暴走自転車と暴走自動車
このブログを書き始めてから13年を超え、
かつて書いたことがある話が繰り返されることが多くなってきた。
そして今日も。
一昨日と昨日と今日とで合計28時間くらい、
某システムの改良のためのプログラミング作業に費やした。
実装したかった諸機能はすべて実装できて満足した。
が、その代償として、今日の昼前から、腰痛と首痛。
急きょ、行きつけの整体に予約の電話をして、17時半から施術してもらって、復活。
行きつけの整体は、今から35年くらい前に私が下宿していた祖父母の家の近所にある。
メガネの三城中央通り店とか中央ボウルとかがある、あの辺りである。
1986年の、たぶん1月7日ころ。
高校1年だった私は、冬休みの宿題の物理の問題を解いていた。
しかし、まったくわからない。
数学は得意だし、三角関数がわからないわけでもない。
だが、私の計算結果では、坂道の上から下へ箱が滑っていかない。
どの問題も、さっぱりわからない。
ボールを手から離したら、床に落ちずに、真上へ飛んでいく。
どんなに計算しても、つじつまが合わない。
あぁ、このままでは、I先生に怒られる。
そして、
自室で「わぁーーーっ」と叫んで、
その後、ふと気がついたら、
大街道を自転車で爆走していた。
大街道(商店街)は、その当時も、自転車通行禁止のはずである。
しかし、その時の私は、
いろんなストレスから自暴自棄になって無謀な運転をしようと思った
のであろう。
でも、逮捕されはしなかった。自転車だったから。
松山の市街地暴走「80キロ以上は出てた」 通行人恐怖 (朝日新聞)
原付きバイクに乗りながら逃走車を見たという大学生(19)は、「道路を逆走し、白バイとパトカーに追われていた。信号無視もしていた。時速80キロ以上は出ていたと思う。怖かった」と語った。松山市役所前で逃走車両を目撃した女性(70)は「南堀端駅から市役所前のカーブで逆車線に入っていった」と話した。
まだ私は子どもだったが、大街道が全蓋アーケードではなかったころ(1982年まで)のこともかすかに覚えている。
しかし、その頃ならともかく、今の大街道の中を自動車で走行するのは無茶である。
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