せう
30日(日)。
午前中。眠い中、何とか寝ずに耐える。
昼前、母いわく、
「お昼ごはん、何食べる?」
…それ考えるのが面倒なので、はるばる宮崎まで来たんですが。
1時。外出。死ぬほど暑い中、イオン宮崎内のタワーレコードと旭屋書店。
旭屋で2冊購入。
あぁ、やっぱり仕事には使えない。
阿久悠のは、歌のタイトル(北の宿から、舟歌、契り、どうにもとまらない、ほか多数)を挙げて、 それに関して見開き2ページのエッセイがたくさん。
「白い蝶のサンバ」(森山加代子)のページから引用。
最近の若い人たちの歌の言葉が、全く聞きとれない。ぼくの聴覚に問題があるのかと思い、他の人に訊ねてみたら、 その人もやっぱり、言葉としては聞きとれないと答えた。
何年か前、ぼくはテレビから流れる人気グループの歌を、聞こえるままに筆記してみたことがある。そして、あとで、 歌詞カードと比較してみた。的中率は二十%程度、ほぼ歌詞としては伝わっていないことになる。
しかし、その歌はよく売れたのである。とすると、詞とは何なのかと思ってしまう。あってもなくてもいいのか、 意味不明でも一向に支障はないということになるのかと、ぼくは大いに切なくなったものである。
イオンの近くのヤマダ電機に寄った後、帰宅16:00。
18時すぎ。妹夫婦+甥が来宅。
言語コミュニケーションが可能になった2歳9か月児は、接続詞や副詞はまだ使えないし、助詞もときどき甘い。
甥:(このおもちゃの消防車は、)電池が動く。
わたし:「『電池が』じゃなくて、『電池で』やぞ。」
が、「あっち」だの「ここ」だの、指示語は使えるようになっていた。
…くれぐれも指示語を多用する大人にならないように。
夕食で父や義弟とともにビールを飲み、寝不足と酔っ払ったのとでふらふら。
私:「先に寝ます。」
別室で寝ていると、甥がやってきた。
甥:「せうちゃん、あそぼ、あそぼ。」
あながち間違いでもないのだが、なぜ、私の名前を、
歴史的仮名遣いそのまま
で呼ぶ?
…母親が国語の先生だからか?
プラレールのロマンスカーを持っていた彼に、
「ロマンスカーは小田急電鉄の特急車両で、新宿から箱根湯本あるいは小田原や片瀬江の島、藤沢、沼津まで走っている。」
と、むだに細かい知識を与えてやりつつ、50分ほど遊ぶ。
終盤。「ジュースが飲みたい」と訴える彼に、「ジュース飲んだら、後でハミガキせんといかんよ。」と言ったが、彼は聞き入れない。
しかし、たとえ聞き入れなくても、ジュース飲んで歯が痛んで歯医者に行くよりはましなので、もう一回同じことを言うと、大泣きされたので、
親に返して、寝た。
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