サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2021年8月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

ウェブページ

カテゴリー「訃報」の14件の記事

2019/03/08

ザ・デストロイヤーさんの訃報

「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー死す 力道山、馬場と激闘

和田アキ子「デスは同志みたいな存在」デストロイヤーさんを悼む

せんだみつお、デストロイヤーさんへ「僕を全国区にしてくれた恩人」番組で長年共演

日テレもデストロイヤーさん悼む「勇姿忘れません」

 

【話の肖像画】元プロレスラー ザ・デストロイヤー(5) 心の底から日本への愛

 

昨日は、平成を代表するマスクマンである獣神サンダー・ライガー選手の引退試合を観に行くことを決めたが、

その翌日の今日は、昭和を代表するマスクマンのひとりであるザ・デストロイヤーさんの訃報

 

 

日テレで放送されたVS力道山戦(1963/5/24)の視聴率は64%だったそうである。

 

うわさのチャンネルの放送当時(1973~1979)は、私は4歳から10歳だった。

一生懸命視ていた記憶はないが、なんとなくは覚えている。

 

前にも書いたことがあるが、

私は、1993年の4月に就職して松山に戻ってきていた。

が、その年の7月の引退試合は観に行かなければいけないと思ったので、日本武道館まで観に行った。

 

大学時代(90年代初め)は、年1回のペースで全日本に来て試合をしていたのを観ていたはずである。

もうその時の試合内容は覚えてはいないが、

 

60年代の力道山との戦いから、

その後の馬場との戦い及び共闘、

およびTVタレントとしての顔、

さらには子どもたちへのレスリング指導や震災支援などの日本でのいろいろな活動

 

など、全てあわせて、

お疲れ様でした。

 

合掌

2018/12/06

爆弾小僧の死

昔読んでとても面白かった、ダイナマイト・キッドの自伝。

既に処分してしまったが、いまアマゾンで見たら、8800円にもなっていた。

 

 

というわけで、爆弾小僧こと、ダイナマイト・キッドが亡くなってしまった。

 

ワシントン・ポスト紙「ダイナマイト・キッド、60歳の誕生日に死す」米でも大きく報道

ダイナマイト・キッドさん死去 初代タイガー「悲しみに暮れています」

初代タイガーマスク、故ダイナマイト・キッドさんへ「ダイナマイトがいたからタイガーマスクがいた。運命的な出会いでした」

60歳死去“爆弾小僧”ダイナマイト・キッドさん孤高人生 好敵手・藤波明かした「別の素顔」

 

後に全日本に参戦し、みちのくのリングにも立ったが、

やはり、キッドのライバルと言えばタイガーマスクと藤波。

 

 

彼について私が以前に書いたのは、

2016/10/12 1981年4月23日から、35年半

 

ステロイドのやりすぎで若くして引退し、車椅子生活になってしまっていたが、

それにしても60歳での死は早い。

 

 

久しぶりにタイガーマスクの日本デビュー戦を視てみることにしよう。

合掌。

2018/10/10

輪島大士はプロレスラー

輪島さんが亡くなった。

 

いろんな訃報記事が出ている中、私が最初に違和感を覚えたのは、

毎日新聞の、

輪島博さん70歳=54代横綱、「輪湖時代」築く

の記事中の、

角界を去った後はプロレスラーに転向したが目立った活躍はなく、およそ2年で引退。

 

え、その言い方はないなぁ。

たった2年だが、その間のインパクトはかなりあったはずだ。特に、対天龍源一郎。

 

 

と思っていたら、やっぱり、こんな記事が。

元横綱・輪島の訃報に「プロレスラー時代の実績紹介が少ない!」と不満の声(アサ芸プラス)

そんな輪島さんの訃報に接したプロレスファンからは「なぜプロレス時代の功績をほとんど報じないんだ!」との不満が爆発しているという。確かに第一報の時点で、ほとんどの報道では「プロレスラーに転身」という事実を紹介するのみ。まるでタブーなのかのごとくプロレス時代の実績には触れないメディアに、スポーツライターも疑問を呈する。

