アンクルホールドと、存在の問題
「治った」と書いてしまうとやっぱりダメで、今日も営業中はなんともなかったのに、終わったとたん、 激痛。脚が。
胃は午前中はダメだったが、午後は持ち直した。
この脚の痛みをたとえて言うなら、
金本浩二にアンクルホールドかけられている
ような痛み。
…あ?わからない?
アンクルホールドというのはこんな技。
ねじきれそうである。階段では手すりにつかまり、平地では壁につかまりながらでないと痛い。
もう何年もこの件で愚痴ったことはなかったが、あまりに痛いので、帰宅後、母にメール。
別に責めるつもりはなかったのだが、「健康な体に生まなくてごめんね」と返事が来た。宿命なので仕方がない。
営業は2課も4課もきわめて平和。
しかし、営業に行ってない時間帯がヒマすぎる。
ヒマなので、何度も何度も読んだ「無限論の教室」 (講談社現代新書)をまた読んだ。
カントールがどうのこうの。
ラッセルのパラドックスがあーだこーだ
自然数と偶数はどっちが多いか?
ゲーデルの不完全性定理がどうしたこうした。
など。
夕方。あまりのヒマさに耐えかねて、Access系の仕事がないか聞いてみたら、あっさり2つもくれたので、日曜出勤決定。
退勤後、久しぶりに明屋空港通りに行ったら、「哲学の歴史」 (中央公論新社)という分厚い本があった。
副題が、「論理・数学・
言語 20世紀Ⅱ科学の世紀と哲学」とあり、上の「無限論の教室」とかぶっているところも結構あるようで、
おもしろそうだったので買ってみた。3200円もしたけど。
全部で700ページオーバーの分厚い本で、まだ50ページしか読んでいないが、その中から。
「『最大の素数は存在しない。』という文は、 はたして何らかの意味を持つ文だと言えるのか?」
存在しないものは存在しないのであるから、存在しないものを主語として、「存在しない。」という述語で語ることに意味はあるのか?
とかいう話とか、その他もろもろ。
中心的なテーマは科学哲学、数学と哲学の関係などだが、それとは別に、やっぱり気になる、存在の問題。
中1か中2のとき。
「『ある』は動詞で、『ない』は形容詞ですっ。」
と国語の先生が言うので、われわれが、
「ほかの反対語は同じなのに、なんで、これは違うんですか?」
とたずねると、彼は明確な答えをしてくれなかったのであるが、それ以来、あるいはそれよりずっと前から、自分はなぜこの世に存在し続けているだろうと思い続けているのであるが、
とりあえず今のところは、
- 数学の問題のチェック
- BASICのプログラムのチェック
- プリンタに紙詰まらせた同僚への対応と、トナー切れの解消
のために存在しているらしい。
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