは言われたけど、内容をまとめて書くのも、 それはそれで、何字くらいにまとめたらいいのかわかんないしさぁー」(本当は、もうちょっと丁寧。)と、 副社長に愚痴ると、「前回(2年前)の同じ会議の議事録もらってきてやるよ」と言われた。
ちなみに手当は出た。3000円。
3000÷25=120
…時給120円。
がんばりましょう(哀)。広島で打ち上げだ。>Tさん。
11月は、このほかにも、かなりいろいろあって忙しい。とりあえず来週水曜日の岩崎宏美(香川・三木町) コンサートを目標に頑張るのである。12月25日にはホテルグランフォーレでディナーショーもあるのだが、 どうしよう。 年3回観にいくか?ディナーショーって行ったことないから、様子がよくわからんなー。一番安くて18000円。うーん。 時給120円で働く人間には無理かも(悲)。
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