「輪島さんのプロレス転身は当時、相当な大ニュースでした。プロレスラーとしては不器用でしたが、38歳での転身とは思えない身を削るようなファイトは観る者の心を揺さぶったもの。同じく大相撲出身で前頭筆頭だった天龍源一郎とは殴る蹴るのゴリゴリで熱い試合を展開し、ファンからの支持を集めていたものです。また横綱時代には左下手投げを得意技にしていたことから、プロレスでは左腕を相手の首に巻き付けた状態から投げ捨てる『ゴールデン・アームボンバー』を開発。その技は今、のど輪から投げ捨てる『チョークスラム』へと進化し、国内はもちろん海外のリングでも広く使われる技となりました。活動期間はわずか2年に過ぎませんでしたが、『レスラー輪島』の存在はファンの脳裏に深く刻まれています

だが、多くの訃報記事ではそのプロレス時代をさらっとだけ紹介。むしろ「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)での大ボケ発言など、バラエティタレントとしての紹介に多くの文章を割いているほどだ。

 

 

1969年生まれの私は、70年代後半の小学生時代は、大相撲を視ていなかった。

よって、相撲時代の輪島は覚えていない。相撲の最初のヒーローは千代の富士である。

 

いっぽう、輪島がプロレスラーだった1986年と1987年は高2高3。

土曜19時からの全日本プロレス中継でしっかり視ていた。

 

私にとっては輪島はプロレスラーである。その後の「生ダラ」も視てはいたけれど。

 

 

 

以下、今日の「スッキリ」から、プロレスラー時代の輪島。

(と、相撲時代の天龍。ちょっと飯伏幸太に似てなくもない)

 

20181010-194316-020181010-194408-020181010-194431-020181010-194454-020181010-194525-020181010-194624-020181010-194656-020181010-194800-020181010-194814-0

 

プロレスも一生懸命やった元横綱。

決して強くはなかったが、しかしプロレスをなめてはいなかった。

だから我々ファンは今でも、いい意味で覚えている。

合掌。

2018/09/18

辞めた人、亡くなった人

16日(日)

イベント当日。

私の担当部署は、準備段階から順調だったこともあり、当日も何の問題もなく無事に終了した。

前日一緒に飲んだYくんも来ていたらしいが、私は会わず。

17時過ぎ退勤。

 

17日(月)

イベント翌日の後片付け日。

これも私の担当部署はまったく問題なく、みんなで「今年は良かったね」と言い合って終了したが、

うちの課のSくんの担当部署や担当場所には、いろいろ問題があって、ずいぶん大変そうだった。

12時過ぎ退勤。

 

18日(火)

イベントの代休1日目。

一日中家にいた。食事はピザハットのピザ。

 

今日は、長年放置していた台所の片付けに、ついに手を付け始めた。

  • 電子レンジの掃除
  • シンクの掃除
  • 冷蔵庫の上面に生えていた黒カビの除去
  • 不要な食器の処分
  • 数年間使ってなかった食用油を吸い取りパッドを使って処分

など。

 

 

 

この3日間の間に、いくつかのニュースがあった。

  1. 安室奈美恵さんの引退
  2. 樹木希林さんの死去
  3. 山本“KID”徳郁選手の死去

 

いずれの人たちも、私にとっては、それほど熱心なファンというわけではない人たちではあるが、

しかし、自分が生きてきた時代という意味では、それぞれに関して、思うところはなくもない。

 

安室さんはグループデビューが92年でソロデビューが95年だが、

私は93年3月まで大学生であり、

社会人になった4月以降は、能動的に新しい音楽を聴くということをしなくなっていったので、

もちろん全く知らないというわけではないが、

世間の安室さんにハマった世代の人達とは違い、ほぼ抜け落ちている。

 

 

樹木希林さんについては、

これらのドラマが、私の1歳から10歳まで。

一生懸命に視ていたわけではないが、子供の頃の記憶としては確かにある。

 

しかし、結局のところ、私はドラマは視ないし、映画も観ないので、

彼女についての一番の記憶は、やはり、これである。

 

 

 

そして、山本KID選手については、

格闘家・山本KIDさん死去 41歳 8月にがんを公表

 

つい先日、ネットで「がん公表」のニュースを見たばかりで、そのときは、

(それは大変だなぁ。これから頑張って治してほしいなぁ)

と思ったのに、あまりにもあっけなく、あっという間に。

 

 

人の一生とは何なのだろう。

有名人でも有名人ではなくても、みんな死ぬ。

そして、死んだ人のことは、すぐに忘れられていく。

でも誰一人例外なく死ぬのだから、それで特に問題はないのかもしれない。

2018/08/08

家康さんが亡くなった

かなり久しぶりに、本棚から、

「独眼竜政宗」(1987年NHK大河ドラマ)のDVDを引っ張り出してきた。

vlcsnap-2018-08-08-19h00m49s873

1991年の「太平記」で主役をはる前の真田広之は、松平忠輝(=徳川家康の六男。いろんな意味で乱暴者)

