女なんてものに
「心が折れる」という表現があるのだとすれば、今日はまさにそんな日だった。
9時40分からの営業では、だれも私の話を聴いてくれず、聴いてくれないばかりか、聴こえるか聴こえないか位の大きさで「斜視ろ、斜視ろ」
と、視線の定まらない私を揶揄する声がする。とうとうぶち切れた私は、「斜視で、やぶにらみで、悪かったな。
人の体の欠陥を笑いもんにしやがって!」と大声をあげた。
10時40分からの営業では、「私は自分の斜視を気にしているので、言わないでほしい」と頼んだ。
しかし、それが裏目に出て、13時20分からの営業が終わるころ、やっぱり「斜視ろ、斜視ろ」という声がする。
もう、嫌だ。
小学生のころの左脚のポリオの時と同じ状態である。 あの時は、 入院して手術したが完治せず、結局は私が田舎の私立中学に入学して彼らから逃げることによって事態は収束した。しかし、 今の私にはもう逃げる場所がない。
今日は、発狂する2歩手前くらいまでは、いった。次は私かもしれない。
言葉の通じない馬鹿とは付き合いたくない。
しかし彼らは2年前はこんな馬鹿ではなかったはずなのに。そう思うでしょ?>Sさん(該当者3人)
サングラスでもかけて目を見られないようにして営業行こうか?それとも来週の月曜から入院して手術でもするか?
もう、嫌だ。
ちょっとずれてるけど、「あ・り・が・と・う」(1977・中島みゆき)から、「女なんてものに」
笑ってごらんなんて なぐさめを
あたし これから 信じないわ
泣いてもどうにも ならないけれど
笑ってもあなたは 帰らないじゃないの
« 「ねんきんにであえてしあわせです」 | トップページ | 終末時計 »
コメント