今日の日はさようなら
1988/4 大学入学直後。とある講義が始まる前。
200人以上入れそうな大教室の最前列で、大きな声で周囲の人たちと楽しそうに話をしている同級生がいた。
新しい環境に慣れず、講義の内容はよくわからず、うまく人間関係も作れないでいた私は、
(どうしたらあんなに輪の中心にいられるようになるのだろう)
と思いながら、遠くから彼を眺めていた。
1990/3 大学2年を修了し、教育学部学校教育学科に進学するはずだったが、 留年した。
1991/4 大学2年を修了し、 大学3年になってあらためて教育学部学校教育学科に進学すると、そこには4年生になった彼がいた。
ある日の、学科控え室。
当時、私は塾でバイトしていた。ゴールデンウイークに行われる模擬試験の数学の問題を校正していたら、
それを見た彼が言った。
「どこの塾いっとん?」
「○○です」
「あ、ボクも○○の出身やで。」
それがきっかけで、私は彼をバイトとして紹介した。
麹町の、とあるビルの中で、私たちは、隣同士の部屋で、小中学生に英語や数学や国語を教えるようになった。
教室は、6畳くらいの狭い部屋である。大音声の彼がしゃべると、 壁がふるえた。
仕事が終わって、ビアガーデンに行き、その後カラオケ行って、必ず最後は「仮面舞踏会」 のデュエットで終わっていたりしたのはこの年である。
1992/4 1年先輩となった彼は就職した。大阪の企業ではあったが、 東京勤めが長かったようだ。
どさくさに紛れて六本木のオカマバーに連れて行かれたりしたのは、 この年だったか、数年後、東京へ遊びに行ったときのことだったか。
1993/4 私は松山に戻り、就職した。
1997 彼は結婚し、それを機会に、転職しようと考えていた。
私の会社と同じ業種に変わりたいらしい。
「じゃあ、その可能性があるかどうか聞いてみましょう。ボクは辞めるかもしれないけど」
と連絡した。
1998/4 彼は私の会社にやってきた。
4月はじめの石手川公園での花見には、生まれたばかりの男の子をベビーカーに乗せて、やってきた。
1998/9 私はインフルエンザにかかったらしい。
40度以上の熱がある。
寒い。寒い。
動けない。
病院へも行けない。
着ているものは、あっという間に汗でびしょびしょになってしまう。
着替えても着替えても、汗が出る。
食べるものこそ何とかしてもらったが、もう着るものがない。
そこへ彼がやってきた。彼は、誰かとは違い、 私の部屋の場所を知っていた。
「なんか要るものある?」
そう尋ねる彼に私は言った。
「着るものがないんです。シャツ買ってきてください。」
そして彼はすぐにシャツを買ってきてくれた。
回復してからシャツ代を返そうとしたが、彼は受け取ろうとはしなかった。
そして9年半が経過。
今日。一仕事終えて、10時40分。
私は彼の家の玄関先にいた。
彼と、奥さんと、10歳になった男の子とに、別れの挨拶をしなければならない。
あのときのシャツ代も返さないといけない。
(これでとりあえず最後。夏休みに会いに行くけど)
そして、挨拶を終えた私は、買い物に行った後、会社に戻った。
11時15分。会社2F。
「なんでここにおるんやぁぁ!!」
最後の最後で後片付けをしにきた彼が、普通にそこらを歩いていた。
…さっき挨拶しに行った私の立場はっ?
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