ガンに打ち克つプロレスラーたち
“殺人医師”スティーブ・ウィリアムスが復活=7.19IWAジャパン
ウィリアムスは、故テリー・ゴディとの“人間魚雷コンビ”で全日本プロレスマットを席巻し、その後も総合格闘技にチャレンジするなどしていたが、咽頭がん発覚により長期戦線離脱。そして今回、以前から交流の深いI.W.A.ジャパンでの復帰が決まった。
(スポーツナビ)
ウィリアムスは、故テリー・ゴディとの“人間魚雷コンビ”で全日本プロレスマットを席巻し、その後も総合格闘技にチャレンジするなどしていたが、咽頭がん発覚により長期戦線離脱。そして今回、以前から交流の深いI.W.A.ジャパンでの復帰が決まった。
(スポーツナビ)
以下はウィキペディアの「スティーブ・ウィリアムス」から引用。
- 声帯を全摘出した為に固形物の嚥下は出来ないが、発声用の機械を埋め込んであるので音声による会話は可能とのこと。
- 全日本マットで脳天から叩き落とす危険な技の応酬のスタートのきっかけを作ったのは、1993年の小橋との三冠挑戦者決定戦でウィリアムスが放った「殺人バックドロップ」である。それ以降、三沢が「タイガードライバー'91」を解禁。小橋の「バーニング・ハンマー」、川田の「三冠パワーボム」「垂直落下式ブレーンバスター」「デンジャラスバックドロップ」、秋山準の「リストクラッチ式エクスプロイダー」等、トップ選手が次々と脳天直下型の技を使用し始めた。
小橋の腎臓がん、藤原の胃がん、西村の後腹膜腫瘍、小林邦昭の大腸がんなど、がんを克服して復帰してきたレスラーは何人かいる。
自らのレスラー生命を救った一瞬の決断 後腹膜腫瘍を克服したプロレスラー・西村修
日本一パワフルながん患者、プロレスラー小林邦昭さんが語る「俺とがんとの16年のデスマッチ」 130キロのバーベルが、再発がんと戦う基礎体力を作ってくれた!
(上記2つのリンクは、どちらも、「がんサポート情報センター」)
が、ウィリアムスは戻ってくるのは無理だと思っていた。
最強時代を知ってるだけに、私は今その体をみたらがっかりしてしまうかもしれないが、自分で決めた復帰なのだから、自分の中でがんばって闘ってほしい。
90年代は遠くなり、鶴田と橋本と三沢がいない。
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