ギターは弾けないし三味線も弾いたことはない
土曜日の夜。
BS-iでは布袋寅泰さいたまスーパーアリーナライブ。
ギター弾きながら歌歌えるなんて。何であんなに指が次から次へと動くのだろう?私はギターどころか、自分の髪を洗うのでさえ、左手の指が動かないから右手一本でやらざるをえないというのに。
その真裏のBSフジでは、ビリー・ジョエル東京ドームライブ。
ピアノ弾きながら歌歌えるなんて。ピアノ弾きながらハーモニカ吹きながら歌歌えるなんて。
日曜日の午後。
久しぶりにアプライドに行ったその帰り。
済美高校の校舎に大きな垂れ幕でこう書いてあった。
校訓:やればできる
いや、いくらやっても無理なものは無理だと思う。より正確に言うならば、努力した量に対してその成果があまりにも小さすぎる時、人はやる気を失うのである。
月曜の夕方。
職場の自席周辺にて。
某A:「帰ってギターひこ。最近音楽漬けの生活でほかに何しよるかわからん。」
某B:「いいですねぇ。僕は息抜きというと筋トレくらいですよ、家で。」
私:「僕なんか楽器弾こうと思っても手が動かないし、筋トレしようにも脚が痛くてできないんだから、二人ともうらやましいですよ。」
某A:「オマエは口三味線があるやないか。」
私:「!!それはどういう意味ですか?」
その時、その場で聞いていた某Cと某Dは、(ひどいこと言うなぁ)という表情の微妙な笑みを見せた。
私もここでいろんな人のことをいろんなふうに評しているから、自分が他人からいろんなふうに評せられたとしても、そのこと自体は仕方がないのだが、それにしても…、
口三味線とはいかなる意味か?
「年長の者を年長とも思わず不遜な口をきく」という意味だったっけ?実際には相手が年長だろうが年少だろうが、わけのわからんことをしたり言ったりするやつに対して「わけがわからん」と言っているだけだから、そう思われたとしても私は別に何とも思わないが、しかしそもそも「口三味線」っていうのは、そんな意味じゃなかったと思うが?
口三味線
1 口で三味線の伴奏をまねること。くちざみせん。
2 口先で相手を巧みにだますこと。しゃみせん。くちざみせん。
(『大辞泉』)
いろいろ欠点はあるにしても、少なくとも「口先で相手を巧みにだます」というのからはもっともかけ離れた生き方をしてきたつもりだったが、人の体の不具や痛みを理解してもらえないのはやむを得ないとしても、なぜこんなことまで言われねばならぬ?
抗議すると、彼は「1の意味だ、1の意味っ」と、意味のわからないいいわけをしていた。見苦しい。今年還暦を迎えるベテランとは思えない。
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