1983年以降シングルリリースがなく、しかし1992年の例の結婚式よりは前なので、女優専業状態の桜田淳子は、愛姫(=伊達政宗の妻)

主役の渡辺謙は、上記画像の時点で49歳の政宗を演じているが、実年齢は28歳。

 

 

そして、「第四十七回 天下の副将軍」の中盤。

vlcsnap-2018-08-08-19h08m24s677

乱暴者すぎていろいろやらかしたために、

お父さんの家康に怒られて、

奥さんの五郎八姫(政宗の娘。演:沢口靖子)とも別居を余儀なくされたが、

にもかかわらず、深夜、無理やり会いに来た、

相変わらず無茶すぎる、松平忠輝

 

 

vlcsnap-2018-08-08-19h04m31s251

 

いろいろやらかしてくれたので、今までの行きがかり上、息子の忠輝にはもう逢えない。本当は逢いたかったけど。

 

と、政宗に伝えている、徳川家康こと津川雅彦さん。

この後すぐ、ナレーションによって家康は亡くなってしまった。

 

 

 

そして津川さんの訃報が今日、流れた。

津川雅彦さん死去 78歳 4月、愛妻の朝丘雪路さん亡くし追うように…

 

なかなか時間が取れないが、録画したDVDは持っているので、

同じく彼が家康を演じた「葵 徳川三代」も、もう一度視なおしたいものである。

 

合掌。

2018/07/18

7月16日 マサさんがいなくなった

16日(月)

 

暑い。

が、先週の豪雨やここ数日の熱中症などで亡くなった人たちのことを思うと、

生きているだけでありがたいことである。

 

午前中は出社したが、暑すぎるので午後はすぐ帰宅。

こんな気象状態で東京オリンピックなんかやって大丈夫なのだろうか。

 

 

 

夜はG1の3日目札幌大会を視たが、

…。

初日同様、メインイベントのジェイ・ホワイト(VS棚橋弘至)が、どうしたものか。これでいいのか?

 

 

さて、それよりも。

1964年の東京オリンピックに出場した選手が、亡くなった。

 

マサ斎藤氏死去=元プロレスラー、75歳(時事通信)

マサ斎藤さん壮絶リング秘話 来年2月の復帰目指し懸命のリハビリ(東スポ)

マサ斎藤さん訃報に長州力ショック「言葉が見つからない」(東スポ)

坂口征二氏「マサ斎藤さんは男気にあふれた人間だった」(東スポ)

武藤敬司、マサ斎藤さん悼む「一番話が合う大先輩だった」(スポニチ)

盟友のカブキ語った マサ斎藤さんがフロリダ時代に編み出した必殺技の秘話(デイリースポーツ)

マサ斎藤さんを追悼 WWE全米生中継冒頭で(日刊スポーツ)

 

1987年の巌流島での猪木戦は、テレビで視ていた。

昨日の「めざましテレビ」でこの訃報が報じられたとき、三宅アナが、

「3時間を超える熱戦」と言っていたが、正確には「2時間を超える熱戦」である。

まぁ、史上最長かそれに近いことは間違いない。

巌流島実況のテレ朝・保坂正紀氏 マサ斎藤さん偲ぶ「死闘はあの人の意地」(デイリースポーツ)

 

 

1990/2/10の東京ドーム大会でのラリー・ズビスコからのAWAヘビー級王座奪取は、現場で観ていた。

あの日一番盛り上がった瞬間だったような気がする。

追悼・マサ斎藤さん、28年前の闘強導夢で成し遂げた日本人プロレスラー2人目の快挙(リアルライブ)

 

 

そして、90年代のワールド・プロレスリングでの、

辻よしなりアナウンサーとのまったくかみ合わない実況は、

テレビで視ていた。

天国のマサさんへ(辻よしなりオフィシャルブログ)

 

 

ベイダーも最近亡くなったし、よく知っているレスラーたちが亡くなっていくのはとても残念である。

2018/07/12

7月11日 80年代歌謡曲を歌う若い客たち

11日(水)

橋本真也さんの命日。

 

私と同様に岡田有希子さんの命日は必ず覚えている新日本プロレスの小島聡選手は、

橋本選手の元付き人であるが、

 

忘れかけていたらしい。

 

 

