できることはしなければならないと思った
昨日はどういうわけかすっかり疲れて、17時過ぎに寝てしまい、
今朝起きたら4時過ぎで、
そこからずっとテレビを観ていて、暗澹たる気分。
別にこのタイミングじゃなくてもいいのにさと思いつつ、
おそらく偶然だと思うが、昨日家に帰ったら、
松山市から「まつやま防災マップ」というのが届いていた。
去年テレビを買うのをきっかけに部屋をかなり片付けて、それまで寝室だった部屋にテレビを置き、となりのフローリングの部屋を新たに寝室にしたのだが、防災マップを読みながらふと寝室を見ると、
高さ180cm×幅140cmくらいの本棚が、
もし倒れてきたら頭直撃のところに配置されている。
テレビの地震直後の映像で、ちょうど同じくらいの大きさの本棚があっけなく倒れこんでいたのを見た。怖い。
1995年の阪神淡路大震災の朝テレビで見た阪神高速の高架が破壊されていた映像とか、
1995年の地下鉄サリンの当日、現場で見た本郷3丁目の駅構内の救急車とか、
2001.9.11テロの飛行機が突っ込む映像とか、
2003年の城崎の水没の新聞記事の写真とか、
それはいかんやろ
と、強烈に記憶に焼き付いている場面がいくつがあるが、
今度のは、それらに匹敵するか上回る。
ウィキペディアの「宮城県沖地震」にはこんな記述があった。
「宮城県沖地震」は、これまで25~40年という比較的短い間隔で周期的に発生しており、近い将来再び発生することが予想されている。地震調査研究推進本部の長期評価によれば2010年1月1日から10年以内での発生確率は70%程度、30年以内では99%と評価対象の中では最も高い確率で、2020年頃までに次の地震が起こる可能性が高いと考えられている。
こんな予測が当たってしまい、しかも、こんなにひどいことになってしまうのはとてもかなしい。
私自身は子供の時から今にいたるまで西日本の人間なので、東のほうに知り合いはほとんどいない。阪神淡路大震災の時も、父親が大阪の池田に単身赴任していたが、ほとんど被害はなかった。
が、そういう個人的なこととは関係なく、なんかできることはしなければいけないような気がした。とりあえず毎日行ってるセブンスターに募金箱が設置されているのですこしずつ募金することにする。
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