8日目 Oくんがエスパーだった日と、主要登場人物が1人いなくなった日
昨日24日の激忙の最中。
「退職するからもう出社しない」と言っていたはずのWさんがいた。
私:「どうしたんですか?」
W:「最後の給料をもらいにきました」
私:「あー、そしてこの後、袋詰めするんですね?」
W:「え?」
私:「Wさんは、Kさんのサブだから、袋詰めするんじゃないんですか?」
W:「あーっ、忘れてたっ!」
私:「ダメじゃないですか。Kさんが自分でやってましたよ」
最後までツッコむ私。
今日25日。
昼ごろ。
激忙からの発狂(1回め)。
作業そのものは新品のプリンタのおかげでなんとかなりはしたものの、カラダがぼろぼろなので、14時前に帰宅して安静。
先月2月25日付より
片付いた自席に座っていると、某同僚がやってきて言った。
「かくかくしかじかをやってくれ」
…。
そんな仕事が私のところに来るか。
それは、やらねばなるまい。
が、あんまり頑張りすぎると、ひどいことになる。
前回もそうだった。もっと力を抜かなければならない。
そのうちわかる。
そして、その10分後の駐車場。Oくんがいた。
私:「Mさんからさぁ、『送別会でおまえ歌え』って言われたから、歌うことにしたよ」
Oくんが私を見つめること、約2秒。
そして彼は言った。
O:「また逢う日まで、尾崎紀世彦」
私:「ゲッ!! なんにも言ってないのに、なんで当たる?
エスパーか?」
あれから1ヶ月。
カラオケ部会本番でも、しれっと練習。
自主トレでも、1回行ったら2回以上練習。
タバコ吸いに行くたびにその場で練習。
のべ何百回か練習。
というわけで、歌詞はフルコーラス頭に入った。
まぁ、なんとかなるでしょ。
18時。送別会が始まった。
喫煙所が屋外なので、途中で抜けて、また練習。
19時半すぎ。退職者への贈る言葉とか挨拶とかが始まった。
(勝手に人の名前出してんじゃねーぞ、こらぁ)
とか思ったが、とりあえずスルー。
その後、待つこと1時間。
名前が呼ばれたので、出ていった。
よく知らない人たちは(何でオマエなん?)と思った、
と思うが、
退職される人たちは(まぁオマエでもいいか)と思ってくれた、
と思いたい。
若干カラオケの操作を間違えて、歌う前に変な間ができたが、
とりあえず歌いきった。出来は88点くらい。
そのまま自席へ戻ろうとすると、
退職者の一人であるWさんが握手を求めてきてくれたので、
あぁ、これで今日はもういいや
と思った。
その十数分後。
残る者に見送られつつ、退職者が退室していき、
その後、会そのものも終了した。
よし、これで今日の仕事は終わった、静かに帰ろう。
部屋を出た。
出るとすぐそこに、Wさんが立っていたが、
他の人と話していたのでスルーしようとした。
しかし、呼び止められた。
W:「今度新しいパソコン買わないかんのやけど、どんなのがいいですか?」
私:「…。こんなとこで、そんなこと聞きますか?」
さっきの握手とか。
23年間のいろいろお世話になったこととか。
想い出にひたりつつ、私は帰りたかったのであるが。
こんな場所でのまさかのパソコン購入相談。
最後の最後まで、このブログ用のネタを提供してくれる、
ありがたいWさんであった。
ホテルの玄関を出ると、そこには、退職されるKさんとOさんもいた。
小豆島のカラオケボックスとか、その他いままでの職員旅行の話。
現場ではいちいち言わなかったが、
私も、2人ともに、なんやかんや愚痴を聞いてもらったことであるよ。
2人と話し終わって周りを見てみると、前の職場の人達がたくさんいた。同じホテルで送別会をやっていたらしい。
「2次会のカフェにオマエも来るか」とTさんに言われたので、
まぁ今日くらいはいいかと思い、ついていった。
私が辞めた時とくらべても、ほとんどメンバーは変わっていない。
各人の話しっぷりを聴きながら、
あぁ、この人はこういうしゃべり方であったなぁ、全然変わっとらん。
とか思ったが、たぶん私も同じように思われていたのであろう。
2次会は、22時過ぎに終了。
23年間でキレられること3回のWさんがいなくなってしまった。
最後に、
2次会でしゃべった、「料理大会の憂鬱」にリンクを貼っといて、
瞬間の真実を生きるWさんとは、
夏のG1広島大会(?)で会うことにしよう。
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