さて。

通常営業が今日でいったん終わる。

しかし、今日は朝から新たな仕事をぶっこまれた。

が、言われたことのほとんどは聞くことになっているので、15日と18日の出社がほぼ決定。

 

 

今日はいつもの実習室ではなく、別の部屋へ。

13時50分から営業開始だが、13時40分過ぎに行ってみたら、

客たちがわいわいがやがや雑談していた。

その中の数人が、歌っていた。

 

某1:「『♪涙の数だけ強くなれるよ』って何だっけ?」

私:「95年の岡本真夜、TOMORROW…ってなんでそんな古い歌を?」

某2:「♪わたしまーつわ」

私:「82年、あみん」

某1:「いーなーせだねっ」

私:「それはあれだな。最近倖田來未がカバーしてる」

某2「何でしたっけ」

私:「『め組のひと』、ラッツアンドスター」

某2:「私、『異邦人』好きなんですよ、♪こどもたちがーそらにむかいー」

私:「それは79年。で、君たちはいくつなんですか?」

某1:「80年代のうた、好きなんです。」

某2:「わたしがおばさんになぁあってもっ」

某1:「はろーうぇー」(←Wink「淋しい熱帯魚」)

私:「私はそのへんが専門です」

某2:「じゃあ、『スニーカーぶる~す』は?」

私:「基本。」

某2:(某3に向かって)「この子、『天城越え』を知らないっていうんですけど、どう思います?」

私:「いや、しらんやろ。もし知ってたとしても『津軽海峡・冬景色』じゃないか?」

 

この手の話をし始めると、いつまででも話し続けられるのであるが、

13時50分になってしまったので、終了。

 

彼女たちがなぜ80年代歌謡曲を知っているのかと思ったが、おそらくは親の影響。

2018/07/08

7月8日 日曜も書類作成。そして笑点。

8日(日)

引き続き、日本各地で災害規模の豪雨が続く。

愛媛県も死者が出ているが、私の家の近辺はさほどでもない。

 

今日は9時半ころいつものセブンスターに行って、1日分の買い物をしたが、

パン売り場や惣菜コーナーに張り紙がしてあった。

「豪雨のために商品が入ってこない」

とのこと。

 

たしかに、全然無いというわけでもないが、

各商品の棚が、普段ならありえない感じでスカスカ。

 

帰宅後は14時ころまで書類作成。

まだ作成が完了したわけではないが、3分の2はほぼできた。

 

 

 

夕方。桂歌丸さんが亡くなって初の収録回の「笑点」を視た。

2018-07-08231942

 

木久扇 歌丸さんをさっそく大喜利に「不思議な職業だな」としみじみ

木久扇さんの言うとおり、

「人が亡くなったことを大喜利のネタにして、しかもそれが面白い」

という、不思議な時間と空間であった。

 

 

円楽、歌丸さん追悼大喜利で涙「ジジイ!早すぎるんだよ!」

しかし、最後の円楽さんは、本当に悲しそうであった。

2018/06/21

「ガンバッテー!ガンバッテェー!」 ビッグバン・ベイダー選手の死去

「機械の中の機械」スーパーストロングマシンが引退して、

新日本の最古参は、獣神サンダー・ライガーになった。

 

 

そして、今日は…

 

ビッグバン・ベイダーさん重度の肺炎で死去 63歳

190センチ170キロの巨体で月面水爆も 死去“皇帝戦士”ベイダーさんが日本マット界に刻んだ歴史

 

うーん。

 

アントニオ猪木に勝って、両国国技館の観衆を暴動に追い込み、

藤波辰爾の腰を壊し、

藤波や長州力や橋本真也に勝ってIWGPヘビー級王座に就き、

高田延彦に勝ってプロレスリングヘビー級王座に就き、

田上明に勝って三冠ヘビー級王座に就いた、

ビッグバン・ベイダー選手が、

亡くなってしまった。

 

 

シングル戦だけではない。

すでにクラッシャー・バンバン・ビガロさんも亡くなっているが、

あの当時、ベイダー&ビガロ組は最強タッグチームの一つだった。

馳&佐々木や武藤&馳では、まして北尾光司では、全く勝てそうな気がしなかった。

2018-06-21194829

 

 

