今日も志村さんの話。
先日の追悼番組収録後の研ナオコさんのブログの記事と写真がよかった。
けんちゃん、ありがとう
で、その番組中の研さんの発言がこんな記事で取り上げられていた。
志村けん「元ミュージシャン論争」を裏付ける、音楽界に残した偉大な功績
番組冒頭、ゲストの研ナオコは番組内に流れる厳粛な音楽に、「この音楽、イヤだな~」「音楽はすごくけんちゃんも詳しくて。ミュージシャンですから、これは選ばなかったと思うな」と発言。これに対し、ネット上では「志村はミュージシャンじゃないだろ」などの声が上がっている。
「若い世代はもう知らないのかもしれませんが、志村さんが加入する前の初期のザ・ドリフターズは音楽バンドで、1966年のザ・ビートルズ来日本公演で前座を務めたこともあります。その後、コミックバンドとしての色合いが強まり、(以下略)
前回の記事の最後に私は
70年代や80年代から活動していた芸能人に関する記事には、
(変なこと書いてるなぁ)と思わせられるものも増えてきたような気がする。
まあ、仕方ないのではあるが。
と書いた。
今日引用した記事の場合、
記事を書いた人の方は昔のことをちゃんとわかってて、
「志村はミュージシャンじゃないだろ」などの声を上げる若い世代の人たちが、
昔のことを知らないのであるが、
まあ、仕方ない。何十年も前のことなので。
細かいことをいえば志村さん自身がドリフに入ったころはドリフはほとんどミュージシャン的活動はしていなかったはずだが、弟子入りするときにドリフにするかコント55号にするかで迷って、音楽もやってるドリフの方にしたということは事実。
キーボードの荒井注さんの後釜だったので、何かの映像でキーボードを弾いている姿も視たことはある。
むかしビートたけしさんとやってた番組で尺八を吹いていたような気もする。
5年前に松山市民会館で観た志村魂では三味線を弾いていた。
書いていて思い出したが、
晩年のいかりやさんも何かのCMでウッドベースを弾いていたはず。
ビートルズの前座でボーカルとして歌ったのは仲本さんだし、
高木さんは当時はギター、のちにウクレレをやっていた。
というわけで、ドリフターズはバンドでもあったというのは確かなことである。
さて、相変わらず各局が追悼番組をやっている。
NHKや日テレも録画はしたが、以下の写真は、ファミ劇から、2001年の「バカ殿様」。

80年代の全盛期には、他の82年組とは違ってドリフとからんでいた印象はまったくない明菜さんだが、
この回のバカ殿ではメインゲスト。

鼻緒が切れたので殿に直してもらったが、
そばにあった桶を足を置くために使っていただけなのに、
その桶と鼻緒を結ばれてしまっって、歩きづらいのでブチキレる明菜さん。

それを見守る加藤さん。バカ殿なので、ゲスト。

明菜さんと殿がいい雰囲気になると、そこで入ってきて変な曲調の曲を指揮して、雰囲気をぶち壊す加藤さん。曲で雰囲気を変えるという意味では「ちょっとだけよー」の「タブー」とある意味同じ。

最後も盛大にオーケストラの演奏でキスシーン直前の雰囲気をぶち壊し、
このあとは3人でヒゲダンスのテーマで踊っていた。
2001年。明菜さんもまだ活動していた頃であるが、いまはお元気だろうか。
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