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1年3ヶ月ぶりの100名城。
ただし、左の川越城は、今回行ったわけではない。
27日(木)
後楽園の某ホテルの一室で起床。
部屋は広いし、テレビは40インチくらいありそうだし、ネットはスムーズにつながるし、後楽園ホールには近かったし、いろいろ快適だった。
9時にチェックアウトして、
水道橋から、千葉行きの黄色い電車に乗った。
私の大学時代(90年前後)も、ここの電車は黄色かカーキ色だったが、私は荒川はもちろん隅田川から東に行ったことすらほとんどない。
船橋で降りて、すぐ目の前の京成船橋駅へ。
ちょうどいいタイミングで、快速佐倉行きの電車がやってきた。
このあたりまではきわめて順調だった。
佐倉に着いた。
…。
雨が降っている。
東京は晴れてたのに。
今から歩かなければいけないのに。
2012年12月の川越のときも、
駅を降りたら土砂降りだったような気がする。
ちなみに、その時も後楽園に行った。
ホールでJWP。ドームでプリンセス・プリンセス。
今回は土砂降りではなく、霧雨だが、
しかし、傘なしで歩くのはちょっと無理な雨量。
駅前のセブンで傘ではなくレインコートを買って、
佐倉城址公園へ向かって徒歩開始。
15分くらいで国立歴史民俗博物館への入り口に到着したが、
坂道で疲れ、博物館見学はいったん断念。
引き続き歩き、城址公園へ。
日米修好通商条約の、堀田正睦とタウンゼント・ハリスの銅像があった。堀田正睦はここの藩主だったのか。
正岡子規が佐倉に来たときに詠んだ句の句碑もあった。
遺構はあんまり残っていないが、
もともと石垣がない城
というのが、一番の特徴であるらしい。
スタンプが置いてある「佐倉城址公園センター」は、
「センター」と言うには、正直ちょっと…。
道なりに歩いてきたが、相変わらず雨は降り続けている。
気がつくと、歴史民俗博物館からはずいぶん遠くまで来てしまった。
もう戻る気はしない。
そして、道がわからなくなった。
iPadで調べればいいのだが、雨が激しいので取り出したくない。
なんとなく、引き続き、道なりに歩いて行くと、学校があった。
佐倉東高校らしい。
そしてそのすぐそばに、佐倉中学校もあった。
ここが、
荻野目ちゃんが通った中学校
であるらしい。
佐倉といえば、荻野目洋子か長嶋茂雄である。
そして、どうやら私は、JRの佐倉駅に向かっているらしい。
途中にあった武家屋敷にも寄ってみた。中には入っていないが。
脚が痛くなってきたが、JR佐倉駅まで、あとちょっと。
やっと着いた。しんどかった。
このあと、成田空港までの乗り継ぎがうまくいかず、1時間以上待つことになるが、その話は別記事で。
天気が悪かったのがとても残念ではあったが、
佐倉城は、結構いい感じのお城だった。
昨日の後楽園ホールは、
超、楽しかった。
【試合結果】7・26 MASTERS後楽園ホール大会 藤波辰爾&長州力&馳浩vsグレート・ムタ&ザ・グレート・カブキ&TNT 平成維震軍vs大日本
書きたいことや載せたい写真が山のようにあるが、
帰宅したばかりなので、後日。
帰宅早々、G1長岡大会を視聴中。がんばれ小島。
昨日は河合奈保子さんの誕生日だったので、
仕事が13時過ぎに終わったあと、家に帰ってから、
83年の「UNバランス」から86年の「ハーフムーン・セレナーデ」まで
のシングルを聴いて、勝手に祝った。
昨日は普通だったが、
今日は、仕事の面で、久々にひどい日であった。
が、ほぼ自分のせいなので、なにも言えない。
17時前にようやく帰れそうになったが、
明日、国会議員の課外活動を観るために東京に行くので、
2F中央で、WくんとHくんと3人で、
それについてと、G1の優勝予想などについて、会議。
帰宅後はG1福島大会を視聴中。
作曲家の平尾昌晃さん死去 「カナダからの手紙」など多くのヒット曲手がける
平尾昌晃といえば、
の3つである。自分が生まれる前なので、ロカビリー歌手時代は知らない。
私が歌えそうなのはこんな感じ。
アグネス・チャン | 「草原の輝き」 |
梓みちよ | 「二人でお酒を」 |
アン・ルイス | 「グッド・バイ・マイ・ラブ」 |
五木ひろし | 「よこはま・たそがれ」「夜空」 |
小柳ルミ子 | 「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」 |
ささきいさお | 「銀河鉄道999」「青い地球」 |
沢田研二 | 「あなただけでいい」 |
平尾昌晃&畑中葉子 | 「カナダからの手紙」 |
松田聖子 | 「Eighteen」 |
水木一郎 | 「キャプテンハーロック」 |
水谷豊 | 「カリフォルニア・コネクション」 「やさしさ紙芝居」 |
久しぶりにカラオケに行かねばならない。
暑すぎて、ほぼ何も、する気が起こらない。
出勤直後、Sくんがいたので、この時期恒例の質問をしてみたが、
今年もうなぎは落としていないらしい。
そして昼頃。自席に座っていたら、
近所の某のところに女性客がやってきた。
どうやら夏休みの自由研究的な相談事らしい。
途中からはきちんと応対していた某であったが、
とりあえず、彼らの話が終わったあと、私は彼に言った。
私:「暑いからさぁ、ああいうのやめてよ。」