新日本ワールドにはベイダーの試合は25試合登録されている。

いくつか挙げてみると、

  1. 1987年12月27日 両国国技館 藤波辰巳&木村健吾 vs マサ斎藤&長州力アントニオ猪木 vs 長州力アントニオ猪木 vs ビッグバン・ベイダー
  2. 1988年6月26日 名古屋レインボーホール IWGPヘビー級選手権試合 藤波辰巳 vs ビッグバン・ベイダー
  3. 1990年2月10日 東京ドーム 第9試合 IWGPヘビー級選手権試合 ビッグバン・ベイダー vs スタン・ハンセン
  4. 1990年5月24日 東京ベイNKホール マサ斎藤&橋本真也&北尾光司 vs ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ&スティーブ・ウィリアムス
  5. 1990年9月30日 横浜アリーナ アントニオ猪木30周年メモリアル・フェスティバル アントニオ猪木&タイガー・ジェット・シン vs ビッグバン・ベイダー&アニマル浜口
  6. 1992年5月1日 千葉ポートアリーナ クラッシャー・バンバン・ビガロ ビッグバン・ベイダー vs 武藤敬司 馳浩
  7. 1992年6月26日 日本武道館 IWGPタッグ選手権試合 ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ vs スタイナー・ブラザーズ
  8. 1996年1月4日 東京ドーム 第7試合 日刊スポーツ新聞社創立50周年記念特別試合 INOKI FINAL COUNT DOWN 5th アントニオ猪木 vs ビッグバン・ベイダー

 

赤字は、プロレス史を振り返る上で、特に重要な試合(興行)。

自身のベストバウトに1990年2月10日のスタン・ハンセンとのIWGP戦を挙げている。
(ウィキペディアより)

 

 

彼は間違いなく、平成初期の最強外国人レスラーの一人であった。

合掌。

2018/05/17

あのころの芸映の人たち

私の専門は、昨日の記事にも表れているように、

80年代のアイドルあるいは歌謡曲

であるが、

しかし…

 

 

17日(木)

営業が終わって、昼ごろ。

iPadにニュース記事の通知。

 

!!

これは…。

 

前回がいつだったか覚えていないくらい、ここ最近行っていなかったが、

今日はどうしてもカラオケに行かなければならない

 

 

 

 

18:50~20:50 キスケカラオケWAO

曲順 曲名 歌手名
1 激しい恋《生演奏》 西城秀樹
2 情熱の嵐 西城秀樹
3 愛が止まらない ~Turn it into love~ 西城秀樹
4 抱きしめてジルバ -Careless Whisper- 西城秀樹
5 ブーメラン ストリート 西城秀樹
6 ブルースカイ ブルー 西城秀樹
7 眠れぬ夜 西城秀樹
8 愛の園 西城秀樹
9 ギャランドゥ 西城秀樹
10 傷だらけのローラ 西城秀樹
11 YOUNG MAN[Y.M.C.A.] 西城秀樹
12 唇のプライバシー 河合奈保子
13 熱風 石川秀美
14 女優 岩崎宏美
15 赤い風船 浅田美代子
16 雪にかいたLOVE LETTER 菊池桃子
17 PRIDE《本人映像》 今井美樹

 

今日のテーマはとてもはっきりしている。

今日歌ったのは、

芸能事務所「芸映」に所属していたことがある人たち。(菊池桃子さんは系列事務所)

 

 

 

西城秀樹さん死去 63歳 最期まで「生涯歌手」

浅田美代子、西城秀樹さんを追悼 同時期にデビュー「どれだけ無念だったことでしょう」

西城秀樹が遺したメッセージ「2度の脳梗塞には感謝している」 追悼・西城秀樹 生前語った「3度目の人生」

 

 

彼がいなければ、河合奈保子さんも、石川秀美さんも、芸能界にはいなかった。

 

めったなことでは世間に出てこなくなっている奈保子さんだが、今回はコメントを発表した。

『秀樹の妹』河合奈保子「ショック過ぎて言葉が出ません、、」

 

 

奈保子さんのファンを長年やっている者としても、

子どもの頃に、「カックラキン大放送」や「8時だよ全員集合」や各種歌番組で彼を視ていた者としても、

気づくのに47年くらいかかったが、

軽度とはいえ彼と同じく脳梗塞によるマヒで苦しんだことがある者としても、

たいへん残念なことである。

 

 

松山で彼が歌うのを観る機会は、あったような気がするのだが、

結局行かなかったのが、今となっては悔やまれる。

 

 

 

青空よ 心を伝えてよ

悲しみは余りにも大きい

青空よ 遠い人に伝えて

さよならと

(「ブルースカイブルー」)