もう辞めたんやから、そこはツッコまんといて。
文系・理系という画一的な分類は好きではないが、世の常識に沿うならば、ぼくは理系人間である。そして、本書の内容もそのほとんどは物理学に関することだから、本書は科学啓蒙書ということになるのかもしれない。しかし、それは本意ではない。時間論にかぎったことではないが、ぼくの関心事は、(人間も含めた)自然現象そのものの中にあるのであって、科学は単なる手段だと思っている。現代という時代において、自分の疑問に明快に答えを出してくれる学問が、たまたま物理学であったということである。
このような自然に対する関心のもち方は、科学ではなく哲学(の一種)ではないかとぼく自身は思うのだが、哲学を専門とする方々から見れば笑止なことかもしれない。
(橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』(集英社新書)の「あとがき」)
…ゴールデンウィークの読書感想文は、これにしよう。
こないだの飲み会は、人間関係的な腹の探り合いをする必要がなかったという点で平和ではあったが、
彼らは、2人とも、
ド文系
で、かつ、
放っとくといつまでもしゃべり続ける
人たちなので、私とは人種が違う。
H:「(私が、)『小説、嫌い』とか、『ドラマ、嫌い』とかって昔から言ってるんですよ。」
W:「そうそう。」
…その話は、やめようよ。めんどくさいから。
W:「プロレスは観るくせに。」
H:「歌だってフィクションやん。」
…はいはい。私が全て悪いんです。
私に言わせりゃ、
「数学の問題が解けるヤツの気が知れん」
的なことを私に言うあなたたちの方が、よっぽど不可解だが?
数学の問題は、少なくとも中学高校レベルのならば、
ちゃんと手続きを踏みさえすれば、だれがやっても答えが出る。
または、だれがやったとしても原理的に答えが存在しえないものは、絶対、答えが出ない。
私は別に、「小説読めるヤツの気が知れん」などと言うつもりはない。
私はサーフィンもスキーもやったことはないが、だからといって「サーフィンをやらなきゃ」とか「スキーをやらなきゃ」とか思ったことは一度もなく、そのいっぽうで、サーフィンをやっている人やスキーをやっている人はそれが楽しいからやっているのだろうということは想像でき、今となっては、それらと同じ意味において、私は、小説も読まないし、ドラマも観ないというだけのことである。
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