某:「え、何がですか?」
客が来た直後、彼女は某にこう言った。
客:「孵卵器って、どこかにないですか?」
某:「え?リリー・フランキー?」
客:「(スルーして、)卵を孵化させるやつです」
おっさんのダジャレは、めんどくさい。
2課長もいろいろストレスがあるのであろう。
退勤後、セブンスターで夕食の買い物。
15日(土)
14時ころ。
7月大会本戦の相手のSさんが見当たらないので、O君とオープン戦をやっていた途中、電話がかかってきた。
社内某所のノートパソコンが全く起動しないらしい。
見に行った。
どうしようもないので、すぐ回収。
オープン戦に戻ったが、あっさり大差で負け。87-55。4勝4敗。
1課長Oくんも、ついこないだ勝ったものの、薄氷だったらしい。
16日(日)
8:20 出勤
全く起動しない。HDDの損傷と思われる。
さて今回はどうなるか。
まず、Windows7の起動ディスクで修復を試みたが、失敗。
これはもう、HDDを交換するしかなさそうである。
ドライバーを使って、裏ぶたを外し、HDDを取り出そうとしたが…
ネジが外れない。
ネジ山を壊すことを、「なめた」というそうである。
完全に、なめた。
摩擦を高めてどうにかする粉を使ったが、無理。
…。
困った。
私は、何百台もコンピュータの修理をしてきてはいるが、
本来は手先が不器用であり、ハードウェアの修理は得意ではない。
得意な人~
…は、退職したんだった。
しょうがないので急きょダイキに行って、こんなものを買ってきた。
しかし、ネジ山を挟むための空間がないので、挟めない。
あきらめて、そんなこともあろうかと思って同時に買ってきた、
金属を切れるハサミで無理やり切断。
たまたまOA室にあったSSDと交換して、Windows7の再インストール作業を開始。このあと、WindowsUpdate等も含めて、数時間かかる。
それと並行して、取り外したHDDを別のPCに接続して中のデータを取り出そうとしたが、普通に接続しただけでは、認識しない。
しょうがないので、救出用のソフトウェアを使うことにした。
いちおう、中のデータは取り出せなくはなさそうだが、
すべてのデータを取り出し可能な状態にまで認識させるのには、
数時間かかる。
待ってるだけなのはつらいので、放置して帰宅。13時半。
明日もこの作業の続きでかなり時間が取られそうである。
一昨日の朝から風邪をひき、だるい。
暑いから汗をかいているのか、
風邪だから変な汗をかいているのか、その両方なのか、謎。
が、高熱は出ていないので会社は休めない。
そして細かいミスをたくさんおかす。
さらに某所のコンピュータがトラブる。
体調は悪いが、2週間後に向けて予習中。
馳の復帰戦の舞台は、師匠長州力(65)藤波辰爾(63)のレジェンド2人と組む6人タッグ。武藤の化身グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ(68)、新日本時代に激闘を繰り広げたTNT(52=プエルトリコ)組が相手と、11年ぶりのリングを祝うかのように豪華メンバーが集まった。
私とは世代が違うH君は、TNTを知らなかったが、
年が近いW君はコスチュームから得意技までちゃんと覚えていた。
そして、プロレスマニアなら誰でも知っているゲーム、
「ファイヤープロレスリング」がつい最近PC版で復活した。
『ファイヤープロレスリング ワールド』アーリーアクセス版プレイインプレッション
ユーザーがレスラーをカスタマイズして共有できるので、
いろんな対戦が可能。
細かいことをいうと、ムタに髪の毛があるのが今となっては昔のこと。
馳がジャイアントスイングをかけているが、2週間後の実戦では、目が回って無理なのではなかろうか。
客に対して腰を振るアピールをしているが、国会議員はこんな下品なことをしてはいけない。
試合権利のない長州にかけられたサソリ固めがクリティカルになってKOされたムタ。カブキとTNTがカットに入ったが、間に合わなかった。
今日、Hくんに、
「この試合、何分くらいやるかなぁ?」と聞いてみたら、
「一人あたり5分が三人で、15分。でもメインイベントだから、もうちょっと頑張って、17分」
との返事。
「そんなこと考えながらプロレス観るのもどうかとは思うんですけどね」
とか言いながら、彼は去っていった。
そろそろ夏休みが近い。
3ヶ月ぶりに整体に行ってきた。
カラダのあちこちがゆがんでいる。
私の1つ年下の小島聡選手や天山広吉選手や、
1つ年上の永田裕志選手は、
まだまだ現役で頑張っているのだが。
彼らは若い頃にさんざんしごかれたのであろう。
当時彼らをしごいたのは、佐々木健介と、馳浩。
馳が国会議員になって22年。
彼は今日も真面目に議員活動を行なっているであろうか。
そんな中、今日のニュース。
それはそれは。
56歳なのに、大丈夫だろうか。
2006年の金沢での引退試合は観に行けなかったのであるが。
今月26日か。
…。
行けるな。
よし行こう。
チケットを買った。
飛行機も予約した。
ホテルも予約した。
4年半ぶりの後楽園ホールでの観戦まで、あと2週間。
見たらわかる
見たらわかる
見たらわかる
見てもわからないなら要らない
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